冬みかん

みかんの皮がダブダブになって、味もブヨブヨになってきた。
みかんの季節は終わったらしい。
限られた間にしか手に入らないものがある。
そういうものは目に見えて愛おしい。
冬のみかんは器用だから愛される。
不器用なみかんは愛されない。
いつでも手に入るものは愛されない。
愛するものは手に入らない。

トイレ

Photo_14トイレは、なぜかとても愛着のわく場所である。そこには鍵のかかる秘密の扉があって、神聖な場所へといざなう不思議な気配が漂っている。と、いうのは、ぼくの勝手なトイレ観?である。そんなわけで、店のトイレにはミュシャのポスターを配した。ミュシャの絵には明るくも暗くもない陰翳を含んだ独特のムードがあるが、なぜかぼくには20ワット白熱電燈のともったトイレのイメージがダブるのである(笑)
いつかお金がたまったら、自宅のトイレ、洗面所、風呂、この三つを本格的なアールヌーボー調に仕立て、ミュシャの絵を飾りたい、と思っている。

デスクトップ

Photo_13夕焼けの海。赤紫の空に向かってヤシが大きな葉っぱを広げている。どこか南の島かもしれない。この壁紙、windowsに入ってたのをそのまま使ってます。なんにも張ってない人って、いるのかしら。

スコップ

また変なこと書いてると思われても仕方がない。
ぼくは穴を掘るのがとてもうまい。
わざわざ日記にこんなことを書く理由は、備忘として残しておこうと思ったためである。忘れかけていたのだ。「ぼくは穴を掘るのが好きで、とても上手かった」ことを。
そうだ、ぼくは長いこと穴を掘ってない。
智恵子は東京には空がないという。しかし、地面だってほとんど見あたらない。たとえ小さな地面を見つけても、穴を掘ると不審者として通報される。小学生だった頃、ぼくの宝物はスコップだった。日曜日は日の出を待って、スコップとロープを持って山に出かけた。地面に穴を掘って、地下秘密基地を作るためだった。その高い技術は後にアルバイトで確認された。土木工事の現場監督に絶賛されたのである。ストラディバリが演奏者を操るように、ぼくはスコップの傀儡となって無心に穴を掘った。別の言い方をすれば、穴を掘ることでぼくは無心になれた。ここまで書いて思い当たった。地面に限らない。「すべての山を登れ」と、某修道院長が歌ったように、今もぼくはいたるところに穴を掘り続けている。

松竹梅

常連の奥様との会話。
今年の抱負から始まった話がこんな風になった。
「ところであなた、松竹梅の意味、ご存知?」
「知りません」
「嫁ぐ時の心構えなんですよ、松はね、根を横に広げてしっかり張る」
「なるほど」
「竹は、節目節目を大切にする」
「なんとなくわかります」
「梅は冬をじっと耐え、だれよりも早く目覚めて花を咲かす。太陽のように家庭を明るく照らすんです」
「女の人って大変ですね、楽しいことなんかなさそう。男でよかったな」
「そう。ところであなた、熟年離婚って、ご存知?」
今日もまた話は変なほうに向かっていく。

初ピーマンデー

あしたは休みだ、うれしいな~っ!
そう、わが店の定休日は月曜日。
しかし今夜は、いつもより21%ほど、喜びが薄い。
なぜか。
答え 明日が祭日だから。
ふつう、日曜日の夜、ぼくの顔は自然と緩む。
「サラリーマン諸君、テレビなんか見てないで早く寝たまえ、明日は仕事だぜ、いひひ」
ささやかな優越感に浸っているのだった。暗い…
平日は、どこに出かけても人出が少ない。
例えば当ブログでも話題になった、人気の某温泉だって空いている。
ああ、それなのに。
もし明日が祭日でなかったら、この温泉に行っただろう。
そういえば、友達夫婦も嘆いていたっけ。
「これまで体育の日が結婚記念日だったのに」
月曜日に祭日を移行するなんて、ピーマンの考えそうなことだ。

エーゲ海に行こう

Photo_12「日本のエーゲ海たー、ちぃーとふうがわりーのー」という題のついた某雑誌記事の写真に目が張りついた。それは瀬戸内海に面した、とある町へシャコとワタリガニを食べに行こう、という話なのである。見よ、皿に盛られたグロテスクな生物を。知らない方もいるかもしれないが、これは川の土手などに生息して草の根などを食し、人の目に触れることなく細々と暮らすつましい虫、「オケラ」である。というのはウソで、シャコである。しかしよく似ているな。
いつかはエーゲ海に行きたい。できたら、村上春樹がそうしたように、エーゲ海の小さな島に渡り住んで、春夏秋冬を味わいたい、と、しばしばぼくは夢想にふけっている。しかし、果たしてその日がくるかどうか不明だ。そこで今年の予定であるが、この瀬戸内海に面した、とある町へシャコとワタリガニを食べに行こう、と思うのである。ぼくはいつでも小さな幸せが好きだ。

くすり

眠れない夜が二日続いた。
一昨日は3時間も寝ていない。昨夜は4時間。
そのせいか、今朝は頭痛、腹痛、耳鳴り、目の痛み、口内炎のオンパレード。しかし、ぼくはめったなことでは薬を飲まない。病院に行くなど、もっての外。
昨日、お客様から、パンやクッキーを頂いた。
どちらも手作り。
ぼくの薬はこれである。手作りのパンやお菓子。
作った人の顔を思い浮かべ、作っている風景を想像しながら食べる。
これが効く。本当に効くんだから。

スタート

今日から仕事なのだった。
起床5時。30分後に家を出た。外は真っ暗。冬の5時半がこんなに暗いとは。点滅している信号を次々に走り抜け、店に着いたのが6時。昨夜は12時に床に就いたものの、なかなか寝付けず、ほとんど眠れないまま朝を迎えた。一週間続いた不規則な生活パターンのせいだ。やれやれ。ドアを開ける。店内の空気は年末のまま。まっさきに機械に火を入れ、ウォームアップ開始。いつでも先に目覚めるのは機械。ぼくはそれを眺めながら集中力を上げていく。今年最初に焼いた豆はキリマンジャロ。15種類の珈琲豆を焼き終えたのが11時。
2006年、珈琲豆の販売開始だ。

Pavlov’s Dog

Kenken
きょうで正月休みも終わり。
時計は夜の9時を回ってしまった。
今日は早く寝ないと、明朝5時起きである。
ああ、ぼくの気分は限りなく不透明に近いブルーなのだった。仕事が嫌いなわけではない。早起きも苦にならない。しかし、気分はブルー。
ん?待てよ?なんでだろう。考えてみると不思議である。長かったサラリーマン時代に固定化した条件反射的不幸感か。
休日が終わる→憂鬱。ブルーな気分。
まずいな。こりゃなんとかせにゃいかんかも。