コーヒーのない日々

このブログは日記なので、その日何が起きたとか何を思ったかなどを未来の読者、自分に向けて書いている。よって独りよがりで独善的な内容になって当然、というより、そうあるべきものなのだ。と、言い訳しながら書くところがぼくらしい。うまいコーヒーをここしばらく口にしていないのも、ひねくれた文章を書いてしまう原因なのだと思う。

写真のカップは売店で買ったもの。297円。それに熱い煎茶を入れて飲んでいる。やはりコーヒーの代わりにはならない。

実存主義的 環世界リブート中

窓の外をぼんやり見ていたら、ビル群の上をカラスが飛んでいる。なんでヤツは飛べるのだろう。しかもあんなに上手に。小学生の時、竹ヒゴと紙で飛行機の模型を作って飛ばしていた。動力はゴムひも、それでプロペラを回す。一方、カラスの飛行を支えるメカニズムは恐ろしく高性能だ。ひたすら合理的に作られており、精緻で無駄がない。その操作系を司るプログラムも高度にデザインされていて、これもただ呆れるばかり。ところで今ぼくはベッドに腰掛けてこれを書いている。必要あって人生の歩みにブレーキをかけた。昨日は有り余った時間を使って、久しぶりにユクスキュルの「生物から見た世界」を読んだ。100年前に書かれた本だが、今なお新鮮。この著書はぼくにとってはかけがえのない、まさにリブートに必要なツールとなっている。なぜなら、この本を初めて読んだ時、ぼくの世界観は180度転回した。以来、ぼくはこの主観的世界の中で生きていることを自覚しながら日々楽しんでいる。でも、常識的な日常生活は、気づかぬうちにぼくをそこから連れ出してしまう。そうなるとぼくの人生は冒険の様相を失ってつまらなくなる。

とかなんとか書いているうちに昼食が運ばれてきた。塩分がカットされているので、味があまりしない。ぼくの人生も、放っておくとそうなりかねない。
デザートマンゴー♪

誕生日を迎えて

今日は何もすることがない。朝、外に出ようとしたら二人の職員に止められ、外出禁止です!との事だった。昨日から本ばかり読んでるせいか頭が重い。ブックリーダーでたまたま選んだ本がどれも主人公が闘病生活をする話で、なんだか滅入った。気分を変えようとロビーで挽きたてを謳うカップコーヒーを買ったが、これがひどく薄くて力が抜けた。窓の外はビルの群れ、空は灰色、頭はカラッポ。このまま悟りの境地に入ってもおかしくない

雨の月曜日

月曜日の朝。小雨がぱらついている。ここは病院の近くにある公園。昔、ここに城があったという

一週間分の買い物を済ませ、ヨッパライ某が髪を切りたいというので、いつもの散髪屋さんで彼女を下ろし、ぼくは動物園横のバラ園に向かった

バラはまだほとんど咲いてなかった

もう、藤の季節が始まっている

失われた時を求めて

ぼくは疲れきっていた。遅い夕食を終え、テーブルを立とうとしたとき、ふと傍らに小さなお菓子の箱があるのに気付いた。ふたを開けると柏餅と桜餅が入っていた。ふだんはこういうものには手を出さないのだが、酔っていたせいか桜餅に手が伸びた。口に放り込むと懐かしい香りが広がった。と、突然部屋が天然色に色彩を帯びて明るく広がったように感じられ、思わずあたりを見回してしまった。そういえば、ある本に同じようなことが書いてあった。ただしそれは桜餅ではなくマドレーヌだったが。


しかし、お菓子のかけらのまじった一口の紅茶が、口蓋にふれた瞬間に、私は身ぶるいした、私のなかに起こっている異常なことに気がついて。すばらしい快感が私を襲ったのであった、孤立した、原因のわからない快感である。その快感は、たちまち私に人生の転変を無縁のものにし、人生の災厄を無害だと思わせ、人生の短さを錯覚だと感じさせたのであった、あたかも恋のはたらきとおなじように、そして何か貴重な本質で私を満たしながら、というよりも、その本質は私のなかにあるのではなくて、私そのものであった。私は自分をつまらないもの、偶発的なもの、死すべきものと感じることをすでにやめていた。

マルセル・プルースト 失われた時を求めて


なお、翌日ぼくは柏餅でも試してみたが、何も起こらなかった

花びらのじゅうたん

病院近くの城跡。朝早いせいか、だれもいない

歩道は昨夜の雨で散った花びらのじゅうたん。踏まないように歩きたいけど

昼から晴れるとのことで、南に向かった。怪獣池横のパン屋でランチ

コーヒーを飲んでいるうちに青空が広がってきた

潮が引くと歩いて渡れる島。よく見ると渡っている人がいる。残念ながら桜はほとんど散っていた

左に見えるのは灰を降らせる火山

金曜日の午後

某コーヒー店の隣であたりに甘い香りを漂わせているモッコウバラ。空は薄雲が広がり始め、太陽には暈がかかっている。天気は下り坂