アサーー!
ビニール袋に13個入って税別300円。けっこう甘かったです。
ぼくは安い、と思ったのですが、ヨッパライ某は高いと言っておりました
趣味と遊びが混ざったようなけじめのない仕事をしていたせいか、仕事を辞めたはずなのに、たとえば映画なら終わりの字が出て厳かに幕が下り、館内が明るくなって現実が戻ってくる。といった、はっきりした前後の区別がない。今日は日曜日で、毎日が日曜日のぼくでもこの日は家でごろごろしたり、むつかしい本を読んで人生の深みについて真剣に考えてみたり、とかするのが正統な日本人なのではないかと思うのだけど、朝からいろんな人が来て店で珈琲を飲みながら雑談をしている。仕事をしていた頃とほとんど変わらない。あいかわらず混然としている。変われない。それで全然かまわないし、楽しいし、不満もないのだけど、ほんとにこれでいいのか?と、もう一人のぼくがささやく。昼はヨッパライ某が作ったソーメンチャンプルー。久しぶりに食べた。今日のは魚肉ハンバーグを使ってあったが、むかしはスパムだった。スパムは一缶100円くらいだったのに、今は高級食品になって手が出ない
今日は病院。朝、7時21分のバスに乗った。時刻表では7時56分に到着するはずだったが、到着したのは8時27分だった。8時30分に来てください、とのことだったので、病院まで走った
帰りのバス。行きも帰りも本を読んでいたのだが、そのなかに「それは確かに恋する目で見る世界に似ていた。大空は人々と一体になり、鳥は人々を通して歌った」とあった。恋する目で見る世界。ぼくはすっかり忘れていた。退屈な風景も恋する目で見ると俄然、生き生きと輝きだす。そうだ、今日からぼくは恋する目で世界を見ることにしよう! いやー今日はいい言葉に出会えたぜ。ちなみにバージニアウルフの灯台へという本。寺田寅彦は随筆「科学者とあたま」でこんなことを言っていた。「頭のいい人には恋ができない。恋は盲目である。科学者になるには自然を恋人としなければならない。自然はやはり、その恋人にのみ真心を打ち明けるものである」。そう、恋する相手は人間でなくてもいい。愛の反意語は無関心だという。愛と恋は違うが、心を開き、関心をもって見つめれば、それは恋する目で見るのと同じ効果が表れるかもしれない
昼食はアベックラーメンで作る冷やし中華。ほんとにうまい。昼食を終えたころ金曜日の男が現れた。いわく、今日はなんの日か知っちょっか? 知らん、というと、トーフの日よ、10と2でトーフ。あ、そう。ぼくはそれで思い出した、昨日はコーヒーの日なのだった
昼食後、近くの運動公園に行って散歩。いつもの木々、せせらぎの音、空を流れる雲。関心をもって注意深く見つめる。恋する目で
写真を撮りながら小学生の夏休みの絵日記のよーな体裁を保ちつつ、書いた内容に責任を持つ気はない、というモットーのもとに書いているせいか、意外と長く続いている。今日もいろんなことがあったので、記録としてそれを書いておいた方がいいのかしばし考える。例えば、熱帯雨林からある工事に使う主要なブツが届いた。その工事は結構面倒だ。脚立を立て、体のバランスを取りながらドリルやいろんな工具を使って作業を進める。力も必要、かつ、指先を使う細かい作業を含むので目や神経も疲れる。作業の流れを頭に描き、イメージトレーニングをしたあと道具をそろえて脚立を立て、作業をスタートさせる。7時過ぎには終了させることができた。ほかにもいろんなことをしたのだが、短く書けそうにないので終わることにする
先月、台風が近づいた時、風のせいでミニトマトの苗の枝が折れまくり、無残な姿になった。無駄だろうと思いながらも折れた枝をヒモで支柱に固定して様子を見ていたが、そのうち忘れてしまった。最近、急に花が咲き始めたのに気づいていたが、今日、まじまじと見たら、折れた枝の付け根が盛り上がって宇宙生物のように見事に修復していた。トマトの苗を育てたのは初めてだったが、こいつはなかなか生命力があると思って感心した。来年も植えよう
海に台風がいるせいで低気圧病のヨッパライ某はダウン。ぼくは近くの運動公園に行くつもりでいたが、時々雨がぱらつくのでやめた
例年、レジの上で泳いでいるクラゲは秋分の日にいなくなることになっているのだが、忘れていたので、今日、段ボール製の家に帰ってもらうことになった
代わりに、Nさんからいただいたニールスボーアの原子模型をぶら下げた