ブリキの赤いミニ

ヨッパライ某の誕生会は参加者の都合により延期されていたが、一週間後の今夜、自宅にて無事開催されることになった。
昨日「食事は何にする?」と、娘からメールがあった。ずいぶん前、家族いっしょにソーメンが食べたい、と娘が言ってたのを思い出し、「ソーメンでどお?」と返信すると直ちに「いいね!」の回答があった。主役が何を食べたいかはあまり関係ないのだった。
食事が終わり、テーブルにケーキが載った。娘が踏切近くのケーキ屋で買ってきたモンブラン。ナイフを入れ、皿に分ける。プレゼントを渡す。

ぼくのプレゼントはブリキの赤いミニクーパー。結婚して間もないころ、彼女は車が欲しい、ローバーミニが欲しい、と、熱に浮かされたようにつぶやいていた。いつか買えるはずだった。しかし、ぼくが想定外の脱サラを強行し、借金をすると、以来、それを口にすることはなくなった。たぶん、あきらめたのだろう

スイカの匂い

夕食後、近くのスーパーに買い物に出かけた。目的のものを買い終わり、ついでにフルーツみつ豆の缶詰を買おうと探し回ったが見つけられなかった。代わりにスイカボールシャーベット、スイカ果汁5%入り、というのを見つけたので、それを買った。スイカ果汁やキュウリ果汁が入ってるやつは、ハズレをひくとカメムシの匂いがするが、これは大丈夫だった

夜の声

ニュースによると今日の最高気温は29.5度だったそうだ。でも、夏の空じゃなかったし、風は秋のようだった。ぜんぜん、わくわくしなかった。
さっきまで屋上に出て夜景を眺めていた。どこかでフクロウが鳴いていた。フクロウの声は侘しい。栄養失調の老犬がため息を漏らしているみたいに聞こえる

夢の中へ

数日前から風邪気味で頭がぼんやりしている。そんな時は変な夢を見ることが多い。今朝見た夢はまさに夢みたいな夢だった。ぼくはどこかの島の砂浜にいる。あたりは薄暗く、波打際から十メートルくらい離れたところに竪穴があって、そこから人が出入りしている。海の近くだから、穴の中は水浸しのはずなのだが。その穴は深く、途中枝分かれし、奥には住居があるようだ。なぜかその島には知人Aがいて、やつらはゾンビなのだと教えてくれる。ぼくはそこを調べに行くことになっている。そういう任務なのだ。穴に入ると、灯りはなく、真っ暗。ゾンビたちは暗闇の中でも普通に動き回れるようだ。その後が思い出せない。夢はまだ続いていたのだろうけど。朝起きて、今朝は変な夢を見たな~、とブツブツ考えながら、洗面所で顔を洗い、ハナをかんだら、ハナの中に砂がいっぱい混じっている。この砂はどこから来たのか。実は、ずいぶん前にも同じようなことがあった。その時は砂漠のようなところを歩いている夢をみた朝のことだった。同じように、ハナに砂がたくさん混じっていた。砂嵐の中を歩かない限り、こんなことは起きないんじゃないかと思うのだけど

文学を読むとはどのようなことか

昨日、ネットをぶらついてたら、ちょっと気になる記事に出くわした。それは「村上春樹、成功までのドキュメント!辛島デイヴィッド『Haruki Murakamiを読んでいるときに我々が読んでいる者たち』評、というもの。
記事の後ろの方に、こんな項目がある。以下抜粋


■文学を読むとはどういうことかについての示唆

本書の3つめの魅力として、文学を読むとはどのようなことかについての示唆がある。私は本書を読むまで、村上作品の英語版に大胆な編集や翻案が施されているという事実を知らなかった。さんざんアメリカ風(場合によっては無国籍風)といわれてきた村上作品のこと、翻訳に際しても縦のものを横にするだけでたいした苦労はなかったのではないかと安直にも思い込んでいた。だが、事実はまったく異なる。言い換えや補足といった翻訳につきものの作業だけでない。削除や省略、章や節のタイトル変更、はては章の順序の入れ替えといった大工事まで行われているのである。『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』や『ねじまき鳥クロニクル』の英語版を手にとってみてほしい。翻訳者や編集者による苦心惨憺のあとをうかがい知ることができる。また、これを承諾した原作者の度量の大きさも。つまり、読者がHaruki Murakami(村上作品の英語版)の新鮮なヴォイスに魅了されるとき、彼らはその制作に携わったすべての者たちのヴォイスをも同時に聴きとっているということだ。これこそ、レイモンド・カーヴァーの佳品をもじった本書の奇妙なタイトルに込められた意味である。


「私は本書を読むまで、村上作品の英語版に大胆な編集や翻案が施されているという事実を知らなかった。」とある。もちろん、ぼくも知らなかった。そして「これこそ、レイモンド・カーヴァーの佳品をもじった本書の奇妙なタイトルに込められた意味である。」と締めくくる。ぼくはギョッとした。大ヒットしたカーヴァーの短編小説集「愛について語るときに我々の語ること」は、その編集者、ゴードン・リッシュによって大幅な削除、翻案がなされていたことがあとで知られることとなった。カーヴァーの作品が商業的な成功を収めたのはこのゴードン・リッシュの作業によったと言っても過言ではない。おそらく記事の筆者はこのことを言っているのだと思う。つまり、村上作品の英語版は日本で出版された作品とはかなり違ったもので、その改変程度は甚だしく、ゴードン・リッシュの手によるレイモンド・カーヴァーの作品群に匹敵する、と。カーヴァーの作品が後にそう言われたように、果たしてこれは「村上春樹の作品」と呼べるのだろうか、と。もちろん、それはここでは肯定されており、それがテーマになっているのだけど

壁のフォトフレーム

2011年4月6日 水曜日
デジタルフォトフレームが届いたので、さっそく店の壁に取り付けてみた。変な写真も混じっているのだけど、お客さんの反応はとてもいい。

2015年7月24日 金曜日
店のフォトフレームが壊れた。かなり長い時間使っているのでもう寿命なのかもしれない。とりあえず疑わしい部品を交換。

2019年5月9日 木曜日
店のフォトフレームが壊れた。リセットしたり、いろいろやってみたが、写真が表示されない。購入して8年、修理して4年になる。毎日つけっぱなしだったし、そろそろ寿命なのかも。もう修理するのはよそう。

某F少年からもらったフォトフレーム。今まで使ってきたものより、かなり上等。

とてもきれいに映る。ぼくって、こんなに写真が上手だったのか、と、思わず見とれてしまう。

失敗の価値

中谷宇吉郎の随筆集を読んでたら、最近よく思うことと同じことが書いてあって、まったくそうだよな~、と、しみじみ思った。
以下、随筆「私の履歴書」より、彼が高等学校の入学試験に落第した話から


実は大学を出て寺田寅彦先生の助手になって、理化学研究所で働いていた頃、ある晩お宅へ遊びに行っていて、この落第の話をしたことがある。そうしたら先生が「そうか、それはよい経験をしたものだ。落第をしたことのない人間には、落第の価値は分からない」と褒められてちょっと驚いた。それから先生は「僕も落第したことがある。中学校の入学試験に落第したんだが、あれはいい経験だった。夏目(漱石)先生も、たしか小学校で一度落第されたはずだ。人生というものは非常に深いもので、何が本当の勉強になるかなかなか簡単にはわからないものだ」という話をされた。


人生においてほんとうに大切なことは、失敗して、眠れないほど悩まないと自分のものにならない。そんなことを最近、よく思うのです。フェリーニの「道」に出てくるザンパノもそうだよね

A LONG VACATION 2日目

昨日はヤブと化した庭を元の状態に戻す作業に没頭し、へとへとになってベッドに倒れ込んだ。元に戻す、と言ったが、言うまでもなく本来の状態に戻そうとしているのは「ぼく」ではなく「自然」の方だ。福岡ハカセはある著書で「生命とは動的平衡にある流れである」と言った。平衡が崩れると生命(自然)はその事態に対してリアクションを起こす

そして自然という屈強な生命体に戦いを挑んで疲れ切ったぼくも自ずとリアクションを起こす。つまり、苦いコーヒーと好きな音楽を求め、近くのジャズ喫茶に車を走らせる。自分を元に戻すために

A LONG VACATION 1日目

5月の連休は家のメンテナンスに充てることが多い。家というものは何もせず放っておくと廃墟化する。廃墟の雰囲気は嫌いではない。タルコフスキーの作品に出てくる雨漏りだらけの家とか不思議な魅力がある。でも、自分が住むとなると考えてしまう

家の庭を久しぶりに歩いてみて愕然とした。玄関から見まわせる範囲はそれほど問題はないのだけど、見えないところに行ったらひどいことになっていた。奥に植わっているクロガネモチに野鳥が集まってくる。それは構わない。でもその実を食べたお礼に、いろんな木の実の種を落としていく。グミ、ビワ、ヤツデ、アケビ、その他不明な雑木。おかげでふつうの庭にはあまり植えることのない変な木が所狭しと生えている。グミは100本近く生えていた。これは庭ではなくヤブだ。鳥のやつ、まったく余計なことをしやがって

シャベルを使って根回しをし、一本ずつ丁寧に抜き取っていく。大変な作業だ。時給1,500円でもやりたくない。藪の中には既に怪しい住民が潜んでいた

まるでガイコツ。なんて気色わるいカミキリだ。写真をヨッパライ某に見せたところ、わーカワイイ!だって。やはりぼくとはずいぶん感性が違う

ヨッパライ某が手水鉢で飼っているメダカが産んだ子メダカ

アークが出てました

スカイ・レストラン

午後、店のBGMをクラシックから日本の曲に切り替えた。そこに同年代の常連のお客さんがやってきて、カウンター席に座られた。井上陽水でもかけましょうか、というと、うーん、ちょっと暗いかな、と言いつつ、「それよりワイファイセットのあの声がとてもいいと思いませんか」とのことであった。