朝起きると青空が見えていた。台風は昨夕長崎をかすめ、日本海に抜けたらしい。西向きの窓からさわやかな風が吹き込んでいる。屋上に上がって遠くを眺めやると、いつになく指宿の知林ヶ島がはっきり見える。台風の後は、遠くまで見通せることが多い。今夜の星空が楽しみだ。ぼくは台風の後片付けをはじめた。飛んできた葉っぱや小枝を拾い集める。さらりとした、気持ちのいい風が吹き続けていた。見上げると天は高く、薄く広がったうろこ雲の下を、群れを成した羊雲が先を急いでいる。ずいぶん前に、どこかで同じ空を眺めていた。そんな気がした。風は見えないが、いろんなことをする。風車を回し、羊雲を追い、人の作ったものを壊す。夕方、風に吹かれながらビールを飲んだ。遠い山の端で、風車はいつものように回っていた。
(写真上は屋上から見える北の風車、下は西の風車)
炎の揺らぎ
台風が通過中だ。風と雨が原初的なリズムで叫んでいる。その間隔、強弱は恐ろしくセクシー。ぼくは好奇心をおさえきれず、屋上に出てしまう。雲は流れ、風が脈動している。しばらく無風状態が続いた。たいしたことねえな、と油断していたら、暴力的な風がドカンと来た。思わずよろめき、はいつくばって、あたふたと退散。規則的でもなく、ランダムでもない。人の脳は、こういうアルゴリズムに弱い。抗いきれない。生命のリズムが規則的でなく、かつランダムでもないならば、人がこのようなアルゴリズムに惹かれるのは理の当然なのかもしれない。人を口説く天才の才とは、ひょっとすると、このリズムなのでは、などと、突然くだらないことを思いついたりして。
vodka
さいきん、また酒を飲みだした。と言っても、寝る前に少しだけ。酒を飲むと、時は、あっという間に過ぎる。時間がもったいなくて、酔えない。でも、自分との会話には、酒がすこし必要だ。秋になると、自分との会話は、ちょっと、しんどい。もう一人の自分、My Friend. もう少しがんばろうか。
魔法の鏡
ミラーマンが、また事件を起こしたのだという。
ネット上の新聞にそう書いてあった。
わけが解らずに、本文を読んでみた。
やれやれ。
ぼくの知ってるミラーマンとは違う人だった。
荒井由美の歌に、「魔法の鏡」というのがある。
魔法の鏡を持っていたら
あなたのくらし映してみたい
もしもブルーにしていたなら
偶然そうに電話をするわ
つくづく思う。鏡は女の持ち物だと。
air
朝、エンジンがかからないことがある。
車なら…古い車は、チョークを引く。
濃い混合気がシリンダーに送られ、やがて火がつく。
心が弱ると、体も疲れやすい。
寒い朝は、チョークを引く。
ぼくのイメージする心は、空気エンジン。
それは空気で動き、風を送り出す。
空気エンジンのチョークは、ある朝、ゴッホのひまわり。
ある午後は、米米クラブの浪漫飛行。
空気と音楽と絵で動き出す、クラシックエンジン。
ちいさいひまわり
今朝のこと。川の手前のゆるい右カーブ。一群のひまわりが風に揺れていた。ひまわりの季節は終わったはずなのに。昨夜のことを思い出した。ぼくは、ある詩を見つめていた。広い野原。だれかが、ぽつんと一人、ひざを抱えている。そんな詩だった。
ブラジル
今日も天気が悪い。
ひまだなあ、と思ってたところに、常連のオジサンがきた。
オジサンと言っても、もうオジイサンに近い。
「ふられたよ」
顔色が悪いな、と思ってたら、開口一番、そういった。
「彼女に?」
「うん」
「はー、これが切れたんやろ」
ぼくは指でワッカを作ってみせた。
「わしは金は使わんよ」じろりと見た。
「ふーん、実力か。えらいね」
ぼくは本心で言った。
でも、考えてみれば、えらいというのも変だ。
「その、ブラジルを飲ましてくれ」
ぼくは、いつもより丁寧にいれてあげた。
「うまい。ほんとうにうまい」
目が輝いた。雲間から日が差したような笑顔だった。
雨のバス
今日は定休日。欲しい本があったので、遅い朝食をとったあと街に出かけた。中央駅の紀伊国屋でも良かったのだけど、今日の気分は天文館だった。てんもんかん。いい響きだ。テンモンカーンキンコンカーン、などと歌いながら、アーケードをスキップしたい気分だった。しなかったけど。junkudoで目当ての本を買った後、山形屋に行った。屋上でソフトクリームをなめながら、買ったばかりの本を読もうと思って。屋上は、なんだか暗かった。天気のせいかもしれないが、エネルギーを吸いとられそうな、ダークサイドな気配が漂っていた。ぼくはすぐにエレベーターに乗って降りた。1階に降りつくまで、エレベーターには、ぼくと、オペレーターのお姉さん二人きりだった。なんだか気まずくて、1階に着いたらほっとした。ソフトクリームをあきらめたせいか、シロクマが食べたくなった。ムジャキの二階でフツーのシロクマを食べた。とてもおいしかった。そろそろ帰ろうと思って、バス停を探した。皇徳寺行きのバス。長いことバスに乗ってないので、どこにあるのかわからない。ウロウロしてたら、ちょうどそこに来たバスが「皇徳寺行き」とアナウンスしたので、それに乗った。オレって、ついてる。フロントグラスを大粒の雨がたたいている。雨が激しくなってきた。傘を持ってきてないので、バス停から自宅までの100メートルをどうしようか、などと考えているうちに、車内にアナウンスがあった。「次は、終点、西公園前・・・」なぬ!目的のバス停まで、あと2、3キロあるじゃないか。ぼくは運転手に文句を言った。「あんた、皇徳寺小学校前まで行かんの?」「行きません」その顔はターミネーターのように無表情だった。ぼくはあきらめてバスを降りた。外は雨…。おや?雨が止んでいる。見上げると、ぼくの真上だけ青空が出ている。まるでモーゼ。オレって、すごい、カモ。しかし、いつまた降りだしてもおかしくない状況だ。ぼくは走った。靴下がだんだんズリ落ちていくのも気にせずに。
風立ちぬ
今日からぼくは心の旅人である。
今朝、ぼくは秋の魔法使いに出会った。
秋に限らず、心の世界には魔法使いがたくさんいる。
しかし、だからといってそれほど心配することはない。
魔法使いの呪文は、たいてい止まったままだから。
ちょっと気をつければいい。見なければいいのだ。
しかしぼくはその呪文に、よくひっかかる。
にわかに風が巻き起こり、ぼくの体なんか、わけなく吹き飛ぶ。
心の世界とはそういうところだ。
世界の終りと
むかし、仕事をサボって公園の駐車場で読んだ本のことを思い出した。それは、村上春樹の「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」。この本は、ヒトの心の深層に人為的につくられた世界を冒険するという、奇妙な小説。この本を思い出したのは、最近、茂木健一郎や養老孟司など、脳とか意識を扱った本ばかり読んでいるせいだと思う。世界の終りと~ をはじめ、村上春樹の作品に共通するモチーフは、脳科学者たちが追っている目に見えないイメージによく似ている気がする。優れた科学者だけが持つ、ある種の「勘」を村上春樹は備えていると思う。