黄色い花咲く丘

月曜日は定休日。
いい天気だ。こんな日は…
そう、こんな日は、好きな音楽を連れて、黄色い花の咲くあの丘へ。
ラララ、ランランランランラーン♪
——テーマ音楽は「森のクマさん」——-
しかし、今日もまた昨日に引き続き、首が痛くてベッドの中。
ベッドに沈んだまま、ぼくは思った。
人間の体って、奇跡的だ。恐ろしく良くできている。
首が治ったら、もっと体を大切にしよう。
しかし、体が治ったとたん、そんなことはコロッと忘れてしまうのだ。

いてていてて

第三日曜日で休み。
朝起きると、昨日の悲劇はさらにバージョンアップしていた。
頭を動かすと、首に激痛が走る。心臓が一瞬止まり、目の前に花火が上がる。例えるなら、クビのギックリ腰。
オレが何か悪いことをしたとでも言うのか。
せっかくの休みだというのに、まったくやるせない。
—–BGM Harry Belafonte Banana Boat—–

いててて

寝違えたようだ。首が回らなくなった。むりに回すと痛いので体ごと回す。なんだかロボットみたい。かっこわるいので、店にいらしたお客様に「寝違えちゃってね、えへへ~」なんて、いちいち言い訳していた。見た目は喜劇的だが、ぼくには悲劇だ。

冬の音

Mumin_022寒い朝。冬が始まったような寒さだ。ムーミン谷の住人たちは冬眠の準備を済ませただろうか。
ところで、このオルゴールみたいな楽器を持ってる人、なんて名前だったっけ。

強力わかもとの夜

Wakamoto_01
ここ数日、深夜に胃が痛くなって目が覚める。理由はわからない。
ぼくは薬を飲むのが嫌いだから、たいていガマンする。
しかし、睡眠不足はお肌に悪い。
そこで、強力わかもとを飲むことにした。
これは胃薬のような味がしないので気に入っている。
大人は一回9錠を飲むことになっている。9錠。なんか変だ。
9錠も10錠も同じじゃないかと思うのだが。
しかし、そのコダワリがぼくは好きだ。
ご存知かもしれないが、ブレードランナーという映画の夜のシーンに、強力わかもとのネオンが登場する。未来の都会には、強力わかもとと、今はなきPANAMのネオンが共存する予定らしいのだ。
つまり、ぼくは胃薬は嫌いだが、強力わかもとは好きだ。

薔薇の匂い

帰りに寄ったお客様の家。日本家屋の広い玄関。暗い白熱灯の明かり。廊下の隅に薔薇が数十本活けてあった。お客様は珈琲の代金を取りに奥の部屋へと消えた。薔薇が仄かに匂う。あっ、と思った。ぼくは靴をはいたまま四つんばいで薔薇に向かい、薔薇に顔を突っこんでいた。我に返り、急いで土間に戻ると、ちょうどそこに奥さんが戻ってきた。危機一髪だった。だが、もし何かあってもぼくに罪はない。もちろん美しすぎる薔薇が悪い。

20

個人情報を公開するのには抵抗があるが、実をいうと、数日前、風呂上りに体重計にのってみたら、体脂肪率が20と出た。これがはたしてぼくにとって良い数字なのかは分からない。しかし、20という数字は、なんとなく気に入らない。なんか、かっこ悪い気がする。とりあえず、19を目指そうと思う。

近くて遠い

どこまでも歩いていったら、どこに着くのだろう。
そんなことを考えていたこどもの頃。
空が青い。青い空。とても遠い空。
髪が青く染まるくらい空を見つめ。
とけて空ににじんだアイスクリーム。

新しいケータイ

Sa_so5ケータイを新機種に換えることにした。これまでmovaを使ってたんだけど、FOMAにした。movaを使い続けていたワケは、単にサービスエリアが広いから。ぼくはドライブが好きなので、ヘンピなところでも、ピッ、とアンテナが立って欲しい。最近知ったのだけど、今ではFOMAのサービスエリアもそうとう広がっているようだ。そこで今回、FOMAをチョイスすることにした。カタログを見ると、その機能の多さにビックリ。うんざりするほどの多機能ぶりだ。カタログを見ているうちに頭痛が痛くなってきた。機能の少ない機種を探すと「らくらくホン」という、黄昏族仕様の製品に行き着く。今使っているケータイは、音楽が再生できるのだけど、4時間もしないうちに電池が切れる。情けない。ほとんど使い物にならない。Sa_so94カタログをめくっていると、P903iという機種が目に留まった。70時間ぶっ通しで音楽を再生できるという。お、これなら使えるぞ、と思い、それを注文することにした。家に帰り、ネットでケータイの新機種を眺めていたら、SO903iという機種が俄かに気になりだした。余計な機能がないのがいいし、1ギガのメモリを内蔵してる。デザインも、セッケン箱みたいでキャワイイ。音楽も50時間再生できるという。さっそくNTTの知人に連絡し、こちらに変更してもらった。ただし、この機種はまだ市場に出てないそうだ。

黄色い炎の

初めてランプを買ったのは中学2年の時だった。なんに使うかといえば、洞窟や廃屋の探検、深夜の天体観測に使うのだった。センダンは双葉より芳し、というが、その頃既にぼくは暗い所が好きだったのである。そのランプは日本製で性能がよかった。というのは、こぞってマネをした友人たちのランプは中国製だったが、炎の形が悪く、暗かったのである。ぼくは一人優越感に浸った。幸せだった。ぼくは夜毎そのランプに火を灯し、部屋の明かりを消して音楽を聞いた。今思えば、ずいぶんシャレたマネをしていたものである。電気で灯る明かりは安全で便利だけど、生命感がないんだな。都市化とは管理できないものを排除していくことだろうけど、命(タマシイ)を排除したらなんもならんよね。人は生きるために生きてるんじゃないから。