オートマチック

思えば、ぼくの人生をつまらなくした理由のひとつが、車をオートマチックにしてしまった事だ。(と、断言したりして)
脳科学者、茂木健一郎の本を読んでると、「身体感覚」(だったかな)という言葉が出てくる。人は、使っている道具を自分の身体の一部として認識するようになるというのだ。たとえば、トラックを運転していると、その大きさを自分の体の大きさとしてシームレスに把握、認識するようになる。狭い道も、いちいち考えることなく通れるようになる。これは脳の働きによる。そこで思う。ぼくは車を運転するのが大好きだ。このような場で公表するのはよくないと思うが、ぼくは車を改造して狂ったように走り回っていた。見た目はまったくノーマルな車なのだが、ほとんどの部品を取り替え、限界まで馬力を上げて走っていた。何度も死に直面した。つくづく愚かだったと思う。脱線(笑) 今でも車は大好きだ。でも、今乗っているのはスポーツタイプではない。いわゆるファミリーカー。車はゼイタクな遊びだと思う。脱サラし、一度どん底に落ちた自分には(今もどん底だけど)ファミリーカーでも贅沢すぎるくらいだ。しかし、なにかが変だ。ぼくがぼくでない感覚がずっと続いている。日々自分の人生をドライブしていて、妙なもどかしさがつきまとう。ぼくには、マニュアル仕様の速い車が必要なのだと感じている。車はぼくの身体の一部だったのだ。

夢の分析

河合隼雄の本にハマっている。とにかくオモシロ怪しい。彼が扱っているのはユングの深層心理学なのだけど、読み始めると、なんだか狐につままれているような、イヤ~な気分になる。一見、デタラメ風。かなり胡散臭い。戯言の世界をさも本当のように論じているフシがある。しかし、ウケる。ぼくの少年的好奇心を甚く刺激する。少年時代、後ろめたさを覚えつつ覗いたサーカスの見世物小屋。その薄暗い覗き窓の奥には、親の因果が子にたたったとされる、三本足の女、あるいは鬼のようなツノのある男、などが潜んでいた。一方、河合隼雄の本に登場するのが、無意識という人類未踏の地に潜む、アニマ、アニムス、そして影。無意識とは、その言葉自身が定義している通り、言葉やイメージとして捉えることのできない、意識できない領域だ。心の深層にあるとされる。広辞苑には「夢・催眠・精神分析によることなしには捉えられない状態で、日常の精神に影響を与えている心の深層」とある。彼の本を読み始め、「無意識」に興味を持ったぼくは夢に注意を払うようになった。夢によって、無意識の世界を探索できるらしいからだ。じつは今朝方、夢を見た。最近、夢を見なかったので、チャンスと思い、すぐに分析を開始した。会社勤めをしてた頃の上司が現れ、にこやかな顔で、ぼくをなじるのである。彼はぼくの夢には初登場であった。はたして、このことが意味するのは…。ぼくは通勤途中の車の中で考え続けた。しかし、しっくりくる分析結果は得られなかった。店に着き、いつものようにコーヒー豆を焼いていると…
「よお、久しぶりだな、元気してるか?」
どこかで聞いた声…夢で聞いた声だった。
現れたのはなんと、夢でぼくをなじった上司だったのである。
最近ぼくは狐につままれることが多い。

ナカナカ使える

So903i_01_1カーオーディオに、iPodをつないで音楽を楽しんでいる人も多いと思う。ぼくは今までMDをつないで使っていたのだけど、先日、ケータイをSo903iに替え、今はこれのウォークマン機能を使っている。すべてのボタン操作がフタを閉じたままできるところがイイ。この操作ボタン、電話やメールを受信すると光ります。ムービーで見れます。見ないほうがいいかも。ブロードバンドじゃないと苦しいです)

フレンズ

ぼくのいいところは、欠点が多いところだ。だから、いいともだちが多い。ともだちも欠点だらけだ。だから気楽につきあえる。欠点のないやつはいない。多かれ少なかれ嫌なところがあり、問題がある。親友の一人は暴走族のリーダーをやって暴れ回っていた。でも、友人の中のだれよりも気がつく、やさしいおとこだ。親友の一人はいまだに塀の中にいるが、彼は友人のだれよりも動物好きで、小さな命を大切にする。親友の一人はとにかく口が悪い。ぼくの悪口ばかり言う。ぼくを怒らせて喜んでいる。しかし、ぼくが困っている時は、昼夜かまわず駆けつける。ともだちは、いつの間にか育つものだ。嫌な欠点や問題を肥料にして。肥料は臭く苦いかもしれない。でも、肥料なしでは育たない。

カッコワルイ

やっとおわった。やはりぼくはカッコよく生きられなかった。親友の一人が多大な借金を抱え、にっちもさっちも行かなくなっていた。会うたびに死にたいと漏らした。ぼくはどうすればいいのだろう。いろいろ方策を練ったが、いい案はないのだった。結局、ぼくにできることといえば、彼の借金の一部を肩代わりすることだった。簡単なことだ。深夜、「今オレは港にいる」という電話があった。それきり電話はつながらなくなった。車を飛ばし、堤防付近をずっと見て回った。海に飛び込みかねない様子だった。フェリー乗り場の待合室に彼を見つけ、家に連れ帰って泊まらせた。ともだちならどうする。持ってる不動産を売り、残債を引いて、少なくとも2000万は準備できる。彼の借金もそれくらいだ。親友とはいったいなんだろう。ぼくは決断できなかった。親友は店に来るたびに死にたいという。職もみつからない。夜中に目が覚める日が続いた。彼がかわいそうで悩んでいるのではなかった。自分の保身を優先する自分が許せなかった。今日、その友人が来た。いつもと様子が違う。死にたいとも言わない。明るかった。何かが見えたらしかった。ぼくはホッとした。でも、自分の醜さが変わったわけではもちろんなかった。彼は助けを求めた。ぼくは彼を助けなかった。彼にとって、ぼくは親友ではなかった。ぼくはカッコよく生きることはできない人間だった。

発火

青春時代。自分が何をやっているのか分からなかった。過去も未来もなかった。今がすべてで、遠くを見る余裕などなかった。ただただ、地面を這いまわっていた。虫は火に飛び込んで死ぬ。人は自ら発火し、自分を焦がす。時は過ぎた。今は同じことをやっても、どこかオモシロ半分な不真面目さが付きまとい、発火することがない。煙も出ない。作戦を変えなければ。

くしゃみ

風邪をひきかけているのか、くしゃみが良く出る。
そんな時、やっぱりというか
む、だれかウワサしてるな
などと思う。

大地の声

吹きすさぶ風。砂が舞い上がり、前が見えない。ぼくは砂漠を歩いている。人の言葉が心の奥深くに達することは稀だ。せいぜい最初の門で力を失い、風のように消える。魂の扉をたたくことさえできない。たしかに扉は扉として機能している。それはかけがえのないものを守っている。やさしさは透き通ったからだの向こうにある。人の中にそれを見つけようとしても、そこにはない。やさしさは人の中にはない。大地の声。感謝と畏れの念を抱かせるもの。それは人を通して聞こえてくるが、人の中にはない。創られたものは創ったものに勝ることはない。大地の声。扉はその時、開く。

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微熱少年モード終了

人生いろいろあって、ぼくはそれぞれの状況に適応するモードを選んで自分を変化させているわけだけど、とりわけ気に入ってるのが「微熱少年モード」
ぼくの中の微熱少年は、たとえば心にダメージを受けると、それを独自の美学を駆使して変換し、芸術の域にまで昇華させる努力をする。現実はみっともない状況であっても、それをまるでフランス印象派の絵のごとく、原色の粒子を星のようにちりばめて表現しようとする。たとえば、描こうとする絵の中をニワトリがひょこひょこ歩いていると、それを白く輝く白鳥に変換して配置する。そのあたりをヌケヌケとやって涼しい顔をしてるのが、ぼくの中の微熱少年なのです。
あと2~3日続けたかったのですが「そんなもん、さっさとやめなさい」と声がかかったので、やめます。

湯気

店の暖房を入れた。
この冬初めて。
ぼくは寒さがあまり分からないのだけど、今日はどうも寒いような気がする。
お客さんに聞いてみた。
「店の中、寒くないですか?」
「寒いですね」即答だった。
すぐに暖房を入れた。
冬だ。
いれたコーヒーから白い湯気が立ち昇る。
あたたかさが恋しくなる季節。