検索ワード

ここ数日googleからのアクセスが急増している。なぜか。ある検索ワードで当ブログが引っかかるせいである。その単語は「おそそ」。試しに「おそそ」で検索をかけると、トップページに「生活の記録」の文字が浮上する。原因は数日前の記事。当ブログにリンクしてもらっている「Bura Bura」のrogiさんは「ブラジャー」でアクセスしてくる人が多いと嘆いていたが、なぜかぼくは素直にうれしい。

1+1=

Singanヒマだったので、F少年から借りた吉本隆明著「真贋」を読んだ。読み始めてすぐに強い違和感が立ち上がった。論理的な文章なのに、1+1が2にならないような気持ち悪さが常につきまとう。ぼくの思考回路をスムースに流れてくれない。居心地が悪くてしょうがない。3分の1ほど読んだところでヤーメタ、と投げだした。しかし、何か深いところで引っかかるものがある。ふとセレンディピティという言葉が浮かんだ。これは脳科学者、茂木健一郎が時々取り上げる概念で、偶然やってくる幸運を手に入れる能力のこと。偶然やってくるわけだから、手に入れる準備など出来ない。しかし、その能力を高めることは可能だという。たとえば「イヤなやつ」と感じた相手と付きあってみるのもその一つなんだそうだ。つまり、相手が自分にない物を持っているが故に拒否反応が起こる場合もある、というのである。ぼくは今回の吉本隆明著「真贋」にそれがあったような気がする。ぼくは口では「1+1は2にならなくても不思議じゃない、とか世界はグレーゾーンで出来ている」などと得意になって言うが、本音は違う。1+1が2にならないと、ひどく不安だ。この著書の作者あとがきに次のような文がある。(以下抜粋)
・・・たとえばルカーチのような哲学者は逆に現実のほうを定義に合わせて、修正したり、細説したりする。まさかと思うかもしれないが、無意識のうちに理念の重量と現実の重量が逆倒してしまっている・・・
これを読んで納得がいった。ぼくにはそういうところがある。実は、ウスウスその問題に気づいていて、ジタバタしていたのだ。しかし、今わかった。その手法さえ逆倒していたことに。

あの鐘を鳴らすのは

ぼくは信号待ちをしていた。ふとルームミラーに目をやると、後続の車の若い姉ちゃんが、首をふりふり、口をパクパクさせている。なにか歌っている様子だ。実にアホっぽい。だが気持ちはわかる。というのも、ぼくもつい、好きな歌がかかると、歌いはしないがボリュームをグッと上げてしまうからだ。先日も某国営ラジオで和田アキ子の「あの鐘を鳴らすのはあなた」がかかったとき、車は信号待ちで止まっているにもかかわらず、窓を開けたまま大音量で鳴らしてしまった。この時のぼくの心理は、つまりこうである。
「ホレみんな聞け、いい歌がかかったぞ、いっしょに感動しようではないか」
言うまでもなく余計なお世話である。だれも朝から和田アキ子の太い声など聞きたいとは思っていないのだ。この心理は「走る魚屋さん」も同じようである。その移動販売車は当店の前に毎朝10時半にやってくる。そして聞きたくもないねっとりした演歌を大音量で鳴らす。夜はまあいい。でも朝鳴らすのはやめて欲しい。

口癖

さっき、某TV局から電話があった。
「最近、コーヒー焙煎店が増えてるようですが、どういった理由が考えられるんでしょうか」
う~ん、めんどうなこと聞くなぁ。わかんないなぁ。
コレといった理由が浮かんでこないので、思いつくまま適当なことをしゃべっていると
「今週の金曜日の番組で、そういう特集をするんです。あとで伺ってもいいですか?」
いいよ、ヒマだし。
というわけで、あとで取材が来ることになった。
ところで、つい、「ヒマだし」と言ってしまうクセが直らない。直そうと思うんだけど、なおらない。

Are You hungry?

みなさんはどうだろう。ぼくは、おなかが少し減っている状態が好きだ。腹が減ると、ぼくの行動力は明らかに増す。頭が冴えるし、力もみなぎってくる。これは動物的本能によるものだ。野生動物のほとんどが、その活動時間の大半を採餌行動に費やしている。空腹は野生動物にとって命に係わる危険信号だ。だから、動物は空腹時にこそ、その能力を最大限発揮する。その点、人間も動物と変わらない(と思う)。持っている能力を効果的に引き出すために、ある程度空腹状態をキープするというのは理に適っているといえる。

夜のキムチ

今日は日曜日。ぼくは仕事。投票を済ませ、いつものように出勤。桜は満開だけど、接客業だから日曜日は休めない。接客という仕事には案外知られていない苦労がある。ぼくは餃子とかキムチなど、けっこうニオイのキツイ食べ物が好きだ。しかし、対面販売に口臭は禁物。ニンニクのニオイをプンプンさせながらコーヒーの販売をするのは、たぶん、マズイ。だから、朝食、昼食はもちろん、夕食もニオイのきつい食べ物はとらない。思う存分食べれるのは休日の朝、昼と、前日の夕食ということになる。今夜はお客さんから頂いた、中国人の友人が作ったという、ニンニクと唐辛子たっぷりの本格キムチを食べた。もちろん、明日は休みなので思う存分食べられる。ただ、少し気になるのは、明朝9時に予約した歯医者のこと。

言葉のジャングル

いつものように友達のブログをまわっていたところ、「おそそわけを頂きました」という文に出会った。ん?「おそそわけ」?そりゃ「おすそわけ」の間違いだろう? と思い、その旨をコメントした。しかし、後になってそのことが気になりだした。最近、ぼくは自分に対して注意深くなっている。つい先日も「黄」という漢字を、ン十年間、まちがって憶えていた事に気づいたばかりなのだ。そう、最近ぼくは自分の知識に自信がない。さっそくGoogleで検索をかけてみた。まずは「おそそわけ」
ガーン!出るわ出るわ、約1,290件の「おそそわけ」の記事がヒット。ぼくは青くなった。間違っていたのはぼくだったのである。どうしよう。気を取り直し、「おすそわけ」で検索してみる。すると、約939,000件の記事がヒット。ぼくは胸をなでおろした。「おすそわけ」も間違いではなさそうだ。では、どちらが正しいのか。ぼくは「おすそわけ」と「おそそわけ」でアンド検索をかけてみた。すると、次のような文が引っかかった。
ワタシの伯父さんは北海道の砂川で農家をしています。夏、秋に収穫のおそそわけをくださいます。その量が半端ではないので、さらにおすそわけもします。(友人諸氏、取りに来てね)とにかく葱の匂いが充満している我が家です。
ぼくは混乱してきた。どうやら「おすそわけ」と「おそそわけ」は別モノのようである。広辞苑をひくと「おすそわけ」は「もらいものの余分を分配すること」とある。漢字で書くと「お裾分け」、裾を分ける、である。では、「おそそわけ」とはなんだろう。残念ながら広辞苑には載っていなかった。おそそを分ける、という意味なのか。さっそく「おそそ」で検索をかけてみた。すると…
マ、マジっすか!?

根拠なき自信

けだるい金曜の午後。カウンターでコーヒーを飲んでいた女性二人に質問してみた。
「あなたは今、人生をどれくらい意欲的に生きてますか? 5段階で評価してください」
○若いほう 「うーん、4くらいかな」 (はにかみながら)
○そうでないほう 「5!」 (臆することなく)
実はこの質問、脳科学者 茂木健一郎著「感動する脳」からの引用です。それによると、
「きわめて曖昧な質問で、答える人も『うーん、3か4くらいかな』と適当に答えます。ところが、この適当に答えた結果が、中枢の脳活動ときわめて精密に対応していることが分かってきました。つまり、自己評価が高い人ほど、脳の活動も活発であるというわけです」
即ち、「ふっ、オレは人生を意欲的に生きているぜ」と勝手に思いこむだけで、脳の活動が活発になるというのです。ウソみたいですが。そこで著者は次のように提案しています。
「意欲がなくなっていると感じたら、意欲を持っている時の脳の状態をつくってしまえばいいわけです。別に具体的な目標などを探さなくていい。無理して何か始める必要もない。とにかく意欲ある脳をつくってしまう。そして一度つくってしまえばしめたもの。脳のインフラが勝手に整備されますから、自然にやる気が起こってくる。やる気が出てくれば、具体的な目標も次々と生まれてくるでしょう」
調子が良すぎる感じがしますが、脳科学者が言ってるんだから本当でしょう。さて、この「意欲を持っている時の脳の状態をつくる」方法ですが、とても簡単です。興味ある方は本を買って読んでみて下さい。ぼくは例によってF少年からタダで借りました。
茂木健一郎「感動する脳」PHP研究所 定価1400円(税別)

オレンジの匂い

Orange_01当店のビルの屋上にはプチ農園があり、ほうれん草やパセリ、レタスなど季節の野菜が植えてある。高い場所にあるせいか害虫が来ない。だから無農薬。その隅にレモンとオレンジの木が植えてあって、毎年数百個の実をつける。それらの肥料は、当店のコーヒー滓だ。ヒマなときぼくが屋上まで運んでいる。運んだついでに、オレンジを10個ほどちぎってくる。それを絞り、ジュースにして飲む。芳香豊かで実にウマい。しかし難点がある。店に充満しているコーヒーの匂いとオレンジの匂いが混ざって複雑な匂いになる。さっきいらしたお客さんも、あたりをきょろきょろ見回し、「なんだか変わった匂いがしますね」とおっしゃった。