aja

Aja
京都の食い物といえば、なにが浮かぶだろう。
まずは、なんといっても「ぶぶ漬け」であろう。
(ぶぶ漬けについての考察は長くなるので省略)
次に「ヤツハシ」
ご存知、餃子の皮であんこをくるんだハッカ風味の和菓子。
これはウマい。
「京都に行くんだけど、土産は何がいい?」
もし、そうたずねられたら
「柔らかいほうのヤツハシ!」
と、ぼくは即答するであろう。
(今のところ、だれもたずねてくれないが)
しかし今日、ぼくの考えは劇的に変わってしまった。
つまり、もし、もしもだれかが
「京都に行くんだけど、土産は何がいい?」
ときいたなら、迷わず
「阿闍梨餅(あじゃりもち)」
と、答えるであろう。
餅のデザインもいいし、とにかくウマい。
(写真は阿闍梨餅が入っていた袋)
P.S.
ところでマスターさん、きな粉は何に使うの?

どうにも止まらない

今使っている掲示板は、ケータイで撮った写真を投稿できるので重宝している。もちろん、このブログでも同じことができるのだけど、ぼく的には、ブログというものは字をいっぱい書かないといけない、ような気がするのだ。でも、ケータイで字を打ち過ぎて腱鞘炎になったら困る。で、ぼくが言いたいのは何かというと、今使っている掲示板は写真が送れて確かにいいのだけど、どういうわけかケータイから送信した動画を取り込むことができない。で、ネットを探し回ってみたところ、なんとなく良さそうなCGIが見つかった。それをいじくりまわしてたら、あっという間に夜中の3時。熱中していると時間の感覚が狂っちゃう。仕事もそうだといいんだけどね。

感じるけど分からない

風に吹かれていると変な気分になる。
分かる、とは、分けることだ。
分けて、どこまでも分けて、素粒子に行き着く。
分けられたもの同士の関係が、法則だという。
真理とはなんだろう。科学は真理を解釈するのか。
風に吹かれていると変な気分になる。
なにかを感じるけど分からない。
分からないけど感じている。それで十分。

8minutes

雨がぱらつく中、いつものように店に向かって車を走らせていた。曲がりくねった急な坂を下っていると、車の後部で変な音がしはじめた。車を降りてみると、案の定、後ろのタイヤがパンクしている。ばーさんのオッパイみたいに見事ひしゃげている。やれやれ、出勤途中だというのに。しかも雨。くそっ!
ブツブツ言ってるヒマはなかった。ぼくは記憶書庫からタイヤ交換プログラムを呼び出し、起動させた。こういう作業は、いったんやり始めると案外楽しい。道路がぬれていたために腹ばいになれず、ジャッキの皿を当てる場所を探すのに少し手間取ったが、滞りなく作業は終了。所要時間8分であった。

principle

先日、ある人の伝記を読んでいたら、しきりにプリンシプルという言葉が出てきた。
日本語に訳すと何だろう。
原理、原則、主義、道義、節操、徳義
ぼくにプリンシプルはあるだろうか。
他人が作ったスルメのようなプリンシプルをなぞっているだけじゃないのか。
そう思った瞬間、ぼくは立ち止まった。
いや、今までもずっと止まっていたのではなかろうか。
果たしてぼくは、ぼくの人生を歩いているか。
怪しくなった。とっても。
その夜、ぼくはひどい自己嫌悪に陥った。(よくあることですが)
といいつつ、今はだいぶ回復しています。(単純)

星空

昨夜は、空気が澄んでいたのか、星がきれいでした。
さそり座のSの字が南の空の横たわり、アンタレスの上で木星が輝いていました。
ぼくはベンチに寝そべって、ぼーっと空を見てたんですが、流星を三つ見ました。
こんなことを書くと、やっぱりコイツはアホだ、と思われるでしょうが、どうせアホなので書きます。
「オンナなんかより、星空のほうがずっと神秘的ですごいや」
ぼくは心からそう思って、星空を眺めながら感動してたんです。
オンナと星空を比べるのはおかしいと思うのですけど。
今夜も、雲が晴れたら星を見ます。

平凡

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午後、店の屋上に上がってみた。ナスの花が咲き、ニガウリのつるが風に揺れていた。ここでは、毎年今頃になると、同じ風景が狂いなく再現される。年老いた一人の男が、屋上の小さな畑に、毎年飽く事なくナスとニガウリを植えている。
070620_02そうして来年も再来年もナスの花は咲き、ニガウリのつるは風に揺れる。それは永遠に続くかにみえる幻の風景。
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ファーブルな午後

昨日は一昨日に引き続き休日であった。珍しくショッピングセンターに買い物に出かけた。レジの近くでぼんやりしていると、突然、小さな女の子が大声で泣きだした。迷子であった。ぼくは久しぶりに本物の迷子を見た。その数分後、どこからか母親が駆け寄ってきて感動の対面があった。ちょっとしたドラマであった。家に帰って、屋上でぼんやり雲を見ていた。雲はいつまで見ていても飽きることがない。ファーブルは一日中道端にしゃがんでアリを見ていたという。ときに、老人が同じところをじっと見つめたまま動かないことがある。ぼけているのかもしれないし、案外、死んでるのかもしれない。ぼくはだいじょうぶだろうか。