アンモナイト

水曜の朝はあいまいな空気感がある。
時間も定まってないような気がする。
こんなことを言うと、女性の思考回路は一瞬たじろぐ。
ぼくの机の中には、小さいけれど、アンモナイトの化石がある。
きれいに磨かれたアンモナイトの化石は宝石のようだ。
これなら女性でも興味を持つかもしれない。
ぼくは化石を見つめ、これが生きていた姿を想像する。
でも、きっと、女性はそんなことはしない。
女性にとっては、化石は数ある石のひとつでしかない。
きれいに磨けば、別の意味で興味を持つだろうけど。
概して男はロマンチストだといわれる。
時に10は7であるし、また100である。
女性はそうじゃない。10は10でしかない。
「水曜の朝はあいまいな空気感がある」
ぼくはこんなことを言いがちだ。
でも、きっと女性はこういう。
曖昧なのは、あなたのノーミソ。

カッコ悪い話

Photo_24「ウディ・アレンって、いつも美女といっしょで、うらやましいよね」映画の話からウディ・アレンの話になった。たまたまウディ・アレンを特集した雑誌があったので、カウンター越しに彼女に渡した。ページをめくっていた彼女の手が止まった。
「こんなカッコウしてみたいな」
どんなカッコウかと思ってのぞいたら、ウディ・アレンに美女が詰め寄ってる写真だった。ぼくだって、願わくば美女にこんなカッコウ、されてみたい。それにしても、彼女も思い切ったことを言うもんだな、と、そのときぼくは思った。しかし、違ったのだ。彼女の言った「カッコウ」とは、美女の着ている衣装のことだったのである。ぼくは彼女が帰ったあとでそのことに気づき、情けなくなった。

Start

Piano_02_1プロに頼むことで、ピアノの移動はあっけなく終わった。そうなると、あとの問題はぼく自身である。いよいよ、ぼくはピアノの練習をしなくてはならなくなった。今日は定休日、ピアノの本を買いに出かけた。まず、時々利用しているブックオフという古本屋で物色してみた。
ない。辛うじて「大人のためのバイエル」という教本が見つかったので、それを購入。105円。近くの本屋を2軒はしごしたが、どちらにもなかった。家に帰り、雑巾片手に、一生懸命ピアノを拭いた。ピカピカになった。机を片付けたからといって勉強をしたことにならないのと同じで、いくらピアノを拭いてもピアノがうまくなるわけではない。ぼくは孤独だった。ぼくはバカなことを始めてしまったのだろうか。

8400yen

27日の朝、ピアノを移動させようとしてぼくが発生させたエネルギーは、行方を見失って迷走、ぼくの腰を誤爆した。ピアノに罪はなかった。主人が床に伏したことを知らないピアノは、渋谷駅の忠犬ハチ公のように、いつまでも部屋の隅に佇んで、じっとぼくを待っていた。ぼくはそんなピアノが不憫に思えてならなかった。だが、ぼくには再びピアノを自分の手で動かそうという勇気はない。ぼくはピアノ運送屋に電話をした。
「あのー、ピアノを部屋から部屋に移すのに、いくらかかるでしょうか」
税込みの8400円であった。案外安いものである。ぼくはお願いすることにした。最初からこうすれば、ぎっくり腰になって7000円もする高価なベルトを買わなくてすんだのだった。

雨の花見

今夜は店のお客さんたちと花見。あいにく天気は下り坂。甲突川べりに確保してあった花見会場は急遽Sさんちのガレージに変更された。ガレージと言ってもケッコウ広く、フェラリが3台、楽に格納できる広さだ。メンバーは約15名で、美男美女ばかり、という触込みである。会場に着くと、桜の花もすでに壁際に飾られ、用意万端ととのっていた。「では、開会の挨拶を」と、koji氏から見えないマイクを渡されたぼくは「あー本日は好天に恵まれ…」などとテキトーなことをモゴモゴいってさっさと乾杯した。席に座るとぼくはさっそく、昨夜、某掲示板で話題になった、じとさん手作りのおでんを所望した。「こ、これは」大根を一口食べて絶句した。恐ろしいほどに完璧な仕上がりである。花の独身男が一人で作ったとはダレひとり信じないだろう。南薩支部のもっちゃんが作ってきたチマキにも驚いた。だしは小エビであろうか。うますぎる。わざわざ海に行って取ってきたという、トコブシ、ミナ、カラスガイも絶品。どれもが熟練の母の味だ。なぜ彼女がいまだに独身でいるのか謎である。サカモトさんが持ち寄ったのは、手作りそーめんチャンプルー・スペシャルとどこかで買ったコロッケ。確かな審美眼を持つ者によって選ばれたコロッケは、さも当然のようにアートなうまさを誇っていた。麦の花さんが作ったという「きゃらつわ」が手許にまわってきた。なんという奥の深い、侘寂の効いた日本のルーツ的な味であろう。まさにソウルフード。ぼくは遠い目になって、いつしか歌を口ずさんでいた。「うーさーぎーおーいし、あーのやーまー」。酔いが回っていい気分になったところで、どこかで「ぜんざいを食べたい人は?」との声があった。「おー、くれ、くれ」ぼくは叫んだ。shinoさん特製白玉ぜんざい。それを無心に食べてると、Qえもんさんが「ぜんざいを食べてる写真を撮るからポーズを」という。しかし、すでにお椀が空っぽだったので、お代わりをした。酔ったぼくは隣に座ってたshinoさんのお父さんを相手に、いつものように究極の女性論を展開していた。すると、きみさんの手作り「桜の葉の塩漬け入りシフォンケーキ」が出た。塩味という、意外性のある不思議なうまさだった。いつものことだが、ぼくは食べてばかりいたようだった。

別れの朝

ぎっくり腰になって四日が過ぎた。潮が引くように腰の痛みも消えつつあった。ぼくは静かに悟った。チャンピオンベルトに別れを告げる時がきたことを。いつまでも過去の栄光に浸っていると人間は堕落する。ぼくは思い切ってチャンピオンベルトと決別することにした。
さようなら、ぼくの白いチャンピオンベルト。
いつかまた腰にする日まで。

額縁の中の二人

朝、いつものようにCDをかけながら店の準備をしていた。
一度は愛しあえた二人が石のように黙る
流れていた曲は大滝詠一のVelvetMotel.
一度は愛しあえた。
なぜかその言葉がいつまでも耳で燻り続けた。
一度は愛しあえた。
Perfect!一度は愛しあえたのならそれで十分。
男女の愛は虚構だから。
森羅万象に属する自然の策略だから。
酔うほどに醒める安い酒。
ところで、一度は愛しあえた?

静かな夜

仕事を終え、家に帰ると、だれもいなかった。どの部屋も真っ暗で、ひっそりしている。家人は皆、福岡に行っているのだった。今日明日2日間、ぼくは一人なのだ。
「さーて、何をしようか」
そうつぶやいてみると、妙にわくわくした気分になった。まるで留守を預かる子供だ。冷蔵庫にあるものを適当に料理し、晩飯を済ませ、映画を見始めた。腰が痛いので、ソファに横になって見た。F氏から借りていた「アトランティスのこころ」
地味だったけど、なかなかおもしろかった。スタンプカードの印刷を終えて茶碗を洗った。風呂に入り、洗った洗濯物を干した。メールチェックを済ますと1時になっていた。
静かで楽しい夜だった。
明日の夜は、何を食べようかな。

チャンピオンベルト

計らずしてチャンピオンベルトを腰にする栄誉に預かった。鏡の前に立ち、腰のベルトに手をあてたとき、ぼくは思いがけず胸が一杯になった。力道山は強かった。無敵だった。これはプロレスの話である。彼がチャンピオンベルトを高く掲げ、ファンとともに勝利の勝どきを上げる姿を今もありありと思い出す。彼のベルトは自宅のテレビが白黒だったせいで黒かったが、今、鏡の向こうでぼくのベルトは純白に輝いている。
「中山式腰椎医学コルセット」
ぼくのベルトの名前である。薬局で売っている。

ピアノは重かった

Piano_01ぼくの小さな夢は、ピアノが弾けるようになることだ。ピアノは娘の部屋にある。その娘がこの春、福岡に旅立った。娘の部屋は窓が三方にあり、風通しが良く、開放的で明るい。しかし、窓が多いということは、音が外に漏れるということでもある。一方、となりの部屋は窓がひとつしかなく、しかもそれは道路を挟んだ空き地に向いている。その部屋だったら、近所に気兼ねなく、朝な夕な、存分に練習ができる。というわけで、ピアノをとなりの部屋に移すことにした。今日は定休日。朝からさわやかに晴れている。朝飯前に、パッと済ませてしまおう、と、ぼくは軽い気持ちでピアノを持ち上げた。つもりだった。びくともしない。信じられない重さだ。仕方なく、先にウォーミングアップを兼ねて机を運ぶことにした。事件はその時起こった。机を持ち上げたとたん、腰に激痛が走った。いわゆる、ぎっくり腰である。その凄絶な痛みを人は「痛みのチャンピオン」と呼んでいる。かもしれない。歩くのはおろか、立つこともできない。無理にピアノを持ち上げようとした時点で腰に異変が起きたのだろう。額に脂汗をにじませ、ぼくは這うようにして、まだ温もりの冷めぬベッドに引き返した。