ぼくはベッドでうとうとしていた。すると、閉じたまぶたの向こう、暗闇の中にオレンジ色の雲のようなものが現れ、渦を巻き始めた。何だろうと思って、ぼくはそれを眺めていた。雲はめまぐるしく変化し、ぼくになにかを語りかけてるように感じられた。なぜかぼくはそれを無意識に了解しているようで、会話は成立している様子だった。ぼくは冷静だったし、怖くなかった。金縛りも起きなかった。どうやらぼくは酒を飲まなくても酔っぱらうことができるらしい。
バルブ
距離
久しぶりにサン・テグジュペリの「星の王子さま」を読んだ。読み始めてみると、たしかに以前読んだ記憶がある。そのときは、有名作家の書いた洒落た絵本くらいの感覚で読んだのだと思う。読んで驚いた。同じ本なのに、まるで別もののようだ。
人と人を隔てるもの。たとえば距離。この本は、いつもぼくの傍にあった。でも、離れていたのだ。
星の王子さまはぼくに言った。
やあ、やっと会えたね。ぼくはずっと待ってたんだよ。
ぼくは言った。
ぼくも会いたかったよ。
でも、君と会うには、少し時間が必要だったんだ。
カボチャの思い出
小さかった頃の話。カボチャをくりぬいてローソクを立て、庭の畑を囲っている木の柵に、いくつもぶら下げた。今の時期になると思い出す。ハロウィーンだったのだと思う。毎年やっていたような気もするが、主催者が世を去り、わが家のハロウィーンも消えた。ハロウィーンは古代ケルト人(特にアイルランド)の風習に由来する。ジョイスのユリシーズを読んで以来、アイルランドは特に気になる国だった。写真集で見た岩だらけの海岸。忘れられない。どうしてこんなにアイルランドに惹かれるのだろう。
先日、ビデオでタイタニックを観たんですが、ジャックとローズが3等船室で踊るシーン。あの演奏はアイルランド音楽ですよね。あれがなければタイタニックもイマイチでしょう。黒ビールも飲みたいし。よーし、いつかいくぞ、アイルランド。
青りんごタイムマシン
このまえから店で使っている洗剤は、青りんごの匂いがする。
コーヒーカップを洗うたびに、青りんごの匂いが立ち昇る。
すると、思いがけず、むかし住んでたアパートを思い出す。
風景が浮かぶというより、今がその時になったような錯覚を起こす。
そこでぼくはその洗剤を「青りんごタイムマシン」と命名した。
他にも、ここに書けないようなことを思い出す匂いがある。
たとえば、コパトーンタイムマシンとか。
ブログの効用
昨日は、どうでもいいようなことを一生懸命考えていた一日だった。で、その結果、答えのようなものが見つかったかといえば、疲れただけ。小さなスプーンで穴を掘ってるような気分だ。すくって邪魔になった土が穴の周りに積みあがっていく。その一部は、時々ブログに記される。なんだか無駄な作業に見えるが、そうでもない。なぜなら、昨日はこれで良い、と思って述べた考えが、今みると、ひどく偏狭なものに見える。ブログも消し去ってしまいたいと思う。昨日のぼくと今のぼくは違う。
同じ方向を
ひまだったので、お客さんからお借りしていた河合隼雄「イメージの心理学」を読んでいたところ、次のような文に出会いました。心理療法についてのくだりです。
…現代人がその喪失に悩んでいるような関係が、治療者とクライエントの間に成立すると、過程が動きはじめる。そのときにまず詩的言語を語るようになるのはクライエントのほうであろう。とすると、それを小説の場合になぞらえると、クライエントが作家であり、治療者は読み手ということになる。この両者の関係について、大江健三郎は次のように述べている。「小説をつくり出す行為と、小説を読み取る行為とは、与える者と受ける者との関係にあるのではない。それらは人間の行為として、両者とも同じ方向を向いているものである。書き手と読み手とは、小説を中において向かい合うという構造を示しているのではない」… P196
治療者とクライエント、小説の書き手と読み手。それは、
「向かい合うのではなく、同じ方向を向いている」というのです。
これはけっこう深い示唆を含んでるな、と思いました。
サン・テグジュペリが「人間の土地」で、こう言ってるんですね。
「愛するとは、向き合うのではなく、同じ方向を向くことだ」って。
愛することの難しさ。ぼくは、そのイメージがうまくつかめなくて、いつも悩んでいるのです。まるで星の王子さまみたいでしょ?(笑)
ところで、この本、もしかして村上春樹の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」のモチーフになってるのでは?ちょっと気になりました。
雨の夢
雨が降っている夢を見た。音を立てて降る激しい雨。なぜかそれを喜んでいるぼく。でも、おかしいな、と思い始める。天気予報は晴れだったのに、と。そこで目が覚めた。すぐにカーテンを開け、窓をあけた。ポスターみたいな、平べったい青空が広がっていた。乾いていく植物たち。植物に心はないのだろうが、かわいそうに思う。
化石
昨日は久しぶりに海に行った。時間を忘れて遊んだ。気がついたらあたりは暗くなっていた。堤防に座り、海に沈む夕日を見ていた。海は凪いでポチャリとも音がしない。ぼくをのせた地球は音も立てずに回転している。赤い太陽は、やがて海に沈んだ。一日の終わりは、うそのように静かだった。今日になって気づいた。頭の中がすっきりしている。もやもやした、つまらない感情が消えていた。写真は砂浜に落ちていた、人の臓器、心。化石化していたのを丸木浜で拾った。
off
今日は第三日曜日で休み。
すべてのスイッチを切ってました。