春分の日

キューバ対ニッポンの野球があるらしい。なんと、決勝戦だそうだ。ニッポンって、そんなに強いのか。ぼくは野球に興味がないので、まるで関心がなかった。今日は祝日だし、日本国民は家でテレビの前に釘付けだろう。当然、お客さんは少ないに違いない。と、見当をつけ、朝からのんびり豆を焼いていた。しかし、ぼくの予想は外れた。朝からお客さんが多い。
「野球は見ないんですか?決勝戦らしいですよ」
中年の男性に聞いてみた。
「ああ、そういえば今日だったね」
涼しい顔でそうおっしゃる。意外だった。日本人は、みな熱狂的な野球マニアだと思っていたのに。後で気づいたのだけど、試合中にいらしたのはコテコテの常連さんばかりだった。
類は友を呼ぶということか。

ピラモール

第三日曜日は定休日。
カーテンを開けると「今日は何かいいことがありそう」と、思いたくなるくらい晴れていた。ダイニングに下りると、ぼくが昨夜セットしたフランスパンも、いい匂いに焼けていた。金もないし、ぼくはめったに繁華街に出ない。しかし、今日はブログでお世話になっているゆきちさんべにこさんに会うため、天文館に出かけた。昨日と今日、ぼくらが使っているプロバイダ、SYNAPSE主催のイベントが行われているのだった。まるで、デートに出かける気分だった。アイロンのかかったズボンに、ぼくはもう一度アイロンをかけた。店に車をとめ、天文館に向かって歩きはじめた。20分後、急に人通りが多くなった。そこは天文館ピラモールというところだった。
「あ~、ずぷーんさんだぁ~♪」
歩いていると、べにこさんとそのお嬢さんに遭遇。かわいいお嬢さんに声をかけられ、ぼくはとてもハッピーな気分になった。春だなぁ♪
まず、ゆきちさんのブースに行ってみた。物販をやっている他のブースとは異なり、そこは彼女の撮った写真を貼り付けたパーテーションに囲まれた不思議な空間だった。ぼくは彼女の写真をネット上で見ていたのだけど、プリントされた色とりどりの花や風景は、春の天文館の空気にとけてなじみ、また違った存在感を放っていた。道行く人たちも、「きれいねー」と、足を止めて見入っていた。
つぎに、べにこさんのいるブースに向かった。そこではべにこさんのご主人が漬物を販売されていた。想像していた以上に甘いマスクのご主人で、少々意外だった(笑) ここでも、べにこさんのお嬢さんに100万ドルの笑顔で迎えられた。うれしかった。
買って帰ったお漬物は、さっそく頂いた。まず、「島津梅」という干し大根の漬物を食べたのだけど、これが食べだしたら止まらなくなって困った。一気に半分くらい食べてしまった。日本人なんだなぁ(笑)

朝の残像

Rogi_01
最初のお客さんは、カメラマンの r 氏であった。
「マンデリンの浅煎りっちゅうのを飲ましてもらえないですか」
OK ぼくは、レンジに火をつけた。
コーヒーに湯を注いでいると、彼はカメラをドリッパーに向けた。
彼のカメラは、二度と戻ることのない一瞬を記録した。
未来と同様、過去は実在しない。
彼は深煎りのケニアを買い、天文館に向かった。
写真は「田園ぶらぶら写真館」館主rogi氏のものです。

魔女

毎朝コーヒー豆を焼く。それがぼくの日課だ。
今朝、いつものようにコーヒー豆を焼いていると、売り場に人の気配を感じた。売り場の明かりはまだ灯ってない。店は10時からだ。時計は9時30分を指している。
「一杯、飲ませてくれる?」
一目で高級品とわかる衣装をさりげなく着こなした年配の女性がカウンターに腰掛け、微笑んでいた。ぼくは照明のスイッチを入れ、コーヒーをたてた。
「きょう、お客さん、多いわよ」
カウンターにカップを置くと、彼女は意味深げに微笑んだ。
なにをおっしゃる。金曜日はたいていヒマなのだ。
と、そこに髪の長い女性が入ってきてコーヒー豆を注文した。開店10分前だった。
「マンデリンを1キロ」
それが始まりだった。以降、お客様は途絶えることなく、午前中にはいくつかのコーヒー豆が売切れ、夕方には、ほとんどのコーヒー豆が売り切れた。
もちろん、こんなことは滅多にない。

後出しジャンケン

半月ほど前、店に若い男から電話があった。詳細は忘れたが、「BGM使用料を払え」という内容のものだった。てっきりサギだと思い、「忙しいから後にしてくれ」といって電話を切った。実際、この手の電話が多くて困っているのだ。一週間後、同じところからまた電話があった。今度は若い女性の声だった。
「○○と申しますが、BGM使用料の件で…」
またか。
「今忙しいので、こちらからかけ直します」
ぼくは番号を聞き出し、電話を切った。サギだったら、この番号でシッポがつかめる。番号は東京を示していた。電話をしてみると、そこは間違いなく音楽の著作権を管理しているという某組織だった。
「カラオケの著作権使用料なら知ってるが、BGM使用料などというものは聞いたことがない。詳しい内容のパンフがあったら送ってくれ」
そう言って、ぼくは電話を切った。
すっかり忘れていたのだが、数日前、そのパンフが届いた。今日、ひまだったので、封を切って読んでみた。
「2002年某月の法律改正で、CDによってBGMを使用される場合はBGM使用料を支払う必要があります。CDを使用しているなら、2002年某月に遡って使用料を支払うように」
なんじゃこりゃ~。
著作権使用料については理解できないこともない。しかし、2002年まで遡って使用料を払え、というのは腑に落ちない。CDはダメだが、ラジオは支払わなくてよい、というのがその内容なのだが、あらかじめそれを知っていたなら「うちみたいな小さな店はラジオで十分、CDは使いません」という選択もできたのに、と思う。実際、皇徳寺店ではFMラジオをBGMに使っている。
督促の電話が来たところをみると、うちの店は当局にリストアップされてたのだろう。だったら、支払い義務が発生する前に、パンフなり送って教えてくれればいいのに。これじゃあ、ぼくがパーを出したのを見てチョキを出すようなものじゃん。
ちなみに、ぼくの店の場合、年間使用料は税込み6300円だそうだ。安いもんだけどね。
支払いを済ませば某国営放送と同じような、ドアに貼る金ピカのシールがもらえるそうだ。ぼくはそのシールが欲しくなって、金を払うことにしてしまった。

ピンぼけ

辺りの風景を撮ろうと、カメラのファインダーを覗く。
オートフォーカスがボロなので、いつまでも迷い続けてピントが合わない。
今日、ぼくの頭の中が、ちょうどそういう感じだ。
ピントを当てたいところにピントが合わない。
目の前をちょろちょろする、ねずみや猫にピントを持っていかれる。

土曜の朝

以前はダイニングにラジオがあったので、土曜の朝は食事をしながらラジオが聞けた。土曜と日曜の朝は、好きな番組があるのだ。数ヶ月前にラジオは仕事場に引っ越した。今は土日もテレビが点いている。ぼくはテレビがとても嫌いだ。あの音を聞くと具合が悪くなる。とにかくうるさい。丸めた新聞紙を頭の中にぐいぐい押し込まれるような感じがする。最近ノイローゼ気味だ。音を聞いただけでいらいらしてくる。すぐに治ると思っていたのだが、今度はなかなか元に戻らない。病気だろうか。困ったものだ。ラジオの音はなんともないのに。

jump

人と酒を飲むのに、下心があっては良くないのかもしれない。昨夜はお客様の家でごちそうになった。8時半から飲み始め、代行運転を呼んだのが1時過ぎだった。日常の生活はともすれば退屈だが、何気なく過ごしていても周囲は動いており、その変化は情報となって刻々と記憶されていく。そんな、ほうっておけば堆積するだけの情報も整理することで有用化できるかもしれない。並べ替えたり、つなぎ変えたり、別の角度から光を当てる…散らかったジグソーパズルのピースから、隠された秩序を見つけ出す作業のような。料理に鍋や包丁、コンロが必要なように、この作業にも時間と特別な道具が必要だ。それは酒と人。できたらおいしい料理も。ここで人の持つ役割は特に重要だ。過酸化水素水に二酸化マンガンを入れると酸素が発生するが、砂糖や塩を入れても、なにも起きない(多分)。ここで人は触媒の役割を果たすわけで、おおむね特別な、あるいは洗練された感性を持つ人がそれにあたる。ぼくはこの作業のことをジャンプ(跳躍)と呼んでいる。最初に言った下心とは、これのこと。ジャンプにはこのほかにもおもしろく効果的な方法があるんだけど、ここに書くのはまずいので書きません。

そしてだれもいなくなった

長い文章を読むのは骨が折れる。読者あってのブログだ。楽に読めることも大事なのではないか。そこで、このブログもマンガにしてみてはどうかという案が提起された。ぼくはゴルゴ13が好きなので、さいとうたかお風の劇画調で描いてみたい。当然、ぼくはゴルゴのように眉間にシワを寄せて登場する。いや、ちがう。振返って読んでみると、ぼくのブログはポエミーだったりもする。やはり目に星が欲しい。ベルバラの池田理代子(こんな字だったっけ)風で行くべきであろう。しかし、本当のことを言うと、問題は内容なのだ。内容がよければ、文章が長くとも最後まで読めるのである。今日だってそうだ。こんなことを書いてはいけないのである。