しあわせよこんにちは

「恋人との出会いで言えば、最初に反感を持つような人の方が、付き合ってみると実は自分にないものを持っていることに気付かされ、熱烈な恋愛感情に発展する、そのような経験はありませんか?もちろん、タダの嫌なやつ、というケースもありますが、最初は反発するくらいの方が、自分にとって大切な何かを秘めているという場合も多いのです」
まるで女性週刊誌の人生相談コーナーのようですが、実はこれ、二日前のエントリー「aha !」で取り上げた茂木健一郎著「ひらめき脳」からの引用です。この本は脳科学の最前線トピック「ひらめき」を、脳科学者が分かりやすく解説しているものです。それにしても、恋人との出会いが脳科学の最前線とどう結びつくのでしょう。ぼくも知らなかったのですが、レントゲンのX線をはじめ、科学上の新発見のほとんどは、偶然のシグナルを受けての「ひらめき」によるものなんだそうです。しかし、新発見という幸福に出会いたくても、相手が偶然じゃあ手の打ちようがない。でも、手立てがないわけでもないですよ、というのが冒頭の文なのです。これは偶然やってくる幸運と出会うための心がけなんですね。このくだりは、以下の文からの続きです。
「未知の何かとの出会いは、しばしば人間に警戒心を抱かせ、時に反発したり、憎しみを抱かせたりさえします。そのような時、いたずらに従来の自分の世界観に固執することなく、積極的に新しい事態を受け入れる。そのような態度が重要なのです」
著者は「偶然やってくる幸運と出会う」ための条件を六つ挙げているんですが、ここではその中のひとつ「受容」を取り上げてみました。(人生相談みたいでウケた、というのがその理由)脳科学の最先端を勉強しつつ、偶然やってくるしあわせにも「こんにちは」したいゾ、というヨクバリなアナタ。この本を買って全部読んでみてください。税別680円。安いもんです。ぼくはF氏からタダで借りましたが。
p.s.
偶然やってくる幸運と出会う能力を「セレンディピティ」というらしいです。

くもり空

Sakura_01今日は定休日だったが、主食の米が底を突きかけていたので郡山町に取りに出かけた。わが家は、米はモミで購入している。醤油も切れていたので、まず、伊集院町の「さくら醤油」に寄った。わが家はココの醤油しか使わない。うまい米と醤油と味噌があれば、とりあえず日本人は育つ。かもしれない。家に帰り着いて、パソコンのファイルをバックアップした。Azisai_02バックアップする前に不要なファイルを削除する。時の流れはいろんなものをゴミにする。パソコンの向こうに見える空はどんより曇っていた。ふと、あやさんのページに「紫陽花が咲き始めてる」と書いてあったのを思い出し、カメラを手に裏庭に見に行った。お、咲き始めている。なんだかうれしくなった。写真を撮っていると、そばで何かうごめく気配を感じた。(うごめくという漢字はリアルだね)あいつだった。春さんのブログでも話題になっていたヤツAzisai_01奴らはヤブツバキに群がって、嬉しそうに揺らいでいた。ぼくはデスラー総統の非情な声で奴らに宣戦布告した。波動砲の照準を合わせ、ぼくは一気にぶっぱなした。(水道ホースの波動砲ですが)

aha !

Aha今日は第三日曜日で休み。なのだけど、1月と5月と8月は開けている。お客様は少ないはずなので、のんびりできる。今日は、試飲をされたお客様に問題を出した。F氏から借りている本にある、いくつかの絵を見せて、コレ、なんに見える?と、聞いてみた。
簡単にわかる絵もあるけれど、ひとつだけ、とても難しいのがある。ぼくも分からなかった。というより、答えを発見する前に、常連のKさんが一目見るなり「○○!」と、いともたやすく正解してしまったのだ。答え探しの旅は終了を余儀なくされたのである。
今のところ、正解者はこのKさん一人だけ。彼女が言うには、
「これ、ちょっと視線をはずして、も一度みたときわかりました。あんまり近すぎて見えないものも、少し離れてみるとわかることもあります。女の勘ですかね、やっぱ」
女の勘?ぼくは一瞬ひるんだ。あるんですかね、そんなもん。
p.s.
上の写真を見て答えが分かった方。答えを教えないでくださいね(笑)
いまだにウナッてる方が数名いらっしゃるようなので。

のどが渇く夜

時計は12時をとっくに回り、2時になろうとしている。さっき見たフランス映画のせいで眠れなくなった。主人公を妻がショットガンでズドン!で、オシマイ。ぼくは絶句した。その後、ぼくは何度もノドが渇き、台所に下りた。冷蔵庫にスイカがあったので4分の1切って食べた。おなかが冷えたせいで、なおさら眠れなくなった。

トンネル

午前中、雷を伴って降りだした雨は午後から小降りになった。店を閉めたのが午後8時。帰り道は小雨だった。車がトンネルを抜けたあたり、ぼくは無意識に窓を開けていた。雨が吹き込んで、ほほを濡らした。体中からアンテナが立ち上がってくる感じがあった。答えはこの状況にあるらしかった。皮膚がうっすら帯電している。アクセルを踏みつけると景色が流れ始めた。車がデロリアンだったらタイムスリップするはずだった。緩い左カーブの先でシグナルが赤く潤んでいた。

Go !

信号の進めはなぜ青なのだろう。
青島幸男が国会で決めたのか。
空は今日も曇っている。
信号が青になるのを待っている。

自分の頭で考えろ

物語の途中で出てきた脇役が、主人公をバカにして言う。
「バカかおまえ、自分の頭で考えろ」
自分の頭で考えると世界が変わる。
例えば、ご飯を炊く。
1、電気釜に研いだ米と水を目盛りに合わせて入れ、スイッチポン。
→おいしいご飯の出来上がり。
2、鍋に米を入れる。鍋には目盛りがないので水をどれくらい入れたらいいかわからない。考える。考えた末、米の半分ぐらい水を入れ、鍋を火にかける。はじめちょろちょろなかぱっぱー。ブツブツいいながら火加減を調整。
→まずいご飯の出来上がり。
なにがメンドクサイって、考えるのがメンドクサイ。機械任せ。
テレビをつければ、コメンテーターが、あなたの代わりに考えて悩み、怒ってくれる。新聞も然り。あなたは頷くだけでOK。
なにがメンドクサイって、考えるのがメンドクサイ。他人任せ。
こんな楽な世界はない。

“自分の頭で考えろ” の続きを読む

カキ

夕方、古い友人Fがやってきて、カウンターに座った。
「こんまえ頴娃町にカキ取いけいっせー食ったげな、わーっぜうめかったど」
訳)頴娃町でナマガキを取ってきて食べたところ、大変おいしかった。
「岩にひっちちょっとを、ハンマーでパカッち叩っせえナイフでこじっばっかい」
訳)岩に張り付いているカキにハンマーを一撃、ナイフを差し込むと簡単に取れる。
「さしんで食ったげな、サイコー」
訳)刺身で食べたら、とてもうまい。
「フライもわっぜぇうめかったど」
訳)フライも、とてもおいしかった。
「あまったとーグラタンにしたげな、けしんめウメかったい」
訳)グラタンもうまかった。
ぼくはうんざりして言った。
「うちに持ってこんか」
訳)そんな話をする前に、うちに持って来い。
「いんも忘るっとよねー不思議やらいねー。ガハハ」
訳)いつも忘れてしまう。不思議だ。ははは

essence

今日は定休日で休み。空は曇っている。ぼくは家でじっとしている。じっとしていても旅はできる。トマス・ハリスの作品に出てくるレクター博士が同じことを言っていた。ような気がする。
中略
コーヒーを飲みつつぼんやりしてたら、夕方になっていた。
いつものように映画を見ることにした。
選んだのはトリュフォーの「突然炎のごとく」
一人の女に男が二人。男同士の友情を保ったままの三角関係。「彼女は女の中でも、めったにお目にかかれない女なんだ、だから絶対に手放したくない。でも、ぼく一人じゃ彼女を留めることはできない」と、親友に協力を要請する。彼女への愛?は、嫉妬をも超えている、のである。そんなことが可能なのか。可能性はある。対象が女だから。女の本性は、天気予報のようである。風のようで、雨のようで、嵐のようで、風をつかむようなものだ、と、思う。主人公の男は、幸か不幸か、女そのものを見つけ、理解したのである。至高の恋だと思う。

パラレルワールド

F氏から借りたMr.&Mrs.スミスというDVDを見たあと、Tさんから借りた「ニューシネマパラダイス」劇場公開版を見た。デジタルリマスターということで、色乗りがよく、フィルムライクな美しい映像で楽しめた。大きな画面で観るなら断然こちらがいい。
以前、このブログでも取り上げたのだけど、「ニューシネマパラダイス」には劇場公開版とオリジナル版が存在する。ぼくはオリジナル版を見ての感想をブログに書き、劇場版も見るぞ、と、宣言した。さて、今夜ついにその劇場公開版を見たわけだが…
結論から言うと、ぼくはだれがなんといおうと、オリジナル版が好きだ。圧倒的に。
劇場公開版は、トト少年と映画技師アルフレードの美しい友情の物語。トト少年が社会的な成功を収めたのは、ひとえにアルフレードの純朴で一途な友情のおかげだった、という感動のストーリー。ヨーロッパ映画にしては、明るくシンプルで、雲ひとつない青空を見るようなハッピーエンド。これはこれで、いい映画なのだけど…
映画の冒頭、ジャックペラン演じるトトは夜の都会を高級車に乗って現れ、豪奢な住まいに帰り着く。ベッドでは若く美しい女が寝息を立てている。が、しかし、ペランの横顔は幸せな男のそれではない(という演技をしている)。社会的に成功している男。富と誉れを手に入れた男。だのに、その顔に宿る深い陰。そういう構図を観客に印象付けてこの物語は始まる。帰郷しての、年老いた母との会話のシーンは特に重要だ。ぼくはここで涙が出るほど感動した。母は息子の幸せを願っている。当たり前かもしれない。母は息子の悩みを見抜いていた。今の息子が決して幸せではないことを。彼女は息子の性格を知り尽くしているのだ。社会での成功者が人生の成功者とは限らない。他人の目から見ればトトは成功者であり、しあわせ者だ。しかし、母の目にはそう映っていない。真の幸せとは。人生とは。
映画のラストで、トトはアルフレードによって切り取られたキスシーンを見ながら笑い始める。トトは気付いたのだ。キスシーンを切り取られた映画。それはまさに自分の人生そのもの。皮肉にもアルフレードはトトの人生からもラブストーリーのクライマックスを切り取ったのだ。これは笑うしかない。いやー、恐ろしいオチだった。あいかわらずフランス映画は残酷でおもしろい。
ただし、このヨーロッパ的な笑いはオリジナル版を見ないと分からないよ、ウヒヒ。と、暗にオリジナル版を勧めているぼく。