Who are you?

Who_1人の顔を憶えられない。名前がわかっていても、顔を思い出せない。似た顔の人を混同することが良くある。街を歩いていて、挨拶をされて困ることがある…
古い写真の整理をしていて、
おや?このカワイイ女性はダレ? と思うことがある。自分で撮った写真なのに。でも、しばらくすると、たいてい思いつく。
なーんだ、あいつか。と、がっかりしたりする。
※写真と本文は関係ありません。

雨音

8月も今日で終わり。
なにが悲しいのか、朝から雨が降りっぱなし。
音を立てて降り続く雨。何かがおかしい。
そう感じた瞬間、デジャビュが起きた。
意識が時間を踏み外した。手に持っているのは珈琲。
どうしてぼくはここにいるのだろう。
珈琲を見つめ、温度を確かめ、自分の位置を確かめる。
いつもの部屋。音を立てて降り続く雨。

いつも

どんな時でも普通の顔でいるのは、まぁ、得意な方かもしれない。
そういえば、だれかが言ってた。
「いつも静かに笑っている」なんて。
しかし、これ、けっこう不気味じゃん。
今日いらしたお客さんが言ってた。
男より女が長生きするのは、喜怒哀楽を表に出すからだ、って。
ほんとかな。
長生きしようと思ったことはないけどね。

もやもや

最近、空がすっきりしない。深夜、屋上に寝転がって夜空を眺めても星が暗く感じる。冴えた感じがない。そんなことで機嫌が悪くなる自分もどうかしてるが、とにかくつまらない。

遠い夕焼けの風景

夕焼けこやけの赤とんぼ、負われて見たのはいつの日か。
たぶん、ほとんどの方がご存じないと思うのですが、鹿児島市のゴミ収集車は、スピーカーで「あかとんぼ」のメロディーを流しながら、路傍に置かれたゴミバケツのゴミを収集してたんです。何十年か前のはなしです。ぼくのおじいさんは脳溢血で亡くなったんですが、窓の外から流れてきたこのメロディーに、「いい歌だなあ」とつぶやいて息を引き取ったそうです。

“遠い夕焼けの風景” の続きを読む

ぼたん

Hari洗濯したシャツのボタンが取れかかってたので、付け直すことにした。目が疲れていると小さな針穴に糸を通すのは至難の業である。しかし、ぼくはイトも簡単に糸を通す。
「フォースを信じるんだ」
と、唱えると、目を瞑ってても糸が通るのである。見よ、これがその証拠写真だ。一発で通ったという証拠にはならないが。 例によって、パソコンでボタンの付け方というページを開き、これを見ながら行った。ボタン付けは、いったんやり始めるとけっこうおもしろい。思わず調子にのって、3個付け直してしまった。ボタンをつけると次はアイロンがけである。これも楽しい作業だ。BGMはボサノバがぴったり。いつの間にか口笛を吹きながら作業している自分に気づいて苦笑い。

Gorgones

恐らく外は36度くらいあるのだろう。窓の向こうで景色が揺らいでいる。そんな午後、妙な霊気をまとった若き女性3人がカウンターを占めた。3人は、あたかも偶然の出会いを無邪気に喜び合っているようにみえたが、その実、それが偶然を必然に置き換える能力を悟られないためなのか、その能力に気づいてないのかは不明だった。あたりに非ユークリッド的空間の歪みを感知したぼくは本能的にバリヤを張り、防御姿勢をとった。よそ目には、カウンター越しに交わされる会話は、どこにでもある言葉の応酬にみえただろう。しかし、仕掛けはどこに隠されているか解らない。言葉の行間。目線。何気ないそぶり。いうまでもないが、イノセンスなふるまいをする相手ほど気をつけなくてはならない。初めの一歩である。

夏の反動

デリカシーに欠ける盲目的パワーも、夏の日差しが弱まるように消えていく。一週間後は、9月。
訳もなく反省してしまう9月。

脳の整理

ヒマだったので、F氏から借りている茂木健一郎著、「脳」整理法を読んだ。F氏がせっせと茂木さんの本を買い続け、ぼくはせっせと借り続ける。茂木さんは今を時めく脳科学者。この本を読んでておもしろく思ったのは、茂木さんが、現在の科学では解明不能に思われる物理世界の不可思議な謎に、いわば文学的な手法(笑)でアプローチをかけているように見える点。たとえば、当ブログでもたまに登場するセレンディピティ。セレンディピティとは、偶然にやってくる幸運を逃さず手にする能力(だったっけ)。科学上の大発見のほとんどすべてが偶然の発見によるものなのだが、この偶然にやってくる幸運という、コントロール不可能な幸運を必然化しようという矛盾した試みを茂木さんは科学的な手法として確立しようとしている。わけないか。
必然化といっても、実際にはAを求めている過程でBという幸運を偶然手にする確率を上げようという手法なのだけど。
注) このエントリーでぼくは科学ではなく文学を述べております。
ついでに…
セレンディピティという言葉の生みの親、ウォルポールは次のようなことも言ってます。
「世界は感じるものにとっては悲劇であるが、考えるものにとっては喜劇である」

雷鳴

昼とは違い、夜の曇は、妙なエネルギーを帯びて回転している。
屋上のベンチに腰掛けてると、遠い北の方で閃光が走った。
ずいぶん遅れて、地を這うような轟。
心が動かないのは、そんな現象に飽きてきているからだろうか。
雷鳴。ぼくの規則正しい呼吸、そして心音。