夕方、日の暮れかけた頃、数ヶ月ぶりに帰ってきたプチ芸術家としばらく話した。彼女は「オモシロイ人」を求めて、日本のあちこちを飛び回っているという。じっくり話を聞いてみると、半端な気持ちで動き回ってないことが良くわかった。小さなこともしっかり考え、深く掘り下げている。考え方が新鮮なので、ぼくも学ぶことが多かった。彼女は自分の感性という羅針盤に従い、不思議な力に押され、また、引かれるように移動する。まるで、ワタリドリのように。来月個展を開くそうだが、遠くて行けそうもない。
正論をぶつヤツ
あるブログを読んでたら、ひどいコメントが投稿されていた。丁寧な文章なのだけど、鋭いとげがあり、第三者のぼくでさえ、読んでいて、いたたまれない気分になった。書いた本人は正論を述べてるつもりなのだろうけど、あまりにも心がない。言いたいことはよくわかる。でも、自己満足に終わっている。相手がどれくらい傷つくか思い遣るゆとりがあれば、書けない文章だ。匿名で一方的に書かれたコメント。なんだかやりきれない。
盆休み三日目
今日で休みも終わり。
帰省していた娘が今日福岡に帰るので、家にいた。10時頃、自動車板金工場をやっている友人が、修理を終えた娘の車を持ってきた。娘は帰省した翌日、信号待ちをしている車に追突したのだ。バンパーは割れ、ボンネットもひん曲がっている。これは安くて10万円コースだ。わざわざ帰省してから追突しなくてもいいのに。
「こんな車じゃ帰れない、笑われる」
と、娘が言うので、自動車板金工場をやっている友人に電話した。
「休み中わりどん、修理しっくれんけ、友達じゃっどが」
訳 「盆休みのところ恐縮だが、親友の頼みを聞いてくれ」
そして三日後の今日、友人は車を持ってきてくれた。トモダチ価格で65,000円。コーヒーを飲んで、いっしょに映画を見た。彼は見かけによらず映画好きなのだ。午前中がつぶれてしまうと午後は何もできない。アイスクリームを食べて、屋上でぼんやりしていた。夕方から映画を見た。F氏から借りていた、ジョニーデップの「ナインス・ゲート」。盛り上がりに欠けるものの、カメラも良く、なかなか楽しめた。
灯台
今日も休み。よく晴れている。昼前、花を持って、墓参りに行った。小さな墓地だけど、とても静かで景色がいい。人影はなかった。石に刻んだ母の年が若すぎて、いつも変な気分になる。ぼくはいつ来ても、二人の子供に何もいわなかった。子供たちも何も聞かない。今日は少しだけ話した。長女は来年二十歳なのだ。
「ここには母の骨がある。それだけだ。ぼくは骨には興味がないけど、これはぼくと母との関係だ。君たちにとっては、おばあちゃんの墓だから、来たい時に来ればいい。強制はしない」
二人は黙って聞いていた。
夜、屋上から海のほうを眺めていたら、彼方で小さな明かりが明滅していた。灯台らしかった。10年以上、この場所から海を眺めていたのに、気づかなかった。
大掃除
きょうから休み。なのだけど、例年通り、店の大掃除。掃除は嫌いじゃないし、接客がないので気分は楽だ。焙煎機自体の分解掃除は数日前に済ませたので、煙突掃除から開始。めったに開けることのない排煙用の窓をあけ、シャツを脱ぐ。外の風が心地よい。アドレナリンを分泌させるためにワグナーのタンホイザー序曲をかけた。音楽があれば、掃除はグンと楽しい作業になる。柄の長い、専用のブラシで煙突の中のススを落とす。掃除をしていると、次々とお客様がいらっしゃる。これも毎年のことだ。残っていた珈琲豆も、午前中にほとんど売切れてしまった。雑巾がけも気持ちよい作業だ。結果が目に見える作業は気分がいい。BGMはワルツをチョイス。ステンレスポットをすべて洗い終わった時、時計は4時を指していた。家に帰り、屋上で夕焼けを眺めながらビールを飲んだ。筋肉痛が心地よかった。
Bom
明日からお盆。お盆の由来は「bom」、つまり、爆発という意味の梵語である。わけがない。しかし、ぼくは仏教徒ではないので、何もしない。しかし、休むのは好きなので、三日休むことにした。しかし、三日ぐらいじゃハワイにもいけない。たぶん、行ったとしても、笠沙のブルUNOくらいだろう。しかし、あそこはよく準備中の札がかかってるからなぁ。電話していくことにしよう。というわけで、ここで問題。ぼくは何回「しかし」といったでしょうか。
恋をするように音楽を聴く
最近おじゃまするようになった某ブログに次のようなくだりがあった。
ところで自分の考える「音楽」も、彼が書いているように「過去の個人的体験の記憶がなければ、人生は耐え難いまでに寒々しいものになり、だからこそ恋をし、恋をするように音楽を聴く」という一説に集約されているような気がした。
村上春樹『意味がなければスイングはない』を読んでの感想だ。
「恋をし、恋をするように音楽を聴く」
実は、昨日ぼくはこれと似たようなエントリーを上げようとしていた。ぼくは恋をするように海に出かけ、恋をするように星空を眺めている。自分でもバカじゃないかと思うのだけど、海や空に向かって「おまえは信じられないくらい美しいな」って語りかけるし、星空に「おまえはすごいよ、死ぬほど好きだ」ってつぶやいている。じっさい、そういう気持ちがあふれてくるのだから、しかたない。おそらく、ぼくは狂っている。でも、恋してるぼくは恋してないアナタより幸せかもしれない。
p.s.
Fさん、いつもオモシロイ本を貸してくださってありがとう。ヒヒヒ
トカゲとぼく
わが家の庭にはトカゲがいっぱいいる。
トカゲと言っても、いわゆる銀トカゲではなく、カナヘビ。
今朝、玄関に腰掛けてると、いつものようにトカゲがやってきた。
首をかしげ、片方の目で、じっとぼくを見ている。
ぼくは試しにテレパシーを送ってみた。
「なに見てんだ、ばか」
反応はなかった。
不思議な音
今夜は満月だったのだろうか。とても明るい月が出ている。ビールを飲みながら月を見ていたら、月と、その周りの雲がみるみる大きくなってきた。怖くなって目をつむった。目を開けるともとの月に戻っていた。海の上に浮かぶ雲が、それはとても平凡な形の雲なのだけど、たおやかで美しかった。北の方から吹いてきた風が、缶ビールの口で不思議な音をたてた。
岩に染み入るセミの声
朝早くからクマゼミがうるさく鳴いている。メスを呼ぶためだそうだが、色気もクソもない。「ジャージャージャージャー」明らかにぼくの存在を無視している。ヒグラシというセミがいる。松林を好むようで、吹上砂丘付近でも「カナカナ」という特有の声を耳にする。こいつは感心なやつだ。あの声はココロが和む。ショパンのノクターンに似た趣があって、感傷的な気分を誘う。ツクツクボウシという小さなセミがいる。こいつは大嫌いだ。ツクツクボーシ、ツクツクボーシ、ツクツクボーシと忙しく鳴く。訳すとこうだ。「ほらほら、もう夏も終わりだ、終わりだ、終わりだー」キンチョールをぶっかけたくなる。