道路に面したドアを開けると、いきなり折れ曲がった階段。そう、当店のフロアは二階にあります。今朝、いつものように出勤し、鍵を開けてドアを引いたとき、ぼくはハッとしました。だれもいないはずの二階に、人の気配があったんです。しかも大勢の。と言っても、話し声や靴音がしたわけではありません。でも、そのときぼくは、ザワザワとした気配を、はっきり感じ取ったのです。おかしいな、と思いながら階段を上がると、薄暗い店内は当然のように、しんと静まり返っていました。しかし、なにか様子が違うんです。明らかにおかしいのは、なんともいえぬ甘ったるい、駄菓子屋にいるような、懐かしい匂いが、あたりかすかに漂っていたこと。でもそれはすぐに消え、コーヒーの匂いだけになりました。店では、朝、コーヒー以外の匂いがすることはありません。じつを言うと、これで二度目なんです。一度目は「気のせいだろう」と思い、今日まで忘れていたのでした。
幸運のシッポ
脳科学者、茂木健一郎の著書に頻繁に現れる「セレンディピティ」という概念を学んで以来、ぼくの行動スタイルは変化してきている(笑) というのは、一見、自分にとってマイナスに思える人や出来事が「偶然訪れる幸運のサイン」を含んでいる可能性が高いことを知ったからだ。そのサインを見落とさず、注意深く観察する。今のところ、ぼくはまだその段階にいるが、たしかに何かありそうだ。そこに正負入り混じったエネルギーの混沌を感じる。おもしろい。一見マイナスに見える人、そして出来事。 欲しい? え?余計なお世話?
ぼくの周辺にいる人は気をつけてね。ヒヒヒ。
はらゆうこが語るひととき
毎年、秋になると手に取ってしまうアルバムのひとつ。どの曲もすばらしいのだけど、とりわけ「しっかりJohn-G」は、秋の夜長、繰り返し聞いてしまう。
ダニエル・キイスの「24人のビリー・ミリガン」ではないけれど、ぼくのココロにあって、秋になると現れる一人の多感な女性人格が、この歌にすっかり参ってしまっている。
秋モード
朝夕が涼しくなったせいか、ここ数日、お客様が多い。ぼくも熱い珈琲がうまく感じる。体が秋モードに変化してきたようだ。というわけで、ぼくは秋を堪能するためのスペシャル秋モードに変身します。ではお先に。
センチメンタル
九月に入って、それに歩調を合わせるように朝晩涼しくなった。秋が訪れたのか。いや、そうではなく、夏が去ったのだ。セミは地面に落ち、バッタは蟻に運ばれ、クラゲは浜に打ち寄せられる。
だからぼくは、線香花火をしようと思う。
Who are you?
人の顔を憶えられない。名前がわかっていても、顔を思い出せない。似た顔の人を混同することが良くある。街を歩いていて、挨拶をされて困ることがある…
古い写真の整理をしていて、
おや?このカワイイ女性はダレ? と思うことがある。自分で撮った写真なのに。でも、しばらくすると、たいてい思いつく。
なーんだ、あいつか。と、がっかりしたりする。
※写真と本文は関係ありません。
雨音
8月も今日で終わり。
なにが悲しいのか、朝から雨が降りっぱなし。
音を立てて降り続く雨。何かがおかしい。
そう感じた瞬間、デジャビュが起きた。
意識が時間を踏み外した。手に持っているのは珈琲。
どうしてぼくはここにいるのだろう。
珈琲を見つめ、温度を確かめ、自分の位置を確かめる。
いつもの部屋。音を立てて降り続く雨。
いつも
どんな時でも普通の顔でいるのは、まぁ、得意な方かもしれない。
そういえば、だれかが言ってた。
「いつも静かに笑っている」なんて。
しかし、これ、けっこう不気味じゃん。
今日いらしたお客さんが言ってた。
男より女が長生きするのは、喜怒哀楽を表に出すからだ、って。
ほんとかな。
長生きしようと思ったことはないけどね。
もやもや
最近、空がすっきりしない。深夜、屋上に寝転がって夜空を眺めても星が暗く感じる。冴えた感じがない。そんなことで機嫌が悪くなる自分もどうかしてるが、とにかくつまらない。
遠い夕焼けの風景
夕焼けこやけの赤とんぼ、負われて見たのはいつの日か。
たぶん、ほとんどの方がご存じないと思うのですが、鹿児島市のゴミ収集車は、スピーカーで「あかとんぼ」のメロディーを流しながら、路傍に置かれたゴミバケツのゴミを収集してたんです。何十年か前のはなしです。ぼくのおじいさんは脳溢血で亡くなったんですが、窓の外から流れてきたこのメロディーに、「いい歌だなあ」とつぶやいて息を引き取ったそうです。