揺らぐハイファイセット

070515_2F少年から借りた茂木健一郎、江村哲二著『音楽を「考える」』を読んだ。今をときめく脳科学者と作曲家の対談。おそらくクオリアについての対談だろうが、果たしてこの二人はうまく噛みあうのだろうか。噛みあわぬゆえに陳腐な話題に終始したんじゃあガッカリだ。こちらはスリリングな会話を期待しているわけだから、と、余計な心配が一瞬脳裏をよぎった。しかしそれはぼくならではのチョー浅はかな危惧であった。ぼくの描いていた音楽家像があまりにプアだっただけのことなのだ。ぼくは音楽家に対し、民衆に娯楽を提供することに生きがいを感じる道化者、みたいなイメージを拭い切れずにいたのだった。音楽に対しても、人生を彩る装飾品、小道具程度に軽視しているフシがある。クオリアという概念は脳科学の最前線のテーマになっているが、当対談によると、音楽、とりわけ「聴く」行為は脳科学(哲学?)の最も深いところに位置しているらしい。今回の二人の対談は科学というツールが及ぶぎりぎりの最先端、最深部で成立しており、換言すれば、音楽の最深部は脳科学の最先端と重なっている、といえる。これがおもしろくないワケがない。
対談をはじめ、双方向的な意思伝達が成立、成就するには共通のフィールドが必要だ。相手の意思を忠実に再現するための再生装置を自分の中に持たねばならない。(友情が恋愛に勝るとするなら、理由はコレかもしれない。余談ですが)音楽家、江村哲二氏はもともと理系の出身なんだそうだ。一方、茂木健一郎氏は音楽に限らず、クオリアを生ずるあらゆる現象を独自の哲学で把握しようとしている。こうして二つのhi-fi(高忠実度)なコンポーネントがある日接続された時、そこに創造とでも言うべき揺らぎが発生し、やがて混沌は秩序に収斂され、音楽となって世に現出するかもしれない。ちゃららーん♪

赤いジャージ

今日は休日であった。天気もいいし、朝一番で歯医者に行ったあと、例の海辺のレストランに行くつもりであった。先週行ったばかりなのに、また行きたくなるから不思議だ。その前に、庭にうずたかく積み上げられた木の枝を小分けし、ヒモでくくる作業をしなくてはならない。相当な量なので、ぼくは赤いジャージとTシャツに着替えて作業に取りかかった。この赤いジャージをはくと、なぜか自動的に体が動き出して恐ろしく作業がはかどるのである。動き出したらもう止まらない。海にいくことも忘れて作業に没頭してしまった。作業が終了すると、もう昼であった。天気がいいので、昼飯はザルソバを食うことにした。ザルソバは乾麺に限る。そしてそれは五木ソバじゃなくてはならない。ぼくの友人のほとんどは、ぼくの作った五木ザルソバを食ったことがあると思う。コレはホントにうまい!(自画自賛)
D_zhivagoすることがなくなったので、雨戸を締め切って映画を見ることにした。数日前にNHK hiviで放送されたドクトル・ジバゴ。なかなか良い映画でした。3時間以上の大作なんだけど、あっという間に終わった気がしました。

はみがき

今まで歯を磨いてました。
毎晩、一生懸命磨いております。
こんなにマジメに歯を磨くのは生まれて初めてです。
歯石を取るために、毎週月曜日に歯医者に行ってるのですが、そこの白衣のオネエサマに、
「あなた、歯を磨くのがへたくそですね」
と、毎回、言われ続けているのです。
とくに、左奥歯がマズイんだそうです。
行くたびにむりやり手鏡を持たされ、
「ほーら、ここ、ね。わかります?」
とか言って、磨き残した場所を見せるのです。
それがイヤなので、今夜も一生懸命磨きました。

バラ

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今朝、バラは枯れていた。
連休前、たしか、5月2日だったと思う。
「庭に咲いていたのを持ってきました」
ぼくはバラをもらった。
バラは10日間咲き続け、そして枯れた。
バラはなくなった。
心に何かしこりのようなものが残った。

引力

昼ごろ、ドラマーのK氏がコーヒーカップを持ってやってきた。彼の本業は陶芸作家なのだ。そのヒゲモジャラな風貌から、ぼくは勝手に「森のクマさん」と命名している。もちろん彼はそんなことは知らない。クマさんは今日もカウンターに腰かけ、「このコーヒー、スゴクおいしいですねー」とかいいながらコーヒーをすすっている。ぼくはふと思い立ち、先日、某レストランで購入した、あの「ギーガーなカップ」の写真をクマさんに見せてみた。するとクマさんは言った。
「これ、もしかして○○○○に置いてあったのでは?」
○○○○とは、まさにあの、海に面した変なレストランであった。
「ぼくはあのマスターと一緒に演奏したことがありますよ」
ドラマーのクマさんは言った。
そう、某レストランのマスターはブルースハープ(平たく言うとハーモニカ)の名手なのだ。(たぶん)
ぼくは思った。変な人は不思議な引力でつながっている。

今日から仕事

長いようで短かった4日間の連休も終わり、今日から仕事。すべての珈琲豆を焼かなくてはいけないので、いつもより早く起きて職場に向かう。12種類の豆を焼き終えたのが11時。予定より30分オーバーした。はぁ~疲れた。いや、疲れるのはまだ早い。お客様がヒジョーに多い。お客様が多い理由は、連休が雨で、外に出られなかったせいかもしれなかった。家にいる時間が長いとコーヒーの消費量も増える、というわけだ。休み明けということで、いつもより増量して焼いたのだけど、昼過ぎあたりから早くも売り切れの豆が出始めた。
「えええーっ、な、ないんですか!」
まるでヤクを切らしたジャンキーのような目でぼくを睨みつける。コーヒーを切らしたお客さんは実際、怖い。
日の暮れかけた6時過ぎ。いつもの常連のオネエサマがやってきた。
「あらあ、ヒマそうですね~♪」
ぼくはもうクタクタだった。言葉を返すパワーはなかった。
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ギーガーのカップ

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今日で連休も終わり。降り続いた雨もやっと上がり、朝から青空が広がっている。コーヒーをポットに詰め、ぼくは山を越え田畑を抜けて南西の海へと走った。目指すは海に面した小さなレストラン。去年の秋以来、何度行っても閉まっている。今日はどうだろう。070507_02海沿いの道路から店を見下ろすと、駐車場に車が数台止まっている。店のドアも開きっぱなしだ。開いてるように見えるが… 開いていた。しかも、お客さんがいた。ぼくは店内を通り抜け、いつものように屋外デッキに出ると、テーブルとイスを海側に引きずり寄せて海に向かって腰掛けた。しばらくしてメニューを持ったおっちゃんが現れた。
「連休中は、さっぱりだった」
おっちゃんは開口一番、悲しそうにつぶやいた。
「ずっと雨だったからね」
ぼくはそういってコーヒーを頼んだ。
海を見ながらコーヒーを飲み、ぼんやりしていた。海からずっと風が吹いていた。ぼくはこういう時間がとてもいいもののように思う。
帰りがけ、出口近くの棚に変なコーヒーカップを見つけた。
「これ、売り物?」ぼくは聞いた。
するとおっちゃんは
「買うの?」といった。
「いくら?」ぼくはきいた。
「ほんとうは2000円だけど1500円でいいよ」
ぼくは買うことにした。H・R・ギーガーがデザインしたエイリアンの卵みたい。ちょっと気持ち悪いけど、こういうデザインって好き。
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もしも明日が晴れなら

今日でゴールデンウィークもおしまい。夕方、庭に出していた植木を元に戻していたら、やっと晴れ間が見えてきた。それにしても、よく降りましたね。ここは高台なので、下界の様子は分からないのだけど、まさか水没しちゃったんじゃないでしょうね。
というわけで、いまから某F少年から借りた「日本沈没」を見ます。
明日は南の方にドライブする予定。

雷雨

連休二日目。昨夜からのカミナリで眠れなかった。音がうるさくて眠れないのではない。ぼくは変な癖があって、稲妻が光ると、思わず数え始めてしまうのだ。もちろん、雷までの距離を測るためである。
ピカッ!
いーち、にーい、さーん、しーい、ごーお・・・
この妙な癖のせいで、ぼくはなかなか眠れない。