こころもよう

Cosmos05うまそうな食べ物を見ると食べたくなるように、きれいな風景や写真に触れると、それも体内に取り込みたくなる。写真は、当ページにリンクしてもらっているBura Buraのrogiさんの作品。いい写真だなぁ。コスモスの写真はこちら青空の写真はこちらです。rogiさん、勝手に使ってゴメンネ。いつものことだけど。
Kenun02_3
☆下の作品は、やはり当ページにリンクしてもらっている、ゆきちの目線のゆきちさんの作品。不思議な緊張感が漂う、独特の世界。眠れぬ夜にどうぞ。
あ、こちらも勝手に載せちゃいました。ゆきちさん、ゴメンネ。
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2006102801
この作品はこちらでご覧になれます。
☆ああっ、またまた勝手に載せてしまった。
天国で聴きたいこの一枚のDOG-58さん、ゴメンネ。
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Paradiso03
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☆ううう、またまた、また勝手に載せてしまった。
快適 * 気まま生活のさめさん、ゴメンネ。
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Same_01
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注)うまそうなパンが、ゴマンと出てきます。
夜中に見ると、腹が減って苦しくなるかも。
☆で~っ、ま、またまた勝手に載せてしまった。
そううつだものの、あやさん、ゴメンネ。
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Aya_cosmos_01
なんとこれはピンホールカメラで撮った写真。
心霊写真ではありません。
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ニワトリ

海に行ったら、しばし写真を撮ることなんか忘れ、波打ち際を裸足で歩いてみて。気持ちいいよ~。というのは、先日、海に行った時、写真を撮ることばかり考えてて、ずっと靴を履いたままだった。後で、しまったと思ったんです。時々思うんだけど、たとえば遠い国に旅しても、足の裏は異国の地に一度も触れないまま、ひたすら湿った靴の底を味わってる可能性があるんですね。ホテルの部屋では裸足かもしれないけど。いつかぼくは砂漠に行くつもりだけど、直に砂を踏むことなく帰ってきちゃうかもしれない。気をつけなくちゃね。
いいよ~、裸足は。ちなみにぼくは、小学校低学年の頃、先生からニワトリというあだ名を頂戴してました。

オレンジの雲

ぼくはベッドでうとうとしていた。すると、閉じたまぶたの向こう、暗闇の中にオレンジ色の雲のようなものが現れ、渦を巻き始めた。何だろうと思って、ぼくはそれを眺めていた。雲はめまぐるしく変化し、ぼくになにかを語りかけてるように感じられた。なぜかぼくはそれを無意識に了解しているようで、会話は成立している様子だった。ぼくは冷静だったし、怖くなかった。金縛りも起きなかった。どうやらぼくは酒を飲まなくても酔っぱらうことができるらしい。

バルブ

061024たまには仕事のことも書こうと思う。珈琲豆は休日を除き、毎日焼いている。今朝焼いた豆は9種類。頭にハチマキをし、巨大なフライパンをゆすって必死に焼く。のは大変なので、専用の機械で焼いている。機械には9個のボタンと、4つのハンドルがついている。これらをテキトーにいじっていると、おいしい珈琲豆が焼きあがる。写真は、排気バルブというハンドルだ。ごらんのように純金でできている。ように見える。煙はここを通り、煙突を伝って秋の空に昇っていく。

距離

久しぶりにサン・テグジュペリの「星の王子さま」を読んだ。読み始めてみると、たしかに以前読んだ記憶がある。そのときは、有名作家の書いた洒落た絵本くらいの感覚で読んだのだと思う。読んで驚いた。同じ本なのに、まるで別もののようだ。
人と人を隔てるもの。たとえば距離。この本は、いつもぼくの傍にあった。でも、離れていたのだ。
星の王子さまはぼくに言った。
やあ、やっと会えたね。ぼくはずっと待ってたんだよ。
ぼくは言った。
ぼくも会いたかったよ。
でも、君と会うには、少し時間が必要だったんだ。

カボチャの思い出

小さかった頃の話。カボチャをくりぬいてローソクを立て、庭の畑を囲っている木の柵に、いくつもぶら下げた。今の時期になると思い出す。ハロウィーンだったのだと思う。毎年やっていたような気もするが、主催者が世を去り、わが家のハロウィーンも消えた。ハロウィーンは古代ケルト人(特にアイルランド)の風習に由来する。ジョイスのユリシーズを読んで以来、アイルランドは特に気になる国だった。写真集で見た岩だらけの海岸。忘れられない。どうしてこんなにアイルランドに惹かれるのだろう。
先日、ビデオでタイタニックを観たんですが、ジャックとローズが3等船室で踊るシーン。あの演奏はアイルランド音楽ですよね。あれがなければタイタニックもイマイチでしょう。黒ビールも飲みたいし。よーし、いつかいくぞ、アイルランド。

青りんごタイムマシン

このまえから店で使っている洗剤は、青りんごの匂いがする。
コーヒーカップを洗うたびに、青りんごの匂いが立ち昇る。
すると、思いがけず、むかし住んでたアパートを思い出す。
風景が浮かぶというより、今がその時になったような錯覚を起こす。
そこでぼくはその洗剤を「青りんごタイムマシン」と命名した。
他にも、ここに書けないようなことを思い出す匂いがある。
たとえば、コパトーンタイムマシンとか。

ブログの効用

昨日は、どうでもいいようなことを一生懸命考えていた一日だった。で、その結果、答えのようなものが見つかったかといえば、疲れただけ。小さなスプーンで穴を掘ってるような気分だ。すくって邪魔になった土が穴の周りに積みあがっていく。その一部は、時々ブログに記される。なんだか無駄な作業に見えるが、そうでもない。なぜなら、昨日はこれで良い、と思って述べた考えが、今みると、ひどく偏狭なものに見える。ブログも消し去ってしまいたいと思う。昨日のぼくと今のぼくは違う。

同じ方向を

ひまだったので、お客さんからお借りしていた河合隼雄「イメージの心理学」を読んでいたところ、次のような文に出会いました。心理療法についてのくだりです。
…現代人がその喪失に悩んでいるような関係が、治療者とクライエントの間に成立すると、過程が動きはじめる。そのときにまず詩的言語を語るようになるのはクライエントのほうであろう。とすると、それを小説の場合になぞらえると、クライエントが作家であり、治療者は読み手ということになる。この両者の関係について、大江健三郎は次のように述べている。「小説をつくり出す行為と、小説を読み取る行為とは、与える者と受ける者との関係にあるのではない。それらは人間の行為として、両者とも同じ方向を向いているものである。書き手と読み手とは、小説を中において向かい合うという構造を示しているのではない」… P196
治療者とクライエント、小説の書き手と読み手。それは、
「向かい合うのではなく、同じ方向を向いている」というのです。
これはけっこう深い示唆を含んでるな、と思いました。
サン・テグジュペリが「人間の土地」で、こう言ってるんですね。
「愛するとは、向き合うのではなく、同じ方向を向くことだ」って。
愛することの難しさ。ぼくは、そのイメージがうまくつかめなくて、いつも悩んでいるのです。まるで星の王子さまみたいでしょ?(笑)
ところで、この本、もしかして村上春樹の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」のモチーフになってるのでは?ちょっと気になりました。

雨の夢

雨が降っている夢を見た。音を立てて降る激しい雨。なぜかそれを喜んでいるぼく。でも、おかしいな、と思い始める。天気予報は晴れだったのに、と。そこで目が覚めた。すぐにカーテンを開け、窓をあけた。ポスターみたいな、平べったい青空が広がっていた。乾いていく植物たち。植物に心はないのだろうが、かわいそうに思う。