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「以前会ったことありませんか」
こういう言葉は挨拶のように使っていい場合はあると思う。
粋な響きはあるが手垢にまみれた感があって使いたくない。
しかし、うっかり口に出してしまいそうになった。
われに返り、冷静に記憶を洗ってみた。
「一度も会ったことはない」と結論するしかなかった。

愉快な人

今日、最初にいらしたご婦人。
ぼくの目を一瞥したのちに、こう言った。
「わたし、今日一番の客?」
なんでそんなことが解るんだろう。だって、もう11時。
店を開けて1時間も経っている。
「そうですよ、残念ながら」
ぼくはワザと渋面を作って返答する。
ご婦人は、うれしそうにほほえむ。
自分の言葉で話す人は愉快だ。
もちろん、下手をすると、イヤミととられる危険がある。
言葉にスパイスを上手にかけられる人たち。いいね。
ちなみに、彼女はヨーロッパ映画通。

踊ろよbaby

雨が降っている。空は灰色。
気分が滅入ってきた。やりきれない。
踊ろよbaby ! 太陽は雲の上。
ほら、南の国のリズムが聞こえてきた。
踊ろよbaby !

少年

休み明けの朝。
「仕事なんか、つまんないから行きたくない」
と、ぼくの中の少年Aがすねる。
少年Aは、虫取りが大好きだ。
捕虫網と虫かごを持って山に出かけたい。
ぼくは少年Aをムシして、仕事カバンを車に載せ、エンジンをかける。
最初の交差点を曲がる頃には少年Aは消えてしまう。
こうして休み明けの一日が始まる。

motivation

Beer01やっと体調が戻ってきた。
と、いうわけで、試しにビールを飲んでみた。
どうも、おいしくない。
マズイな、と思うのは、ビールがまずい、ことじゃなく、ビールを飲みたい!という気分にならないこと。

冬みかん

みかんの皮がダブダブになって、味もブヨブヨになってきた。
みかんの季節は終わったらしい。
限られた間にしか手に入らないものがある。
そういうものは目に見えて愛おしい。
冬のみかんは器用だから愛される。
不器用なみかんは愛されない。
いつでも手に入るものは愛されない。
愛するものは手に入らない。

トイレ

Photo_14トイレは、なぜかとても愛着のわく場所である。そこには鍵のかかる秘密の扉があって、神聖な場所へといざなう不思議な気配が漂っている。と、いうのは、ぼくの勝手なトイレ観?である。そんなわけで、店のトイレにはミュシャのポスターを配した。ミュシャの絵には明るくも暗くもない陰翳を含んだ独特のムードがあるが、なぜかぼくには20ワット白熱電燈のともったトイレのイメージがダブるのである(笑)
いつかお金がたまったら、自宅のトイレ、洗面所、風呂、この三つを本格的なアールヌーボー調に仕立て、ミュシャの絵を飾りたい、と思っている。

デスクトップ

Photo_13夕焼けの海。赤紫の空に向かってヤシが大きな葉っぱを広げている。どこか南の島かもしれない。この壁紙、windowsに入ってたのをそのまま使ってます。なんにも張ってない人って、いるのかしら。

スコップ

また変なこと書いてると思われても仕方がない。
ぼくは穴を掘るのがとてもうまい。
わざわざ日記にこんなことを書く理由は、備忘として残しておこうと思ったためである。忘れかけていたのだ。「ぼくは穴を掘るのが好きで、とても上手かった」ことを。
そうだ、ぼくは長いこと穴を掘ってない。
智恵子は東京には空がないという。しかし、地面だってほとんど見あたらない。たとえ小さな地面を見つけても、穴を掘ると不審者として通報される。小学生だった頃、ぼくの宝物はスコップだった。日曜日は日の出を待って、スコップとロープを持って山に出かけた。地面に穴を掘って、地下秘密基地を作るためだった。その高い技術は後にアルバイトで確認された。土木工事の現場監督に絶賛されたのである。ストラディバリが演奏者を操るように、ぼくはスコップの傀儡となって無心に穴を掘った。別の言い方をすれば、穴を掘ることでぼくは無心になれた。ここまで書いて思い当たった。地面に限らない。「すべての山を登れ」と、某修道院長が歌ったように、今もぼくはいたるところに穴を掘り続けている。

松竹梅

常連の奥様との会話。
今年の抱負から始まった話がこんな風になった。
「ところであなた、松竹梅の意味、ご存知?」
「知りません」
「嫁ぐ時の心構えなんですよ、松はね、根を横に広げてしっかり張る」
「なるほど」
「竹は、節目節目を大切にする」
「なんとなくわかります」
「梅は冬をじっと耐え、だれよりも早く目覚めて花を咲かす。太陽のように家庭を明るく照らすんです」
「女の人って大変ですね、楽しいことなんかなさそう。男でよかったな」
「そう。ところであなた、熟年離婚って、ご存知?」
今日もまた話は変なほうに向かっていく。