店の中にずっと引っ込んでると、忙しい時はいいのだけど、暇なときは、どこか、だれもいないところに出かけたくなる。そんなとき思い浮かべるのが決まって海なのは、想像力が足りないせいだ、と思う。だれもいない砂浜。打ち寄せられたガラス瓶、洗剤の容器、欠けた貝殻、白い骨のような木々。それらが、なかば砂に埋まって風に吹かれている。波打ち際をどこまでも歩く。ぼくは椅子に座って、そんなことを想像する。じっさい、海に行っても、そういうことをやっている。まるで人生に喜びを見出せなかった人のように見えるかもしれない。もちろん、そんなことはない。
—- BGMはカルメン・マキの「記憶の海」でおねがいします —-
本を読む速度
きょうは定休日。昨日に引き続き「海辺のカフカ」を読む。ぼくの本を読む速度はかなり遅い。文中、「君のたてたコーヒーはうまいな」などという会話があると、たちまちコーヒーがほしくなり、数分後、ぼくは台所に立っている。主人公がボディ・トレーニングを始めると、いつの間にか本を伏せ、腹筋運動やら腕立て伏せを一生懸命やっている。そんな按配でグズグズのろのろ読み進んでいるうちに、あたりは薄暗くなっている。椅子を窓に寄せ、しばらくは空の明かりでページをめくっているが、街灯が灯りはじめる頃にはさすがに文字を読むのが辛くなる。この物語の舞台は古い屋敷を改造した私設図書館。当然、そこは白々とした蛍光灯ではなく、古びた白熱電灯が暖かく灯っている。わが書斎は寝室の隅にあり、天井には明るさを調整できる古風な装飾電灯が下がっている。そこでぼくは、いつもなら省エネのため蛍光灯を点ける所を、その装飾電灯を選んでスイッチを入れる。物語にマッチした雰囲気になったものの、本を読むには暗い。ぼくは壁のコントローラーを回し、明るくする。明るくなったはいいが、ランプシェードに積もったホコリが俄かに気になりだす。ぼくは納戸から脚立を持ち出すと、ガラスシェードと電球をすべて取り外し、洗面所に並べ、黙々と洗いはじめる。夜は更けていく。物語のページは遅々として進まない。とにかくぼくは本を読むのが遅い。
metaphor
お客様から借りた本を読み始めた。村上春樹の「海辺のカフカ」。4年前の本だ。彼の本を読むのは久しぶり。あいかわらず主人公たちは生活感のない、隠喩や直喩をちりばめた奇妙な言葉でしゃべりまくる。しかし、その隠喩や直喩がちょうどテレパシーのように、言葉の理解を省略し、まるで絵を眺めるように情景を伝えてくる。隠喩はイエスキリストが説教する際に好んで用いた手法だ。人を諭す場面でよく使われる。そんなわけで、彼の作品に登場する人物はどいつもこいつも、多かれ少なかれ説教がましい。「海辺のカフカ」では、特に隠喩(メタファー)という言葉が随所に現れ、主要なキーワードのひとつになっている。おかげでぼくは、主人公たちと、執筆中の村上春樹の顔がダブってしょうがなかった。登場人物をふくめ、この作品は僕の(村上春樹の)メタファーなんだぞ、と自ら言い続けてるような気がして。
見知らぬ人
—- 記憶喪失のため、しばらくブログをお休みします —-
このまえ、F氏から借りていた「過去のない男」というDVDを見た。
暴漢に襲われ、記憶喪失になった中年男の話。
彼は、見知らぬ土地で新しい人生をスタートさせる。
「もし、ぼくが記憶喪失になったらどうなるだろう」
ぼくは風呂で頭を洗いながらずっと考えていた。
肉親、家族、親しい友人たち、お客様。
愛する人、愛してくれている人たち。
その日から、ぼくの目には、みな他人として映る。
だれと会っても、特別な感情など、わいてこない。
記憶を失った当人は悲しくないのかもしれないが
ロゴマーク
当店のロゴマークは友人に作ってもらった。その友人が二科展に入賞した。ぼくはあまり新聞を見ないので知らなかったのだけど、写真入りで取り上げられたらしい。彼が店に来たので、ぼくは言った。
「これを記念に、ロゴの人物をスマートにしてくれ」
ロゴのモデルは、もちろんぼく。しかし、どう見てもスマートじゃない。これまでにも何度か頼んだのだが、面倒臭がって変えてくれなかった。しかし今日は機嫌よくOKしてくれた。
ちなみに、「長島珈琲焙煎店」という名前を考案したのも彼である。ぼくはナニもしていない。
入賞作品の画像を送ってもらったら、制作コンセプトが付いて来た。
2006 第91回二科展デザイン部
C部門テーマ「地球環境とエネルギー」出品作品
タイトル「環境とエネルギー」
制作コンセプト
今回の課題テーマは「地球環境とエネルギー」です。制作にあたっては、イメージやアート性に偏らず、実際のポスター(街角に掲出される等)としてもわかりやすく機能することをまず前提に考えました。デザインは、テーマが重い分、楽しく見られるよう、色、リズム、親しみやすい表現に配慮し、また環境改善のためにはたくさんのやり方があることをわかりやすく画面に定着させたつもりです。描いたアイデアスケッチは100以上。「環境」というテーマは、私自身がデザインに関わって以来ずっと心に留め、大切にしてきていることなので、特に力を入れて取り組みました。技術的にはほとんどCGですが、複雑な色調整をしているため、色変更もキーひとつで瞬時に変更ということもできず、色、レイアウトには多くのシミュレーションを要しました。CGはまだまだ奥が深いと実感するこの頃です。
requiem
車で通勤している。最近カーラジオを聞かなくなった。なぜだかわからない。もっぱら、クラシックのCDをかけている。性格を反映してか、暗い曲をかけることが多い。暗い夜道をなにも考えずに走り続ける。ぼくは夜にとけて、ぼくが車なのか、車がぼくなのか分からなくなる。気がつくと、目の前をドイツの高級車が連なって走っていた。カーステレオからはモーツァルトのレクイエムが流れている。ぼくは葬送の列の最後を走っているような気分になった。
まずい夢
まずい夢を見た。何がマズイかというと、「ぼくが、こんなことをするはずがない」と、信じていることをやっちゃう夢。法に触れるとか、人に迷惑をかけたりすることじゃないのだけど…。自分が自分であるために、ぼくは独自のルールを作って密かに守っている。それを嬉々として破る夢だった。なんだか不安。自分の中でナニか変化が起きてるのカモ。やぁね。寝る前に酒を飲みすぎたせいかしら。
秋だから
わけもなく反省する日々が続いている。
こんなに反省してどうするんだ、というくらい反省している。
だから疲れている。(甘いものが欲しい)
反省はエネルギーを消費するのだ。(酒も消費する)
いつものことだから、心配はいらない。
心配してくれる人がいればの話だ。
風車
朝起きると青空が見えていた。台風は昨夕長崎をかすめ、日本海に抜けたらしい。西向きの窓からさわやかな風が吹き込んでいる。屋上に上がって遠くを眺めやると、いつになく指宿の知林ヶ島がはっきり見える。台風の後は、遠くまで見通せることが多い。今夜の星空が楽しみだ。ぼくは台風の後片付けをはじめた。飛んできた葉っぱや小枝を拾い集める。さらりとした、気持ちのいい風が吹き続けていた。見上げると天は高く、薄く広がったうろこ雲の下を、群れを成した羊雲が先を急いでいる。ずいぶん前に、どこかで同じ空を眺めていた。そんな気がした。風は見えないが、いろんなことをする。風車を回し、羊雲を追い、人の作ったものを壊す。夕方、風に吹かれながらビールを飲んだ。遠い山の端で、風車はいつものように回っていた。
(写真上は屋上から見える北の風車、下は西の風車)
炎の揺らぎ
台風が通過中だ。風と雨が原初的なリズムで叫んでいる。その間隔、強弱は恐ろしくセクシー。ぼくは好奇心をおさえきれず、屋上に出てしまう。雲は流れ、風が脈動している。しばらく無風状態が続いた。たいしたことねえな、と油断していたら、暴力的な風がドカンと来た。思わずよろめき、はいつくばって、あたふたと退散。規則的でもなく、ランダムでもない。人の脳は、こういうアルゴリズムに弱い。抗いきれない。生命のリズムが規則的でなく、かつランダムでもないならば、人がこのようなアルゴリズムに惹かれるのは理の当然なのかもしれない。人を口説く天才の才とは、ひょっとすると、このリズムなのでは、などと、突然くだらないことを思いついたりして。