ぼくの思いが通じたらしい。やはりぼくは超能力者だったのだ。そろそろ買おうと思っていた憧れの雑誌、「風の旅人」のバックナンバーのうち、創刊号~19号(最新号は23号)までがネット上で特別販売(12/31迄)された。なんと半額!ぼくがこの雑誌に興味を持ったのは、ネットに公開されている、この雑誌の掲載写真に打たれたのがきっかけだ。執筆者も好きな人が多い。どうせ買うなら、全巻そろえたいと思っていた矢先だった。昨日届き、今日から読み始めている。発見がある。新しい考え方をスタートさせるヒントがある。なんというか…網と虫かごを持って、はだしで走りまわっていた少年時代に帰ったような気分になる(笑)。ニヤニヤ、ワクワクしながら見ている。読んでいる。
今、陽だまりのソファに腰掛けて創刊2号を読んでいる。編集長の記事に、こういうくだりをみつけた。
「—身体や住拠は、単なる物体ではなく、役割を持ち、役割を果たすように機能し続けるものであることが基本だ。その働きは、本来、誰のために役割を果たしているのかということが大事であり、それは当たり前のことであるが、そこに宿るもののためなのだ。— 割愛 — 形や型は、物そのものとして存在価値があるのではなく、その内部に秘められた掛け替えのない力をおもいやるものなのだ—」
グッドデザインの概念に似ている。当たり前のことなのだろうけど、高度に都市化した社会に組み込まれ、埋もれて安心していると、こういう視点を取り戻し、自分に立ち返ることは難しい。当たり前のことに気づくことで、それまで築き上げた価値観が一瞬にして瓦解、ゴミになる。風のない街。でも、風はいつも吹いている。
数日前、この編集長がネット上でヒント満載の記事をアップされています。良かったら一度目を通してください。自分にとっていい記事とは、正しいか、正しくないかではなく、気づきのヒントがある文章なのだと思います。
酒とバラの
「おいしいものを食べて、好きな人と寝る。それこそが人生だ」
とは、当ブログにリンクさせていただいてる春さんのブログ「椿屋敷農園」のサブタイトル。なんとステキな言葉だろう。ぼくは思う。おいしいものを食べて好きな人と寝ている人が、はたして巷にどれだけいるだろうか。ぼくは、どんなにうまい食べ物でも、一人で食べるとおいしいと感じないし、キライな人と食べるなら、なおさらのこと。おいしいものを食べるのは案外難しい。さて今夜、ぼくとF少年はOさん宅の夕食会に招かれていた。ここ数年、ぼくの楽しみの最上位にあるのがこのイベント。
Oさん宅は急な坂を上った高台の閑静な住宅街にある。仕事を終えて雨の中を飛ばし、Oさん宅に到着したのが午後8時。明かりを落としたリビングルームは、調度品が落ち着いたヨーロピアンで統一されていることもあって、古参の執事のように威厳のあるやさしさで訪問者を迎えてくれる。F少年が仕事の関係で遅れるとのことで、先にシャンペンを開けることになった。スペイン産なので、厳密にはシャンペンとは呼べないらしい。それまで音の無かった部屋にガラスが鳴り、酒と料理の匂いが競うようにはしゃぎ、パリの音楽が満たされた。サティのJe te veux。いうまでもないが、今からぼくは、おいしいものを食べることになる。
dark side.moon
臆面もなく、思いつめたような暗いエントリーは続く・・・
予定だったが、読者もそろそろ飽きてきたようだ。
見よ、その証拠にカウンターの伸びが鈍い。(カウンターは右上)
そう、ぼくが悪いのです。
すべてぼくが悪いのだ。
うおぉ~~~!(エコーをかけて読むこと)
とりあえず叫んでみました。
ね、そういうとしごろなのね。
ぼくのふるさと
高いところに夏の雲が出ていた。
雨雲の間から見えた。
白く輝いていた。
胸が高鳴った。
そのとき浮かんだことば。
ふるさとはとおきにありておもうもの。
もうすぐ冬至。
オートマチック
思えば、ぼくの人生をつまらなくした理由のひとつが、車をオートマチックにしてしまった事だ。(と、断言したりして)
脳科学者、茂木健一郎の本を読んでると、「身体感覚」(だったかな)という言葉が出てくる。人は、使っている道具を自分の身体の一部として認識するようになるというのだ。たとえば、トラックを運転していると、その大きさを自分の体の大きさとしてシームレスに把握、認識するようになる。狭い道も、いちいち考えることなく通れるようになる。これは脳の働きによる。そこで思う。ぼくは車を運転するのが大好きだ。このような場で公表するのはよくないと思うが、ぼくは車を改造して狂ったように走り回っていた。見た目はまったくノーマルな車なのだが、ほとんどの部品を取り替え、限界まで馬力を上げて走っていた。何度も死に直面した。つくづく愚かだったと思う。脱線(笑) 今でも車は大好きだ。でも、今乗っているのはスポーツタイプではない。いわゆるファミリーカー。車はゼイタクな遊びだと思う。脱サラし、一度どん底に落ちた自分には(今もどん底だけど)ファミリーカーでも贅沢すぎるくらいだ。しかし、なにかが変だ。ぼくがぼくでない感覚がずっと続いている。日々自分の人生をドライブしていて、妙なもどかしさがつきまとう。ぼくには、マニュアル仕様の速い車が必要なのだと感じている。車はぼくの身体の一部だったのだ。
夢の分析
河合隼雄の本にハマっている。とにかくオモシロ怪しい。彼が扱っているのはユングの深層心理学なのだけど、読み始めると、なんだか狐につままれているような、イヤ~な気分になる。一見、デタラメ風。かなり胡散臭い。戯言の世界をさも本当のように論じているフシがある。しかし、ウケる。ぼくの少年的好奇心を甚く刺激する。少年時代、後ろめたさを覚えつつ覗いたサーカスの見世物小屋。その薄暗い覗き窓の奥には、親の因果が子にたたったとされる、三本足の女、あるいは鬼のようなツノのある男、などが潜んでいた。一方、河合隼雄の本に登場するのが、無意識という人類未踏の地に潜む、アニマ、アニムス、そして影。無意識とは、その言葉自身が定義している通り、言葉やイメージとして捉えることのできない、意識できない領域だ。心の深層にあるとされる。広辞苑には「夢・催眠・精神分析によることなしには捉えられない状態で、日常の精神に影響を与えている心の深層」とある。彼の本を読み始め、「無意識」に興味を持ったぼくは夢に注意を払うようになった。夢によって、無意識の世界を探索できるらしいからだ。じつは今朝方、夢を見た。最近、夢を見なかったので、チャンスと思い、すぐに分析を開始した。会社勤めをしてた頃の上司が現れ、にこやかな顔で、ぼくをなじるのである。彼はぼくの夢には初登場であった。はたして、このことが意味するのは…。ぼくは通勤途中の車の中で考え続けた。しかし、しっくりくる分析結果は得られなかった。店に着き、いつものようにコーヒー豆を焼いていると…
「よお、久しぶりだな、元気してるか?」
どこかで聞いた声…夢で聞いた声だった。
現れたのはなんと、夢でぼくをなじった上司だったのである。
最近ぼくは狐につままれることが多い。
ナカナカ使える
カーオーディオに、iPodをつないで音楽を楽しんでいる人も多いと思う。ぼくは今までMDをつないで使っていたのだけど、先日、ケータイをSo903iに替え、今はこれのウォークマン機能を使っている。すべてのボタン操作がフタを閉じたままできるところがイイ。この操作ボタン、電話やメールを受信すると光ります。ムービーで見れます。見ないほうがいいかも。ブロードバンドじゃないと苦しいです)
フレンズ
ぼくのいいところは、欠点が多いところだ。だから、いいともだちが多い。ともだちも欠点だらけだ。だから気楽につきあえる。欠点のないやつはいない。多かれ少なかれ嫌なところがあり、問題がある。親友の一人は暴走族のリーダーをやって暴れ回っていた。でも、友人の中のだれよりも気がつく、やさしいおとこだ。親友の一人はいまだに塀の中にいるが、彼は友人のだれよりも動物好きで、小さな命を大切にする。親友の一人はとにかく口が悪い。ぼくの悪口ばかり言う。ぼくを怒らせて喜んでいる。しかし、ぼくが困っている時は、昼夜かまわず駆けつける。ともだちは、いつの間にか育つものだ。嫌な欠点や問題を肥料にして。肥料は臭く苦いかもしれない。でも、肥料なしでは育たない。
カッコワルイ
やっとおわった。やはりぼくはカッコよく生きられなかった。親友の一人が多大な借金を抱え、にっちもさっちも行かなくなっていた。会うたびに死にたいと漏らした。ぼくはどうすればいいのだろう。いろいろ方策を練ったが、いい案はないのだった。結局、ぼくにできることといえば、彼の借金の一部を肩代わりすることだった。簡単なことだ。深夜、「今オレは港にいる」という電話があった。それきり電話はつながらなくなった。車を飛ばし、堤防付近をずっと見て回った。海に飛び込みかねない様子だった。フェリー乗り場の待合室に彼を見つけ、家に連れ帰って泊まらせた。ともだちならどうする。持ってる不動産を売り、残債を引いて、少なくとも2000万は準備できる。彼の借金もそれくらいだ。親友とはいったいなんだろう。ぼくは決断できなかった。親友は店に来るたびに死にたいという。職もみつからない。夜中に目が覚める日が続いた。彼がかわいそうで悩んでいるのではなかった。自分の保身を優先する自分が許せなかった。今日、その友人が来た。いつもと様子が違う。死にたいとも言わない。明るかった。何かが見えたらしかった。ぼくはホッとした。でも、自分の醜さが変わったわけではもちろんなかった。彼は助けを求めた。ぼくは彼を助けなかった。彼にとって、ぼくは親友ではなかった。ぼくはカッコよく生きることはできない人間だった。
発火
青春時代。自分が何をやっているのか分からなかった。過去も未来もなかった。今がすべてで、遠くを見る余裕などなかった。ただただ、地面を這いまわっていた。虫は火に飛び込んで死ぬ。人は自ら発火し、自分を焦がす。時は過ぎた。今は同じことをやっても、どこかオモシロ半分な不真面目さが付きまとい、発火することがない。煙も出ない。作戦を変えなければ。