カー

数日前、某ブログにイタリアかどこかの小さな車の写真が載っていた。ふだんは、ほとんど女性しかコメントしないブログなのに、そのエントリーだけ男性のコメントが続いた。男にとって車とは。もちろん、オモチャである。男にとって女とは。アルファでありオメガである。ところで、ぼくはひそかに軽トラックが好きだ。ピカピカのスポーツカーで女性を誘うのがカッコイイと思うのは田舎者である。軽トラックで誘う方がカッコイイのだ。軽トラックといえば、頴娃町の広域農道を思い出す。あそこで何度オジンやオバンの軽トラックにあおられたことか。あそこは変な町だ。ちなみに、日本初のツインカムエンジン搭載車はHONDAの軽トラックである。

雨の日のレイン

雨の中、電柱の横。モノトーンの女が立っている。A-B
ぼくは家の中から彼女の位置を計算している。2A-E
ぼくの視線に気づいてふり向く。125-90
カウントダウン

主人公 Z

信じられない話だが、ぼくの知っているカーペットのセールスマンは目が覚めると芋虫になっていた。芋虫になることが幸せかどうかはわからない。おそらくケースバイケースだろう。その後、彼がどうなったかは不明のままである。むかし見た映画によれば、大きな芋虫は大きな蛾になり、かわいい双子を乗せて南の島に飛んでいった。いまのところ、そのような噂はまだ聞こえてこない。

急いで口で吸え

ぼくはヒップホップがすごく嫌いだ。ところで、ヒップホップってなんだろう。ぼくはネットで調べてみた。すると、日本初のヒップホップは「スネークマンショー」のラップである。というくだりにぶち当たった。
一瞬、胸が高鳴った。ぼくは「スネークマンショー」が大好きだったのである。
スネークマンショーには、例えば次のようなすばらしいコントがある。
「パンダは、なに食べてるんだろうね・・・・パンダ」
ぼくは死ぬほどおかしかったが、友人たちに聞かせると
「どこが。ぜんぜんおもしろくないじゃん」
白い目で見られることが多かった。(特に女性)
ぼくは発見した。スネークマンショーのコントは踏み絵として使えることを。このおかしさが解らない人とぼくは類を異にする。思えば、ぼくの人生を大きく変えたのがスネークマンショーであった。

5000cc

いったい、悩みのない日というものはあるのだろうか。こんな風に書き始めると、今からすごく意味のあることを書くと思われるかもしれないが、今日は違う。ぼくはけっこう長く息を止めていられる、という話だ。最近は計ってないが、2分は大丈夫である。どうすれば長く息を止めていられるか。やはり訓練だと思う。ぼくは風呂に入るとき、水面下まで浸かる。とくに温泉では湯船が広いので、息を少しずつ吐きながら底まで沈み、水底に寝そべって瞑想する。インドの修行僧もここまではやらない。長く息を止める訓練を積んだ結果、ぼくの体には変化が起きている。といっても皮膚呼吸ができるようになったわけではない。脳ミソは恐ろしく酸素を消費する器官である。息を止めているときに頭を働かすと、すぐに苦しくなる。ぼくは意のままに、不要な思考を停止させ、酸素の使用量を減らすことができるようになったのである。その効果は絶大で、ずいぶん長く潜っていることができる。だからどうした、といわれると困る。

電影窓の向こう

ぼくは青春が終わった頃からテレビを見なくなった。以来、ぼくの中のスターは年をとるのをやめてしまった。山口百恵や天地真理を知らない人が増えてきたが、今日、店で天地真理の話題が出た。それは白雪姫のように清らかで愛らしい笑顔の持ち主。目をつむれば、いつでもぼくに微笑んでくれる。お客様の話によれば、彼女は恐るべき変貌を遂げたのだという。年をとったせいか、ぼくも少し利口になった。引いてはいけない引き出しがあるように、開けないほうがいい窓がある。

キノコクラゲ

何年か前、カスピ海ヨーグルトというのが流行った。今も作っている人はいるのだろうか。ぼくはヨーグルトが好きなので、自分で作って食べていた。しかし、ぼくしか食べなかったので、いつの間にか冷蔵庫から消えてしまった。それから何年か経った今日、カスピ海ヨーグルトは復活した。ぼく以外の家人もヨーグルトを食べるようになったからだ。むかし、キノコクラゲという怪しい飲み物が流行ったことがあったが、あれは問題があったらしい。カスピ海は大丈夫だよね。

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真夏日の昼の出来事

Bag_01予報によれば、今日の最高気温は30度だという。暑くなると何が起こるだろう。風が吹けば桶屋が儲かる、というのは、よく知られたカオス理論である。暑くなると豆屋の客が減る、というのは、知っても役に立たないカス理論だ。はたして今日は、ぼくの予想通り退屈な一日になるのであろうか…
昼過ぎだった。ぼくは常連の若奥様が持っていたバッグに目が留まった。
「いい色だね、穴だらけだけど」
好きな色だったので、ほめてみた。
「あら、目が高いわね」彼女の美しい瞳がキラリと光った。
「見せてよ」ぼくは言った。ビニールかと思ったら革だった。
「いくらするとおもう?」
「さんまんえん」
「うんにゃ、さんじゅうまんえん!」ぼくの目を見てニヤニヤしている。
本当かもしれないが、いつものぼくのウソに対する逆襲かもしれなかった。彼女らと入れ違いに、最近常連気味のゆきちさんがいらした。今日は知らない女性を連れている。とてもきれいな女性だ。すぐにぼくのノーミソはエコノミーからハイパーモードに切り替わった。
そう、ぼくは彼女をまったく知らなかった。しかし、彼女はぼくを知っているという。こんなきれいな人がぼくの知り合いだったとは…
「ふっ、ぼくもまんざらじゃない」
彼女は、ブログでなじみのあやさんだった。ぼくはコミカルで一風変わった感じの人をイメージしていたので思いつかなかったのである。なにせ、あのブログときたら…おもしろおかしすぎ。
「ところでゆきちさん、あの絵、分かった?」
三日前から絵と格闘しているゆきちさんに聞いてみた。
「だめです。わからない」心なしか彼女はやつれて見えた。
「そーかー、さっきいらしたrogiさんもお手上げで帰っていったよ」
ぼくはなぐさめてみた。やさしいオレ。
そこで問題の絵をあやさんに見せてみた。彼女は絵を見た瞬間に解答してしまった。
ズーーン。(あたりが気まずい空気に包まれる擬音)
というのはウソです。
あやさんが答えを絵に描いてゆきちさんに説明した。
ややあって、ゆきちさんは叫んだ。
「aha~~!」

しあわせよこんにちは

「恋人との出会いで言えば、最初に反感を持つような人の方が、付き合ってみると実は自分にないものを持っていることに気付かされ、熱烈な恋愛感情に発展する、そのような経験はありませんか?もちろん、タダの嫌なやつ、というケースもありますが、最初は反発するくらいの方が、自分にとって大切な何かを秘めているという場合も多いのです」
まるで女性週刊誌の人生相談コーナーのようですが、実はこれ、二日前のエントリー「aha !」で取り上げた茂木健一郎著「ひらめき脳」からの引用です。この本は脳科学の最前線トピック「ひらめき」を、脳科学者が分かりやすく解説しているものです。それにしても、恋人との出会いが脳科学の最前線とどう結びつくのでしょう。ぼくも知らなかったのですが、レントゲンのX線をはじめ、科学上の新発見のほとんどは、偶然のシグナルを受けての「ひらめき」によるものなんだそうです。しかし、新発見という幸福に出会いたくても、相手が偶然じゃあ手の打ちようがない。でも、手立てがないわけでもないですよ、というのが冒頭の文なのです。これは偶然やってくる幸運と出会うための心がけなんですね。このくだりは、以下の文からの続きです。
「未知の何かとの出会いは、しばしば人間に警戒心を抱かせ、時に反発したり、憎しみを抱かせたりさえします。そのような時、いたずらに従来の自分の世界観に固執することなく、積極的に新しい事態を受け入れる。そのような態度が重要なのです」
著者は「偶然やってくる幸運と出会う」ための条件を六つ挙げているんですが、ここではその中のひとつ「受容」を取り上げてみました。(人生相談みたいでウケた、というのがその理由)脳科学の最先端を勉強しつつ、偶然やってくるしあわせにも「こんにちは」したいゾ、というヨクバリなアナタ。この本を買って全部読んでみてください。税別680円。安いもんです。ぼくはF氏からタダで借りましたが。
p.s.
偶然やってくる幸運と出会う能力を「セレンディピティ」というらしいです。