生きる

臆面もなく昨日の記事から続くのだった

人生を生きよ、とフェルナンド・ペソアは言う。

「現実生活のどんな行為も、本当に行動しているのは自分ではない。動かされているのだ」

「なぜなら現実生活は、世間の生活は、自分自身に属しているどころか、他人のものであるからだ」(ぼくはまだ見てないけど、黒沢映画「生きる」がこの問題を扱っているんじゃないかと思う)

先日、夕食を食べながらヨッパライ某と話した。人はなぜ危ないところに行きたがるのか。植村さんはなぜ北極に出かけたのか。
もしかするとその答えがペソアの言うこれなのかもしれない。
「本当の自分自身であれ。それは夢みることによってしか到達できない」

ブルー

男たちは自分の中にある永遠の女性像を目の前の女性に投影してそれを追いかける。でもそれは幻だから追っても追っても逃げ水のように遠ざかってしまう。ユングの言うアニマがそれだ。昨日、青空に向かって山道を走ってると、カーオーディオから沢田研二の「コバルトの季節の中で」が流れはじめた。ぼくはとなりの女性にそのイメージを重ねることができる。現実と幻の境界を意識できるから。

「コバルトの季節の中に」の女性と、大瀧詠一の「ペパーミントブルー」の女性は男にとって幻の女性だ。畢竟、人生は幻なのか。フェルナンド・ペソアは次のように書いている。
人生を生きよ。人生によって生きられるな。真理にあっても誤謬にあっても、快楽にあっても倦怠にあっても、本当の自分自身であれ。それは夢みることによってしか到達できない。なぜなら現実生活は、世間の生活は、自分自身に属しているどころか、他人のものであるからだ。だから、人生を夢で置き換え、完璧に夢みることのみに腐心せよ。生まれることから死ぬことに至るまで、現実生活のどんな行為も、本当に行動しているのは自分ではない。動かされているのだ。生きているのではなく、生きられているのだ。

秋のはじまり

起床8時。変な夢を見て目が覚めた。そのせいか、たっぷり寝たのに、すでに疲れていた。今日は定休日。北に走るか南に走るかで迷ったが、そろそろ山の上の公園の赤い花が咲く頃だと思って南に向かった。

昼食は漁港近くのスシ屋で安い方のスシ定食。ヨッパライ某は地魚のなんとか、というのを注文した。

今夜はスパゲティーにする予定だったので、帰りに道の駅に寄って何かおもしろそうな具材はないか探したけれど、何もなかった。時間が遅かったせいかもしれない。

庭のバジルが伸び放題になってたので、それでジェノベーゼを作り、バジリコを作った。とてもおいしかったです

休日の前夜

時計を見ると23:08
あしたは休みだけど、いつまでも起きていると寝坊して貴重な休日が減ってしまう。
さっき、本を注文した。
ガルシアマルケスの「わが悲しき娼婦たちの思い出」。
川端康成の「眠れる美女」に触発されて書かれた小説だそうだ。
おやすみ

家でゴロゴロ

今日は第一火曜日で休日。予報では曇りのち雨とのことだったが、全くそんな気配ナシ。晴れだと分かっていたらドライブに出かけたのに。なんだか損した気分だが、たまには家でのんびりするのもいいか、ってことで、家でゴロゴロ

昼食はアベックラーメンを使った冷やし中華。これを食べると夏が戻ってきた気分になる。今日も暑かったが、あと二週間もしないうちに彼岸花が咲き始める。

あしたもお休みなのです

今日は月曜日で休み。グループホームにいる伯母に会いに行き、その帰りに美術館寄ってみた。月曜日なのになぜか開いていたから。

美術館に入るといきなりこんなのがいた

不思議な気分にさせられる作品。どこかで見たような気がすると思ったら、コペンハーゲンにあるあれだった

ヨッパライ某が用事を済ます間、近くの公園をブラブラ

遅い昼食を峠のソバ屋で。

海に寄ってみた

夕食はバーベキューになった。今年最後のバーベキューになりそう。と、この前も書いた

SFの夏

店を閉め、車に乗り込み、家路を急いだ。夕食は何だろう、そろそろカレーかな。駐車場に車を止めて玄関に向かう。南東の空に円い月が浮かんでいるのが見えた。しかし、その月はこれまで見た月とはずいぶん違っていた。

月面調査隊が真紅の宇宙服をまとった死体を発見した。すぐさま地球の研究室で綿密な調査が行なわれた結果、驚くべき事実が明らかになった。死体は生物学的には現代人とほとんど同じにもかかわらず、5万年以上も前に死んでいたのだ。

これはジェイムズ・P・ホーガンのSF、「星を継ぐもの」の紹介文。数日前にこの本を読み終えてからというもの、月を見るたびに、あのどこかに5万年以上前に死んだ人間の死体が転がっているんじゃないか、と思うようになってしまった。