とめどない話

あまり見かけなくなったけど、ぼくが子供だった頃は、水道管が壊れ、道が水浸しになることがあった(笑)
地面から噴き出した水が、まるで命あるもののように踊っている。
つい、時を忘れて見入ったものだ。
道を与えられた水は、おとなしい。
水路を流れ、川に注ぎこんで海に帰っていく。
人の魂も行く先を求めて躍動している。
それが健全な状態だ。
ポーという作家が次のように言っている。
「真の告白を試みてみよ。ペンの下で紙は火を吹き、たちまち燃え尽きてしまうだろう」
魂の仕業は、はかりしれなく、とめどない。
また、映画ジュラシックパークに登場する数学者が次のように言っていた。
「生命は常に新たな道を求めつづける」
生命とは、魂とは…
まったく、はかりしれなく、とめどない。

あの5年間

今日は28日。
28という数字には少々思い入れがある。
結婚した時ぼくは28になっていた。
28になるまでの5年間は妙な具合に充実していた。
と、今になって思う。
当時を思い出そうとすると、極端に良い思い出と極端に悪い思い出が背中合わせになったまま、ぐちゃぐちゃに混ざり合って整理が付かない。
なんだったのだろう、あの5年間は(笑)

飛行機雲

Photo_20空は晴れていた。
風もほとんどなかった。
なぁーぁーんも、したくない一日だった。
パンとコロッケを買ってきて、屋上でのんびり昼食をとった。
とても穏やかな一日。ノーミソは仕事を忘れて休止中。
ラジカセから流れるボサノバは、右の耳から左の耳に抜けてゆく。
地球は、ぼくとテーブルと、パンとコロッケとコーヒーを載せたまま、時速10万kmで太陽の周りを回っている。
ふと、ぼくは秒速3センチで顔を上げ、空に飛行機雲があるのを発見した。

迷う

こんな女がいたら、さぞや迷うだろうな、と思わせる、そんな酒を飲んでみたい。と、酒好きだった某作家が書いていた。
なにを迷うのか、そこまでは書いてない。見当はつくけど。
ともあれ、迷うシーンが少ない人生は少々さびしいかもね。

アンテナ

今これを読んでいるあなたもそう感じることがあるのかもしれない。そう思いたくて書いてます。自分が急に変わってしまったことに気づくことはないですか?
昨年末、冬至が来たころ、自分が別人になったような感覚があったのですが、数日前、再びそれが起きました。なにが変わったのか。「自分の感受性くらい」という茨木のり子さんの詩を読んで気づきました。感受性が変わったのです。冬至の頃、ぼくの機能のうちの、なにがそれを必要としたのか、アンテナが一本、中空に伸びました。そして、つい数日前、それは引っ込み、かわりに別のアンテナが立ちました。奇妙な表現ですが、そういう感じなのです。変な人と思われるかもしれませんが、しかたありません。自分の体は自分でコントロールしていると思いたい気持ちはわかります。

いそしぎ

空が明るい。どうやら冬も終わったようだ。ほっとする。
この冬は何事もなかった。no problem.
頭の中の具合がずいぶんちがう。
この前まで、満ちた潮が飽きもせず堤防を洗っていた。
今は潮が引いて、砂浜ではイソシギが遊んでいる。

花はどこへいった

さっき読んだ本に、日本の女は結婚したとたん堕落する、女でなくなる、と、書いてありました。女は放っておけば中年にならなくたって居直ったオバハンになっちまう。とも。
ふ~ん、そうかな。
ぼくは珈琲を飲みながら、しばし思い巡らしてみました。
これは女性にとっての不幸ではなく、男の悲運を嘆いてるわけですね。もっとも、女としての魅力を失うことで男に愛されなくなれば、それは女にとっても不幸かもしれない。
安心した人間からは魅力、色気なんて出てこないんだそうです。
結婚は(本人は気づかなくとも)根本的に女性を安心させるものなのでしょうか。

フロントグラス

20060220
天気予報では午後から晴れることになっている。たいてい当たらないので信じなかったが、海の近くで食事をすることにした。海沿いの食堂は、月曜だというのに、大変混んでいた。店の定休日を変えようかと本気で思ってしまう。食事を終え、堤防に車をとめて珈琲を飲んだ。雨に濡れたフロントグラス。その向こうの暗い空と海。このシーン、映画「悲しみよこんにちは」にあったような気がした。でも、思い出せなかった。雨は一日中降っていた。