知らないことばかり

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人を知るのは難しい。油で炒めたチンゲンサイはおいしい。でも、どんな花が咲くのか知らない。そんなこと、どうでもいい。おいしければいいじゃないか。
ある日ぼくは店の屋上に上がった。チンゲンサイの花が風にゆれていた。ぼくが食べたチンゲンサイはここで生まれ、育ったのだ。ぼくはチンゲンサイを少し知った。
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ゆめのそら

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夢で見上げた空はうすい青で白い雲が浮かんでいる。風が吹いている。葉っぱも黄色い花も揺れている。ぼくはだれかを探していた。

昼メシ準備完了

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今からサンドイッチ、作ります。きのうOTさんから頂いた手作り食パンと月曜日にOZさんちで作ったリエットと某F少年から土産にもらったカラシと店の屋上にある菜園からちぎってきたレタス。
イタダキマース!

何か

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今、某豆屋の皇徳寺店で、小花さんちの小さな布小物展を開催しているのだけど、これが予想外の盛況ぶりなのです。展示してあるのは手作りの布小物。どうしてなんだろう。ぼくは正直なところ、驚いてます。でも、その理由、作者のブログを読むと分かるような気がするのです。作者の人柄が作品に表れているんでしょうね。それは、うまく言えないけど、最近、失われつつある何か。

シンデレラの草履

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昨夜、何時に帰ってきたのか覚えていない。12時は過ぎてなかったはずだ。魔法が解ける前に家に帰りつかないと大変なことになる。
踊ろよベイビー、魔法が解ける前に。
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近々、写真の手作り草履を皇徳寺店で展示販売します。

運動不足を感じた夜

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天気が良かったので、パンとコーヒーを持って某動物園横の某公園に行った。動物園は有料だが、この公園は入場無料なのでぼくはとても気に入っている。公園を歩いていると、たまにライオンやシマウマ、オットセイの恐ろしげな叫び声が聞こえてきて、思わず足が止まる。ぼくのDNAに刻まれた防衛本能がそうさせるのだろう。この公園の歩道はすべて坂である。坂。それは人生を連想させる。ぼくはコーヒーの入ったポットとパンの入った袋、そしてカメラをぶら下げて急な坂を上った。そう、人生とは重き荷を背負いて坂を上るようなものなのだ。坂は長かった。といっても50メートルくらいだったが。坂を上りきると眺望が開けた。そこでぼくらはベンチに腰掛け、パンを食べた。空腹はパンで満たされる。しかし、ぼくの心はどこか陰のある人のように、うつろだった。人はパンのみにあらず。ぼくが本当に欲しいのはパンではないのだ。腹がふくれるとそう思う。時計は2時を回った。今日は4時からOさん宅でリエットの作り方を教わる予定だ。リエットとは、簡単に言うと豚肉で作ったコンビーフのようなもの。フランスパンにはさんで食べると涙が出るほどウマイ。ような気がする。
午後3時59分45秒。ぼくの運転する車はOさん宅の玄関前に停まった。ぼくはドライブの達人である。門限ピッタリに同伴者を送り届けるのは朝飯前なのだ。ぼくとドライブしたことのある人ならだれでも知っている。6時過ぎ、完成したリエットを前に、ビールで乾杯。さっそくそのできばえを試してみると、それは冬だった心に思いがけず春が訪れ桜が咲き、ウグイスが鳴き始めたような、つまりパノラマ的感動を呼ぶ大変うまいものであった。ぼくは静かに食べるように最近心がけている。イメージチェンジを図ろうとしているのだ。静かに食べていると、突然、左のフトモモがつった。食事中に足がつったのは初めてだった。昼間、重き荷を背負いて坂を上ったせいに違いなかった。しかし、座の面々からはぼくの運動不足を指摘する声が上がり、次のような体操が効果があるとのことで、全員立ち上がり、某ヨッパライの指導の下、不気味な体操が始まった。それは、ガキデカというマンガの主人公がとるポーズに酷似していた。知らない人が見たら、なんと思うか、ぼくはそれが気になった。
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アサーション

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今日は日曜日。朝から青空が広がっている。でも、ぼくはお仕事。お客様がいない時間、駐車場に咲いてる花の写真を撮った。ちょっと変わった花が咲いていた。アブラナ科のようだ。大根かもしれない。花弁をおもいきり広げ、なにか主張している。口があったら、なにか叫んでるに違いない。
以下、当ブログにも時々遊びにいらしてくださる、marutaさんのブログからの引用です。
「言いたいことが言えない」「断りたいのに断れない」「引き受ければ自分が大変になるのはわかっているのに,引き受けてしまって,相手を恨んだり,自分を情けなく思ったりする」「いつもにこやかに振る舞っている自分がとてもいやになってしまう」「いらいらして強い言葉で言ってしまう」「八つ当たりをしてしまう」など,人間関係に疲れてしまうことがあります。しかしよくそれを自分の性格のせいにしたり,人間関係にはよくあることだと納得させたりすることがあります。でも,実は…
※アサーションという言葉は日本語に訳すと「主張」という意味だそうです。アサションではありません。

桃の枝

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店の駐車場に桃が植えてある。なんという桃か知らないけど、あたたかくなるとピンクの花が咲く。今日は寒かった。たくさんの枝が冷たい風に揺れている。つぼみはまだ固く、とても小さい。ぼくはその枝を愛おしくおもうが、桃はぼくのことなど気に掛けるはずもない。清しい、いい気分だ。恋は片思いに限る。

lumiere naturelle

昨晩、風呂でシャワーを浴びながら、ぼんやり考えていた。ぼんやりだから、その考えはクラゲのようにブヨブヨしている。構造的にヨワイ。ぼくは言葉について考えていた。言葉って、つくづく不思議だな、と。人が言葉を選んでいるように見えて、実は言葉自体が言葉を選んでいる。言葉が人を操作し、何かを表そうとしている、みたいな。言葉が有する相補性とでもいおうか。これは錯覚? それはちょうど、真っ暗な部屋にあらかじめ置かれた地図に光が射して、少しずつ全体が現われる、そんな感じ。こんなことを考えてたら、3回もシャンプーしてしまった。あいかわらずヒマだね。

風のメッセージ

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白い花はメッセージ
赤い夕日はメッセージ
ひとつになること
どんなに遠くとも
どんなに小さくとも
あなたとぼく
ぼくとあなた