プシュ

みなさんこんばんは。
ぼくは今から冷えたビールを飲みます。
(子供はまねをしないように)
というわけですので、みなさん、ごきげんよう。
プシュ

二度は死ねない

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某F少年から借りていた、映画「めがね」を見た。舞台は、とある南の島。そこはケータイの電波も届かない、なんにもない。でも、浜辺では、変なオバサンがカキ氷を売っている、かもしれない。ぼくは海のそばの某レストランに行く。変なオジサンがコーヒーを飲ましてくれる。でも、最近、閉まっていることが多い。ケータイの電波が届くようになったからだろうか。気が向いたら自分でも生きてみるべ

ソロモンの指環

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ジャスミンが満開だ。ニオイバンマツリもポツポツ咲きはじめた。甘い匂いに誘われて、つい、店の外に出てしまう。でも、彼女らは、ぼくを誘ったワケじゃないらしい。花はしゃべらないが、もし口があれば、なんていっているのだろう。

クオリアの秘密

たまには、ってことで仕事の合間に新約聖書(ルカ書)を読んでいた。いうまでもなく新約聖書はイエス・キリストの生涯、言動が記された書物。まだ読んだことのない方も多いだろう。でも、もしあなたが洋画や洋楽が好きなら、読んでおいたほうがいいと思う。なかなかおもしろいし、感動もする。かも。
さて、コーヒーを飲みながらルカ書を読み進んでいて、あれ?と思った。それは、イエスがパラダイスについて説く場面なのだが、そのパラダイスの有様が、脳科学者の茂木健一郎さんがよく口にする「クオリア」とよく似ている、と、思ったからだ。そう思った瞬間、イエスの荒唐無稽とも思える一部の言動が、何の違和感もなく、すんなり頭に入るようになった。ウルトラマンはM78星雲からやってきたが、イエス・キリストはクオリアの国からやってきたのである。クオリアは物質ではないし、それらが惹き起す現象でもない。ならば何か。それは、われわれが地の物だから分からない。のである。イエスとわれわれは、思考の向きがまったく逆なのだ。イエスはクオリアに属する立場からこの物理世界を眺めている。われわれはその逆だ。それがわかれば、彼の言動が科学的な態度そのものであることがわかる。イエスはわれわれの眼には奇跡に映ることを、あたりまえにやってのける。当然だ。われわれは地の者なのだ。この物理世界が、クオリアを反映する装置として便宜的に作られたとするなら、魂の不滅もパラダイスも理の当然となる。クオリアを究明すれば、パラダイスを証しすることになったりして(笑) そういえば茂木さんは、マタイ受難曲が好きだと言っていたっけ。

知ったかぶり男は今日も行く

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昨日は一日中雨だったが、今日は朝からスカッと晴れている。いわゆる、絶好のサボリ日和だ。サラリーマンの頃はよく仕事をサボったものだった。だが、自分で仕事を始めた今も、よくサボる。こんな天気のいい日に仕事をするなんて。というわけで、お客様がいなくなると、カメラ片手に店から抜け出す。店に戻ると、中でお客さんが待っていることもしばしば。これでいいのだろうか。ぼくが社長だったら、そんな社員は首にする。今日も、外で写真を撮って店に帰ると、お客さんがちょうど中に入ろうとしているところだった。
「あ、ちょうどよかった、あの花の名前を知ってたら教えてください」
と、ぼくは言い、お客さんを連れ、となりの家の向こう側に咲いている黄色い花のところに行った。
「モッコウバラ、ですね、これは」
彼女は、にこやかに言った。
「へぇ~、詳しいですね」
ぼくは言った。じゃあ、これ知ってますか?と、隣の家の玄関に咲いている花を指差した。
「なんでしょうね、分からないわ」
彼女は首をかしげた。
「これはオガタマといって、バナナの匂いのする花なんですよ」
ぼくは得意になって言った。
ふーん、と言って、彼女は花に顔を寄せた。
「ほんとだ、いいにおい」
「俗に、バナナツリーって言うらしいですよ」
このまえ憶えたばかりの知識であったが、ずっと昔から知っているような口ぶりでぼくは言った。ぼくはいろいろ知っているフリが得意なのだ。ところで皆さんは、下の写真の右側にある青い花を知っているだろうか。もちろんぼくは知っている。去年の今頃、変な名前で覚えにくかったのを必死で覚えたのだ。知ったかぶりはけっこう大変なのである。
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ぼうふら

玄関の脇に置いてある手水鉢にボウフラが20匹ほどいる。
ちゃんと数えたわけじゃないが、多分、それくらいいる。
ひまがあれば、ぼくはボウフラを見ている。
ボウフラはおもしろい。あの動きがすごく良い。
もし、欲しければ、分けてあげてもいい。
きっと、あなたも気に入るだろう。
(店まで取りに来られる方に限ります)

A spoon full of sugar

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昨日は天気も良く、ちょっともったいなかったけれど、家で本を読んでました。家人が雑用で外出してたので、読書の合間に乾いた洗濯物を取り込み、布団にカバーをかけたり、洗濯物をたたんだりしてました。音楽をかけながらやると、なかなか楽しい仕事です。でも、たまにやるからおもしろいのであって、毎日気持ちよくやれるか、というと、ぼくには自信がありません。洗濯物をたたみながらぼくはフト思いました。親が子に教えなくてはならないことは色々あるだろうけど、楽しく毎日の仕事を片付けるための呪文を教えておかないと、子供は辛い人生を送るだろうな、と。それは、たとえば、子供の前で、おもしろそうに、楽しそうに、まるで魔法をかけるように、おいしい料理を作ったり、パリッとアイロンをかけたり、上手に買い物をしたり、器用に針仕事をしたり、テキパキと洗濯物をたたむ、といったことじゃないかな、と思ったのです。
映画、メリーポピンズで、彼女はこういってました。
In every job that must be done, there is an element of fun.
しなきゃならない全ての仕事には楽しみの要素があるのよ。