その小さな窓には特殊なガラスがはめ込んであった。どんな素材が使われているのか知らないが、窓に射した光はそのガラスを通過するのに半年かかるという。ぼくは窓の外を覗いてみた。空は厚い雲に覆われていたが、まぎれもなくそれは夏の雲だった。夏草が生い茂り、あちこちで虫が飛んでいた
公園は寒すぎた
曇りとの予報であったが、朝起きてカーテンを引くと晴れていた。晴れるのなら晴れると言って欲しい。大急ぎで出かける準備をし、車を飛ばして山をひとつ越え、左に曲がった。山を越えるとそこは曇り空で、時折り雪が舞っていた。いつもの店で安いほうの寿司を食べ、海の近くの公園に向かった
時折り雪の舞うだれもいない公園を、遠くから来た孤独な旅人のように一人歩き回った。ヨッパライ某は車から出てこなかった
公園のはずれにある野鳥の家、とかいうところにやってきた
中にはだれもいなかった。実をいうと、ぼくはヘラサギ、という靴べらみたいな顔をした鳥を見に来たのだった。案内板に、本日のクロツラヘラサギは18羽です、と書いてあった。日によって出演者数に変更があるらしい
野鳥を観察するための建物。壁に銃眼のような観察窓がついている。まるでミキシングコンソールみたい
窓の外は砂浜
右手の波打ち際に、ニワトリみたいなのが大勢うずくまっていたが、ヘラサギは見当たらなかった
帰りはいつものように伊作峠で運転を代わり、旧伊作街道に分け入って悩み多き青年のようにとぼとぼ歩いた。旧道の一部は石畳が残されており、その表面はコケに覆われている。ぼく好みのシブい道だが、気をつけて歩かないとバナナの皮みたいに派手にすべる。実は今日、カメラを覗きながら歩いていて思い切りすべったのだが、曲芸師のような軽い身のこなしで事なきを得たのである
旧伊作街道を出てしばらく歩くと大きな公園に出る。西日に照らされたウメの木が、ぼくに撮って欲しそうな様子だったので撮ってみた
今週末には満開になりそうだ
家に帰り着くと、ヨッパライ某が夕食の支度をしていた。今夜は手作り餃子だ
嫌われる勇気?
息子が、読んでみて、というので読み始めた自己啓発本。今、ベストセラーになっているようです。いまさら自己啓発本なんて、とバカにしながら読み始めたのですが、これがケッコウおもしろい。社会に出て間もないころ、デール・カーネギーの、道は開ける、と、人を動かす、という二冊の啓発本を購読して大いに感動し、繰り返し読んだものでしたが、そのカーネギーは本書で扱っているアドラー心理学の影響を強く受けているのだそうです。読み進んでいくと、なるほど、と思わされる部分が多々あります。ところで著者の一人、哲学者の岸見一郎さんが、あとがきに次のように書かれていたのが新鮮で、あらためて感じ入ってしまいました。「…哲学のもとの意味は「知」ではなく、「知を愛すること」であり、知らないことを知ろうとすること、知にいたる過程こそが重要だからです。最終的に知に到達できるかどうかは問題になりません…」 一方、もう一人の著者、ライターの古賀史健さんの文章術も見逃せません。カーネギーの「人を動かす」に述べられている教えを巧みに応用していますから。そこを意識して読むなら、人に読ませる文章を書くテクニックも同時に会得することが可能…。?
木星・月・鉄塔
坑道パン
春の匂い
シャボン玉アワー
届いた手紙に、一日を失うものは一年を失い、一年を失うものは一生を失う。って書いてあった。
時間は透明なシャボン玉のようなものだ、って

















