ドミニカ

ドミニカ日本人移民農園のコーヒー豆を仕入れることになった。時々遊びに来る担当者はドミニカ生まれの二世。「あちらの音楽でいいのがあったら持ってきてよ」というぼくのリクエストに応えて、たくさんのCDを持ってきてくれた。その中で、お勧めの一枚をさっそくかけてみた。ラテンのリズムが心地よい。思わず体が動き出す。ぼくはラテン系なんだろうか。「そのCD、あげますよ」と、二世は言った。

月曜日の朝

今日は定休日。早く起きなくてもいい日だ。しかし、悲しいくらい早く目が覚める。仕事のある日はいつまでたっても目が開かないのに、本当に不思議だ。ここ数日睡眠不足の日が続いたので、あと一時間眠っておこうと思うのだが、だめ。ベッドから出て顔を洗う。今日はリビングルームの家具の配置換えをして、ホームシアターを完成させる予定。ソファを移動したり、棚のキャスターを取り替えてるうちにお昼になった。ニュースを見ようとテレビをつけたら、ひどい列車事故。ふわふわのお休み気分が一気に醒めた。

日曜日

日曜日は比較的ヒマである。ところが今日はお客様が多かった。睡眠不足でボーっとした頭でお客様の相手をする。こういうときは、抑制回路がお留守になって変なことをしゃべる可能性が高い。なにをしゃべるかと言えば、やっぱりアホなことである。アホなことをまじめにしゃべるので、変な人だと思われる恐れがある。そんなわけで、今夜はナニもせずに、早く寝ようと思う。

夢のつづき

毎日イヤな夢を見る。昨夜はマシンガンを手にしたぼくが、ぼくを殺そうとしている殺し屋を追いかける夢だった。しかしヤツは警察に通報し、ぼくは逆に追われるハメになった。ヤツはインターポールのフリをしてる殺し屋。数日前見た夢で、ぼくはヤツに尻を撃たれ、病院に運ばれた。そのときぼくは「やられたのだから、ヤツはもう追ってこないだろう」と、安心したのだった。しかし、ヤツはまだ追ってくる。この夢は半年ほど前から続いている。

火曜日は休み明け

昨日と一昨日は月一回の連休だった。休み明けの今日、豆を切らしたお客様が次々といらっしゃる。
「なんで月曜日に休むのね」「日曜日に休むなんて」
お客様はイライラと小言をおっしゃる。まるでヤクを切らした中毒患者。ぼくは金を受け取り、ヤクを渡す。
お客様はヤクの袋を手にすると、ほっとした顔になって帰っていかれた。

体力の衰えを知りそうになった夜

夜、今まで使っていたテレビを弟の住居まで運んだ。
テレビは36型で重さ約80キロ。弟の部屋はビルの3階。エレベーターはない。二人で抱えてよろよろ階段を上り始めたものの、数段上らぬうちに「無理だ」と思い知った。しかし、兄としてのメンツがあるので平静を装い、一段一段必死に上り続けた。弟は下から押し上げ、ぼくが上で引っ張る。下のほうがきついと思って上を選んだのが間違いだった。「そろそろ代わろう」といって、ぼくは下に回った。ふと弟を見ると、まるで仁王像のように目をひんむき、鼻をおっぴろげてあえいでいる。なんだ、オレよりずっと苦しそうじゃないか、若いくせに。ぼくはうれしかった。

BD

26_1 きょうはぼくのBD。(BadDayじゃないよ)バースデイ。ぼくは久しぶりにブツを買うことにした。(誕生日=なんか買う日)
ぼくは映画を見るのが好きだ。できたら少し古くなった、懐かしい映画を映画館で見たい。でも、それはあまり現実的ではない。そこで、ぼくは映写機を買うことにした。部屋を暗くして、ウフフ…じゃなかった、映画を見るのです。トト少年のように。今の映写機はなかなか性能が良くて、ハイビジョンで映せる。ハイビジョン映画を録画して、ヒマなときにボケーっと見る。ちとジジくさいけど、ま、いいか。

土曜の午後のマジック

うちは子供連れのお客さんがけっこう多い。
子供はコーヒーを飲まないので、大人がコーヒーを試飲している間は退屈そうである。
その日の気分にもよるが、ぼくは子供だましのマジックを披露して子供の退屈を救ってあげることがある。
これが驚くほどウケる。ウケると調子に乗って、ちがうマジックを披露してしまう。
するとたいていの子供は尊敬の眼差しでぼくを見るようになる。相手が子供であれ、尊敬されるのは気分のいいものである。

夜の楽しみ その1

22_1 今日も一日が終わる。一日に何か一つくらい楽しみがないとさびしいよね。
しかも今日は金曜日。
一般のサラリーマンのように、明日が休み、というわけじゃないけど、なぜか休み前のようなウキウキ感がある。
夜中に台所でこそこそカクテルなんかをつくったりして。
ぼくの定番は、スーパーで安い果物を買ってきて、ウォッカで割ったやつ。
一番好きなのはスイカのポンチなんだけど、まだ高くて手が出ない。
マドラーがお箸ってところが泣けるでしょ?

木市でヒヨコを買ってもらった思い出

今日は母の命日。春らしい陽気だったせいか、豆を焼き終えてボンヤリしてたら、めったに思い出さないことを思い出した。
あの日もこんな日だった。葬式が終わった後、県外から来た叔父がぼくを木市に連れて行ってくれた。ぼくは、ひよことアヒルの子を買ってもらった。そのときぼくは10歳。今思えば、叔父はぼくのことを不憫に思ったのかもしれない。
若いときは母のことを思い出すのに抵抗があったけど、最近は自然に思い出せる。年をとったからかな。
明日も母の命日。弟にとっては実の母。母の命日が偶然続くことになった。