湯豆腐

急に寒くなってきた。
ムーミン谷のカバたちも、そろそろ冬眠の準備に忙しくなる頃だ。
ぼくは冬眠はしないけど、脳が部分的に休止状態になっていく。ような気がする。
具体的には、注意力が散漫になる、ような気がすることがある。
人の脳はコンピューターではないので、電気さえあれば動くというわけにはいかない。
寒かったり、愛がなかったりするとフリーズしやすくなる。
人恋しい秋の夜。家族に囲まれていても、一人の者もいる。
ま、そんな面倒なことなど考えないで、みんなで鍋でも囲みたいね。

休日モード

きょうは定休日。飽きもせず南薩へ車を走らせる。
運転はヨッパライ某に任せ、ぼくはもっぱら外の景色を楽しんでいた。
水色の空を白い羊雲が流れていく。
さっきから後ろで変な音がする。ゴゴゴ。
「なんだろうね」二人は訝りながらも、たいして気にせず走り続けた。
指宿の街に入ったあたりで、右折車線に移ったドライバーが笑いながら言った。
「パンクしてるよ」
ぼくは少しも驚かなかった。とっくにそのことに気づいていたのだ。ぼくは休みには仕事をしないと決めている。
ぼくのオートクルーズ装置は休み気分に水をさす信号は届かない仕様になっている。

ヌル

彼女の声は耳元でささやいているようであり、はるか遠くから聞こえてくるようでもあった。
なぜそう聞こえたのか不思議だったので、夜遅くまで考えていた。彼女と会うのは久しぶりだ。
交わした言葉は極めて少なかったが、それでじゅうぶんだった。
言葉は心の深いところに沈んでいる。突然、その距離と時間がなくなることがある。
そのむかし、FMチューナーにはヌルメーターというものが備わっていた。
ヌルとはゼロのことで、拮抗する二つの力が等価になった時、メーターはゼロをさす。
この世には同じ人はいないが、ある種同等の力を持つもの同士が向かい合うとき、ゼロの場が生まれるのかもしれない。

魚肉ソーセージ

差入れに魚肉ソーセージの束をもらった。ありそうでなさそな意表を突く差入れ。魚肉ソーセージを手にするのは何十年ぶりだろう。ちょうど腹が減っていたので、端を閉じている針金の輪を歯で食いちぎり、中身をひねり出して食べた。懐かしい味だった。子供の頃は遊び場が山の奥や人気のない海岸だったので、魚肉ソーセージは手軽な携行食として重宝だった。ふと思った。今の子供は何を食って遊んでるのだろう。魚肉ソーセージじゃないよね。

明るい農村

今日から早く起きることにした。
あまり大きな声で言えないのだけど、普段は8時に起きている。
サラリーマンだった頃は、5時半には起きていた。
今朝は7時に起きたんだけど、ずいぶん気分が違う。
早起きはいいですね。目標6時。
ここにいらっしゃる方は何時頃起きてるんだろう。夜更かししてる人が多そうだけど。

エニグマ

ぼくは長い時間鹿児島に住んでいる。鹿児島についてはけっこう知っているはずなのだが。
今朝いらした年配のお客さんが、「へっがでた」とおっしゃる。
え、屁が?
違うのだった。肩から背中にかけて痛い、ということらしい。
例えば「びんたがいて」というのは割と訳しやすい。「びんた」は頭で、「いて」は痛いだ。しかし、「へっがでた」を「背中が痛い」に変換するのは容易ではない。しかも「へがでた」と誤訳させる罠まで仕掛けてある。これはまさに暗号。本当かどうか知らないが、鹿児島の言葉は故意に暗号化されているという。

古いラジオ

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通勤中、カーラジオからはいつもNHK第一が流れている。
祖先が瀬戸内海で海賊をしていたという某アナウンサーのおしゃべりが楽しいので、それを聞きながら走っている。楽しい話ができる人は人の心を洞察する力に長けているのだと思う。
今朝、長い間使ってなかったラジオを書棚の奥から引っ張り出し、店に持っていった。豆を焼いている時間に、海賊末裔アナの話が聞けないだろうかと思い立ったからだ。最初、スイッチを入れても音がしなかったが、スイッチやレバーをガチャガチャ動かしてるうちに人の声が聞こえてきた。30年前のラジオ、第二の人生のはじまり。

日曜日の朝

「この夏は、なんだか辛かったな」
「え?私もそうだったよ。これって天気のせいかな。それとも火星大接近のせいかな」
「わたしの周りの人も、辛いって言ってる人、多かったな」  …
今日は第三日曜日で休み。
ベッドから起きてメールチェックを済ませ、たまには、と、メールボックスの大掃除を始めた。
いろんなメルマガをとっているが、どれもおもしろくない。波長が合わない。
じゃんじゃん削除していく。
田口ランディのメールボックスの番になった。古いメルマガがたくさんたまっている。
これだけは、いつまでたっても、どうしても削除できずにいる。
彼女のメルマガは1年半前に廃刊になってしまった。
ぼくは身近な友人をなくしてしまったような気がした。
冒頭は、たまたま開いた二年前の彼女のメルマガの一節。

電話の声

このブログは鹿児島のプロバイダ、シナプスというところが運営、管理している。夜の9時頃、ブログのことで解らない点があったので、サポートにメールした。
その30分後、シナプスから電話が来た。「夜分にすみません…」と。
若いおにいちゃんの声。鹿児島弁じゃなかったけど、どことなくローカルな感じが出ててイイ。
メールは便利だけど万能じゃない。必要に応じて電話を使うデジアナ混在のハイブリッドな対応。ぼかぁ~好きだな、こういうの。
電話が疎ましく感じられることは多々あるけれど、人恋しい秋の夜、サポートの声が暖かく感じられた。

元気な人

Mさんは、いつも元気だ。
当店で売ってるハーブの入った塩は彼女から仕入れている。
彼女は多分、ぼくより10年は長く生きている。ようにみえる。
一昨年だったか、ご主人の退職記念に派手な配色のミニクーパーを購入した。
それを駆って、今日も霧島のふもとから思い切りぶっ飛ばしてやってくる。ような気がする。
ぼくは彼女から塩を買い、彼女はぼくから豆を買っていく。
自分用に1キロ、霧島で茶碗を焼いてるT子さんに1キロ。
ぼくは彼女から元気をもらえる。彼女と話すと元気になる。
ぼくもそういう人になりたい、と、いつも思うが、すぐに忘れていつものぼくになる。