ぎっくり腰もほぼ完治し、しばらく休んでいた日課、腕立て伏せ25回、腹筋運動25回を再開した。ところで、ふだんはほとんど会話を交わすことのないお客様から「腰の具合はどうですか?」と声をかけられ、幾度となくギョッとした。このブログを読んでいる人は意外と多いようだ。ウカツな事は書けない。ウカツなことしか書いてないけど。
さて、腕立て伏せと腹筋運動を毎日欠かさず行うのには、清く正しい理由がある。それは「ある夏の日」のためである。ぼくは海で泳ぐのが好きなのだけど、海パンのゴムの上にハラが載っている図だけは避けたい。そういうシルエットは海に似合わない。これは切ない美学の問題である。
プールサイド
ノアの方舟
ヒマだったのでF氏から借りているベストセラー2冊のうち梅田望夫著「ウェブ進化論」を読んだ。Web2.0、「ネットのあちら側」のことを書いてあるのだけど、実に興味深い内容だった。読み進んでいくうちに、グーグルがネットでやっていること、目指しているものが、いかに革命的なことなのかが次第に解ってきて、読んでてゾクゾクさせられた。グーグルの秀才連中がたくらんでいるのは、バベルの塔の再建ではないかという気さえした。人々が天に達する高塔を築き始めたとき、神は人間の僭越を憎んで人々の言葉を通じないようにした。言葉が通じなくなった人々は世界に散っていった。これがいわゆるバベルの塔である。ネットの世界には国境はもとより、垣根がない。衆知を集めれば個では成し得ないことが可能だ。世界中の衆知を瞬時に集め、精製し、秩序を見つけ、あるいは付与する。これはバベルの塔の建造を髣髴させる。グーグルはそれを目指しているように見える。もしそうなら、ノアの方舟まがいの計画も同時進行してるかもしれない。バベルの塔の完成は、ノアの方舟をも可能にする。実現の可能性のない計画のことをバベルの塔と呼ぶが、グーグル、あるいはその後進がそれをやってしまうかもしれない。そう遠くない将来、世紀の発明、続いて発見がメディアを賑わす可能性が出てきた。
もう寝ます
たまには何か役に立つことを書いてみたいと思い、さっきからずっと考えているのだけど、なにも思い浮かばない。
アンモナイト
水曜の朝はあいまいな空気感がある。
時間も定まってないような気がする。
こんなことを言うと、女性の思考回路は一瞬たじろぐ。
ぼくの机の中には、小さいけれど、アンモナイトの化石がある。
きれいに磨かれたアンモナイトの化石は宝石のようだ。
これなら女性でも興味を持つかもしれない。
ぼくは化石を見つめ、これが生きていた姿を想像する。
でも、きっと、女性はそんなことはしない。
女性にとっては、化石は数ある石のひとつでしかない。
きれいに磨けば、別の意味で興味を持つだろうけど。
概して男はロマンチストだといわれる。
時に10は7であるし、また100である。
女性はそうじゃない。10は10でしかない。
「水曜の朝はあいまいな空気感がある」
ぼくはこんなことを言いがちだ。
でも、きっと女性はこういう。
曖昧なのは、あなたのノーミソ。
カッコ悪い話
「ウディ・アレンって、いつも美女といっしょで、うらやましいよね」映画の話からウディ・アレンの話になった。たまたまウディ・アレンを特集した雑誌があったので、カウンター越しに彼女に渡した。ページをめくっていた彼女の手が止まった。
「こんなカッコウしてみたいな」
どんなカッコウかと思ってのぞいたら、ウディ・アレンに美女が詰め寄ってる写真だった。ぼくだって、願わくば美女にこんなカッコウ、されてみたい。それにしても、彼女も思い切ったことを言うもんだな、と、そのときぼくは思った。しかし、違ったのだ。彼女の言った「カッコウ」とは、美女の着ている衣装のことだったのである。ぼくは彼女が帰ったあとでそのことに気づき、情けなくなった。
Start
プロに頼むことで、ピアノの移動はあっけなく終わった。そうなると、あとの問題はぼく自身である。いよいよ、ぼくはピアノの練習をしなくてはならなくなった。今日は定休日、ピアノの本を買いに出かけた。まず、時々利用しているブックオフという古本屋で物色してみた。
ない。辛うじて「大人のためのバイエル」という教本が見つかったので、それを購入。105円。近くの本屋を2軒はしごしたが、どちらにもなかった。家に帰り、雑巾片手に、一生懸命ピアノを拭いた。ピカピカになった。机を片付けたからといって勉強をしたことにならないのと同じで、いくらピアノを拭いてもピアノがうまくなるわけではない。ぼくは孤独だった。ぼくはバカなことを始めてしまったのだろうか。
8400yen
27日の朝、ピアノを移動させようとしてぼくが発生させたエネルギーは、行方を見失って迷走、ぼくの腰を誤爆した。ピアノに罪はなかった。主人が床に伏したことを知らないピアノは、渋谷駅の忠犬ハチ公のように、いつまでも部屋の隅に佇んで、じっとぼくを待っていた。ぼくはそんなピアノが不憫に思えてならなかった。だが、ぼくには再びピアノを自分の手で動かそうという勇気はない。ぼくはピアノ運送屋に電話をした。
「あのー、ピアノを部屋から部屋に移すのに、いくらかかるでしょうか」
税込みの8400円であった。案外安いものである。ぼくはお願いすることにした。最初からこうすれば、ぎっくり腰になって7000円もする高価なベルトを買わなくてすんだのだった。
雨の花見
今夜は店のお客さんたちと花見。あいにく天気は下り坂。甲突川べりに確保してあった花見会場は急遽Sさんちのガレージに変更された。ガレージと言ってもケッコウ広く、フェラリが3台、楽に格納できる広さだ。メンバーは約15名で、美男美女ばかり、という触込みである。会場に着くと、桜の花もすでに壁際に飾られ、用意万端ととのっていた。「では、開会の挨拶を」と、koji氏から見えないマイクを渡されたぼくは「あー本日は好天に恵まれ…」などとテキトーなことをモゴモゴいってさっさと乾杯した。席に座るとぼくはさっそく、昨夜、某掲示板で話題になった、じとさん手作りのおでんを所望した。「こ、これは」大根を一口食べて絶句した。恐ろしいほどに完璧な仕上がりである。花の独身男が一人で作ったとはダレひとり信じないだろう。南薩支部のもっちゃんが作ってきたチマキにも驚いた。だしは小エビであろうか。うますぎる。わざわざ海に行って取ってきたという、トコブシ、ミナ、カラスガイも絶品。どれもが熟練の母の味だ。なぜ彼女がいまだに独身でいるのか謎である。サカモトさんが持ち寄ったのは、手作りそーめんチャンプルー・スペシャルとどこかで買ったコロッケ。確かな審美眼を持つ者によって選ばれたコロッケは、さも当然のようにアートなうまさを誇っていた。麦の花さんが作ったという「きゃらつわ」が手許にまわってきた。なんという奥の深い、侘寂の効いた日本のルーツ的な味であろう。まさにソウルフード。ぼくは遠い目になって、いつしか歌を口ずさんでいた。「うーさーぎーおーいし、あーのやーまー」。酔いが回っていい気分になったところで、どこかで「ぜんざいを食べたい人は?」との声があった。「おー、くれ、くれ」ぼくは叫んだ。shinoさん特製白玉ぜんざい。それを無心に食べてると、Qえもんさんが「ぜんざいを食べてる写真を撮るからポーズを」という。しかし、すでにお椀が空っぽだったので、お代わりをした。酔ったぼくは隣に座ってたshinoさんのお父さんを相手に、いつものように究極の女性論を展開していた。すると、きみさんの手作り「桜の葉の塩漬け入りシフォンケーキ」が出た。塩味という、意外性のある不思議なうまさだった。いつものことだが、ぼくは食べてばかりいたようだった。
別れの朝
ぎっくり腰になって四日が過ぎた。潮が引くように腰の痛みも消えつつあった。ぼくは静かに悟った。チャンピオンベルトに別れを告げる時がきたことを。いつまでも過去の栄光に浸っていると人間は堕落する。ぼくは思い切ってチャンピオンベルトと決別することにした。
さようなら、ぼくの白いチャンピオンベルト。
いつかまた腰にする日まで。