28度

暑かったので、ついにクーラーを入れた。
今年初めてのクーラー。
ここで一句。
クーラー入れて、夏がクラー
(座布団はいりません)

晩飯はソーメンだった

月曜日は定休日。先週は霧島方面に出かけ、御池でボートのタイムトライアルをしたのだったが、昨日、BuraBuraのrogiさんが、ぼくの記録に挑戦したらしい。ボートを一生懸命漕ぐと、手の皮がむけるように尻の皮もむける。rogiさんは大丈夫だっただろうか。余談だが、とかく男は皮がむけてるのが上質とされるムキがあり、「皮の余った男には嫁をやるな」とさえ言われている。今日は、いつも遊んでばかりで、やりそびれていた家庭内の作業をこなした。4時ごろに終了したので雨戸を閉め、残り時間を映画鑑賞に充てた。最初にバタフライ・エフェクト。タイムパラドックスものとしてはチト暗かったが、まあ、おもしろかった。次に、ディカプリオのアビエーター。これもまあまあ、おもしろかった。実は数日前にハイビジョンで放映されたタイタニックの録画を観る予定だったのだけど、一気に観るパワーがない、ということで先延ばししたのだった。ふと思ったんだけど、アビエーターを見たあとで、すぐにタイタニックを観るのは、主人公を同じ役者がやってるから問題アリだよね。

暖かい夜

K店を片付け、戸締りをして店を出た。休日前の夜は掃除や洗い物が多いので、どうしても帰りが遅くなる。星ヶ峯のトンネルを抜けたところで、バックミラーに変なものが写っているのに気づいた。急いで携帯カメラを起動し、撮影したが、60kで走っているぼくの車を追い越してどこかに行ってしまった。(ヒマな方は画像をクリックしてください)
暖かくなると、いろんなのが出てくる。

カルーセル

今日は土曜日。世間はゴールデンウィークに突入らしい。
ぼくはいつもと変わりない朝を迎え、いつもの時間に起きて仕事に向かった。いつもお友達といらっしゃる奥様が今日は一人だった。
「今日はお一人なんですね」
「長崎の、ほら、なんとかっていうところ・・・」
「オランダ村?ハウステンボス?」
「そう、彼女、そこに行ってるんですよ」
ハウステンボス。
10年前の4月29日、つまり今日、家族でハウステンボスに行ったのだった。娘が何度も何度もカルーセルに乗ったのを憶えている。
いちばん安い乗り物じゃなかったかな。
花火もきれいだった。不思議と楽しかった。

ネオン

深夜、星の少ない空の下で、ジュークボックスに100円入れた。
コトリ、と音がしてネオンに火が点り、小さくモーターが唸った。
ラ・カンパネラが流れ始めた。
夜風に吹かれながらビールを飲んでいる、もう一人のぼく。

春の宵

日が暮れるのが、ずいぶん遅くなってきた。とてもうれしい。
帰り道、窓を全開にして車を走らせた。風はまだ冷たい。虫の声が通り過ぎる。時折、悩ましい匂い(ワカル人には解る、アノにおい)が車内をすり抜ける。思わずニンマリ。夏のスイッチが見えてきた。何か悪いことをしたくなるような、浮き足立った気分。

故郷の空

ここ数日、目の奥が痛いのは、隣の国から飛んできた黄色い砂のせいだと思う。店にいらっしゃるお客様も、そう言っていた。今日は朝から少し雨が降り出した。フロントグラスに落ちてくる雨粒が、心なしか黄色く見える。
幼い頃ぼくが住んでいた所では、空はいつもこんな具合だった。
火星からいらした人なら、そう言うかもしれない。

initiation

蝶は卵からイモ虫になり、サナギになって羽化、どこかに飛んでいく。その体(ハードウェア)は劇的に変化し、当然、それをコントロールするソフトウェアもがらりと変わる。もし、蝶に感情があるとしたら、自分の意思に関係なく起こる身体の激変をどう受け止めるだろう。果たして支えきれるのだろうか。想像を絶することである。(想像だけど)
時に人は、こころを閉ざし、あたかもサナギのようになることがある。果たしてそれが病気なのかは分からない。あの小さな虫でさえ、驚異的なプログラムを複数備え、巧妙に切り替えて外界に順応している。ならば人間に同様のことができても不思議じゃない。つまり、ある者は環境に応じてサナギになり、取って置きのプログラムを発動して変化している可能性がある。サナギ化は一種のinitiation(通過儀礼)というわけだ。もちろん、それは自分の意思によるのではなく、大自然の声による。そういえばぼくは最近、野菜より甘いモノが好きになった気がする。そろそろ蝶になって飛んで行くのかもしれない。
それではみなさん、さよ~なら~

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夜の鳥

低空飛行は続いている。なにかに迷い込んだらしい。
「かんじんなことは、目に見えないんだよ」
サンテグジュペリ、星の王子様に出てくることば。

夜間飛行

深夜、一人で見る空。とても暗い空。
動いている星は飛行機。
なんだかんだ言っても、結局は一人なんだな、と思う。
愛する人も、愛してくれている人も、ぼくのことを忘れて眠っている。