ねじ巻き式の時計が音もなく止まるように、いつの間にかぼくも止まっている。人生のドライブ感が、ふっと消えてしまう。仕事にはあまり影響ないが、やはり困る。実は、昨夜からそうなのだ。とりあえず酒を飲み、本をめくり、写真を眺め、苦い珈琲や音楽を利用して必死にねじを巻こうとしている。ねじ巻き人に会えば済む話しなのだが、会いたくて会えるものでもない。
花びらの白い色は
天気が良かったので、屋上の掃除を始めた。
暖かいので、綿パンにTシャツ一枚。
ほうきと、ちり取りを持って、気分は初夏。
隣の庭に白い花が咲いている。
白い花。
白い花。
たくさんの白い花。
掃除をしながら、いつのまにかこんな歌を口ずさんでいた。
酔って候
昨夜はKさんの新居で酒を飲んだ。集まったのは麗しき男女15名。外は雨。音楽がとても美しくすばらしい。アンプは真空管。なおみちゃんが、ぼくのために歌っていた。それがココロにしみた。とっても。
みんなニコニコしていた。ぼくは酔っていた。いつの間にか靴下がびしょびしょに濡れていて、それを脱いだ。新居の屋上に上がろうと、外階段においてあるスリッパを履いたら、それがずぶ濡れだった。美しい女性たちが作ってきたケーキがとてもおいしかった。だれかが作った、生地からコネたという、ピザパイもとてもウマかった。珍しい焼酎があるというので、それをがぶ飲みし、それが足りずに焼酎を飲み続け、記憶がなくなった。
写真は、KさんのHPからお借りしました。
勝手に借りてスンマセン。
浅い夢
毎日が同じように過ぎてゆく。
浅い夢を見ているように。
この世界には
あるはずのものがない。
何かが足りない。
そう感じるから、ぼくはいる。
変なのは。変だと感じるぼく。
あなたのこころに
午後4時。ワグナーが流れていた。ぼくはなにを求めているのだろう。ふと、そんなことを考えた。そのときこんな歌をおもいだした。
あなたの心に風があるなら、そしてそれが春の風なら、私ひとりで吹かれてみたいな、いつまでも、いつまでも。
ぼくは気づいて呆然となった。ぼくは人の心を思い遣りたいのだと思った。それをいつも願っている。人の心に春があるなら、それを思い遣りたい、風があるなら、風に吹かれたい。そう切実に願っている。そしてふり返って、ぼくの心を一途に思い遣って欲しい、と。
Osaka
ぼくはユウウツだった。ある新商品を仕入れ、テストしていたところ、不具合が見つかったのだ。技術的な問題なので問屋を通さず直接製造元に問い合わせることにした。ユウウツなのは製品の不具合自体より、その製造元が大阪の会社であることだった。サラリーマン時代、ぼくは大阪に仕入先を持っていたが、その担当者の口の利きようが、いちいちぼくの繊細な神経を逆なでし、とにかく癇に障るのだった。案の定、電話に出た担当者は大阪弁だった。
「へぇーほんまでっか。おっかしいなー、なんでやろ」
くそっ、それが聞きたいから電話してるんじゃないか。それに初めてなんだから、そんなになれなれしくするなってば。まったくどうかしてるぜ、大阪は。
晴れた日曜日
空が明るい。
こんな天気のいい日に仕事をしてるなんて。
オレってバカみたい。
こんな日は、オープンカーで海岸線を走るのが正しいのだ。
音楽はスティーリー・ダン。
途中でアイスクリームを買って、砂浜に寝転んで食べる。
そうだ、スコップを持っていこう。
穴を掘って、あいつを埋めるんだ。
DanceDance2
ここ数日、暖かい日が続く。啓蟄にはまだ早いが、ぼくの中で眠っていたナニかがザワザワ動き出した。繊毛虫、鞭毛虫、スピロヘータ、寄生虫、etc. etc。そいつらが手をつないでラインダンスを踊っている。DanceDanceDance.
甘い午後
ボクの仕事のイイところは、仕事中、好きな音楽を聴きながらおいしいコーヒーを飲み、ヒマな時間に好きな本を読んでも、だれも文句を言わないところである。ところで、本を読んでいると、なぜか甘いものが欲しくなる。特に漢字の多い小難しい本を読んでいる時にその傾向が強い。おそらく、脳が糖分を消費するからであろう。体を動かすと腹が減るのと同じ理屈だ。つまり、小難しい本にはダイエット効果があるのである。では、ダイエットはしたいが本を読むのは億劫だ、というモノグサな人はどうすればいいか。映画はどうだろう。たとえば小難しいフランス映画には相応のダイエット効果が期待できそうだ。しかし、いくつかの例を見る限り効果は薄いようである。
鬼さんこちら
2月3日は町内会的には某少年の誕生日であったが全国的には節分なのであった。昼過ぎにいらしたお客様によると、某高校横の寿司屋には、のり巻きを買う客の長い行列ができていたという。その夜、わが家では久しぶりに、おそらく10年ぶりに豆まきをすることになった。豆まきなんか無意味でアホらしいと常々思っていたのだが、最近、一見無駄で意味がなさそうに見えることにこそ重要な意味が隠されているような気がしてきたのである。ただし、のり巻きを無言で一気に食うというハイレベルな無意味さには未だついていけない。ところで、先日F氏から借りた茂木健一郎の「やわらか脳」に、こんなことが書いてあった。豆まきは、鬼をうちに入れないためにではなく、うちに入ってきて居つきそうになった鬼を外に追い払うためのもの。無菌状態を保つためではない、と。トラブルを恐れ過ぎると進歩もないし、セレンディピティも発現し難い。