これは30年以上前に購入した古いレンズで撮った写真。30年前、ぼくはAクラスでスピーカーを駆動できるYAMAHAのCA2000というアンプを使っていた。Aクラスがどういう音に比喩されていたかというと、それはやわらかく温かい、「真空管アンプの音」なのだった。今でも、アンプのスイッチを入れることを、アンプに灯を入れる、ということがあるけれど、それは真空管アンプ全盛時代の名残である 撮影 真空管少女A
1984
卵
バッドマン ビギンズ
チェンジ
とても残念なことなのかもしれませんが
数日前、NHKの衛星放送で「天国の日々」という映画が放送された。ずっと前から見たいと思っていた映画のひとつだったが、まだ見ずにいた。とにかく映像が美しい、と評判の作品だった。そんなわけで、ぼくは映画館で見るか、でなければハイビジョンで見たいと思っていた。今回はハイビジョンで放送されていたので、すぐに録画予約をした。たぶん、明日見ると思う。さっき、AMAZONのDVDレビューを見てきたら、おもしろいレビューがあがっていた。
以下引用
★★★★★ とても残念なことなのかもしれませんが, 2003/11/1
By なら夫
レビュー対象商品: 天国の日々 [DVD] (DVD)
とても残念なことなのかもしれませんが、この作品は映像機器を選びます。この作品、テレンス・マリックの映画というより、ネストール・アルメンドロスの映像詩と言った方がおそらく正しい。ストーリーからの物語ではなく、映像そのものから伝わる物語に身を委ねるべき作品です。作品が映像機器を選ぶなんて傲慢なことのように思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、この作品にとって、それは、仕方の無いことなのです。と言うより他に何も言い様はありません。・・・ ただ、最大限にその映像再生環境を整えて、この作品に臨んだ時、この作品が与えてくれる悦びはとてつもなく大きなものとなります。
ある日どこかで
さっきまで、ある方よりお借りした「ある日どこかで」という映画を見てました。切なかったな~。でも、こういう映画、大好き。山田詠美が何かに書いてたんですが、切ない、に対応する英語はないらしいですね。この「ある日どこかで(原題 Somewhere in Time)」はアメリカ映画だけど、あちらの人はこの映画を見て、どう感じるんだろう。「悲しい」のかな。切ないといえば、「惑星ソラリス」も恐ろしく切ないよね、「悲しい」のではなくて。あれは旧ソ連の映画だけど、ロシア語には「切ない」に相当する言葉はあるのかしら。
幻灯
オーディオ喫茶
ぼくらはみんな生きている
昨夜はニンニクの効いたモツナベを食った後、お客さんからお借りした「潜水服は蝶の夢を見る」という映画を見た。これは同名の著書を映画化したもの。以下、アマゾンの著書紹介から。
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著者のジャン=ドミニック・ボービー氏は、1952年生まれ。ジャーナリストとして数紙を渡り歩いた後、世界的なファッション雑誌、『ELLE』の編集長に就任しました。名編集長として名を馳せますが、1995年12月8日、突然脳出血で倒れ、ロックトイン・シンドロームと呼ばれる、身体的自由を全て奪われた状態に陥ってしまったのです。まだ働き盛りの43歳でした。病床にありながらも、唯一自由に動かせる左目の瞬きだけで本書を「執筆」しました。本書は大きな話題を呼び、フランスだけでなく、世界28か国で出版される世界的なベストセラーとなりました。しかし、1997年3月9日、突然死去。本書がフランスで出版されたわずか2日後のことだったのです。
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さて、突然ですが、みなさんは生きている、という実感を味わったことがあるでしょうか。おそらく、気がついたらすでに生きていたはずなので、つまり、生きている状態がふつうだったから、特にそう感じたことは案外ないかもしれません。一度死んでみたら分かるのでしょうけど、なかなかそういうわけにもいきません。ところで、失うことで得るもの、あるいは、失わないと得られないものって、ありますよね。映画の主人公は、突然、身体的自由を全て奪われてしまったわけです。ぼくは勘繰るのですが、きっと、彼は何かを得たに違いありません。それは、もしかするとぼくたちが一生かかっても手に入れられない何かで、しかも、それは人が人生すべてをなげうってでも得るべきであろう、何か。それはたとえば、ヨブ記のヨブが苦難の末に悟った何か。ぼくはこの映画を見ていて、そんな気がしました。