病院に行ってきた

退院して10日たった。今日は病院に行って心臓の具合をレントゲンなどで見てもらい、薬もたくさんもらった。そのあと、某河口にある漁協直営の食堂で昼食。ヨッパライ某は安い方の寿司、ぼくは安い方の刺身定食

一週間分の買い物を済ませ、家に帰ってきた。コーヒーが飲みたくなったので、昨日新しい焙煎機で焼いたコーヒーを淹れたところ、これがとてもうまかった

退院後、しばらく重いカメラを持つ気がしなかったのだけど、今日は少し元気が出てきたので、カメラに望遠レンズを付け、屋上からロケット公園のロケットや知林ヶ島などをとった。望遠レンズやマクロレンズで写真を撮るのは、子供がおもちゃで遊ぶのに近い楽しさがある

胸にコルセットを巻いて飲む缶ビールは格別

夏なのに

入院する前に、ズボンを色違いで三つ買ったのですが、体重が10kg落ちたせいでブカブカ。車の運転もなるべくしないように、ってことで、家でゴロゴロ。ヘインズのアンダーシャツに胸を保護するコルセットを巻いてブカブカのズボンをはくのが今のぼくの流行りです。

試運転

3袋入荷するはずだったのに、手違いがあったのか今日はこれしか来なかった。ちなみにダイヤのクイーンのモデルは旧約聖書に登場するヤコブの妻、ラケル

この豆を使って、昨日届いた焙煎機の試運転

梅雨は明けたのでしょうか

仕事ではないのです

注文した珈琲焙煎機が届いた。分解され、大きな箱3つに収めてあった。機械を組み立てるのは得意なので問題ないのだが、問題は現在療養中の身ゆえ重いものを持つのは厳禁!と厳しく言われている。と言いつつ、気が付いたらいつの間にか組み立ては終わっていた。いつものことだが体が勝手に動いてしまった。
It’s automatic

この焙煎機は窯の中の空気の温度と豆の温度を別々に読み取ることができる。特に豆の温度はデジタルで表示されるので読みやすい。小型ながらサイクロンも装備されており、排煙時にチャフが飛び散ることもない。ところでこの機械は趣味で買ったものだから、仕上がったコーヒーがどんな味になろうと、ぼくには責任がない。生豆はとりあえず3種類、明日届く予定。

ひさしぶりのウォーキング

ほったらかしの庭は萩が覆いつくし、足の踏み場もない

ヨッパライ某を誘って近くのスポーツ公園でウォーキング。広いところをまともに歩くのは一か月ぶり。時々めまいがして、足元がふらつく

得意のテレパシーで呼びかけてみたが反応は弱かった

ぼくがぼくであるために

店を閉じる前に、自家用にと、2~3か月分コーヒーを焙煎してストックした。その時ぼくの頭の中は目前に迫った手術のことでいっぱいだった、退院後のことを考える余裕がなかった。退院して日常が戻ってくるとストックしたコーヒーはみるみる減って、ぼくは焦り始めた。人はだれしも何かに依存して生きている。人という漢字がそれを表している。依存する何かは人それぞれだが、ぼくの場合、それは自分のイメージする自分を保つために必須のものと考えている。つまりそれがないと、ぼくはぼくでなくなってしまうのだ。前置きが長くなったが、そういうわけで昨日、自分用にマニュアル式の小型珈琲焙煎機を注文し、珈琲生豆もとりあえず3種類注文した。もちろん、自分の口に合うコーヒーを飲むためだ

退院2日目の朝

自分のベッドで目が覚めた。遮光カーテンの隙間から光が漏れていた。とても静かだ。病院のベッドで目覚めるのとはまるで違っていた。うれしくて、しばらくそのままじっとしていた。カーテンを引くと、空は曇って灰色だったが、それもうれしかった。コーヒーを淹れ、窓際の椅子に腰かけて本を読む。自分が生きてここにいることは偶然ではないように感じられた。
薬を飲むために朝食をとる。術後3か月間、毎朝必ず飲まないといけない薬。
朝食後、昨日、退院時にもらった清算書に目を通す。ぼくが予想したより高額だった。予想では、実際にかかる生の金額は300~400万くらいだろうと思っていたが、清算書の合計は625万円だった。高額療養費制度のおかげで、支払った金額は想定内で済んだ。感謝

帰ってこれました

帰ってまいりました。ビールがとてもうまかったです。夕食はぼくのリクエストでハンバーグ。とてもおいしかったです。食べ過ぎて気分が悪くなりました

Wonderland

病院暮らしもいよいよ今日まで。明日の朝退院。振り返ってみると、意外と新鮮で充実してたような気がする。ある朝、洗面所でヒゲを剃っていたら、通りがかった若い看護師が、それ、パナソニック?って聞いてきたので、だよ、って答えると、それ、お父さんに買ってあげたんだ、と言いながら通り過ぎていった。なんだか不思議なところに来てしまった気がした。後でそれが父の日のプレゼントだったと気付いたのだけど。看護師たちと約1ヶ月一緒にいて感じたことは、ここには独特な文脈の流れがあって、その軸になっているのが母性だってこと。ぼくの考える母性とは、非論理的でつかみようのない得体のしれないコントロール不可能な恐るべきものであって、それを前にしての最善の態度は、無防備な幼児になりきること。ぼくはここに居る間そのようにしてきたと思う

箱の中

体調が戻りつつあるせいか 、じっとしているのが苦痛になってきた。スクワットをしたり階段を上ったり降りたりしているけど、無駄なことをしている感じが付きまとってモヤモヤする。すぐ近くに山があるのに、ここから出られないのは悲しい