池のある風景

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今日は霧島に行こうと思っていたのだが、突然気が変わり、以前から行ってみたいと思っていた某神社へと車を走らせた。
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その神社に興味を持ったのは、その拝殿に不思議な生物の彫刻があると聞いたからだ。
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行ってみると、なるほど、極彩色に彩られた恐ろしげな生物が柱に張り付き、四方に睨みを利かせている。
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こういう神社が鹿児島にあるとは知らなかった。
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腹が減ってきたのでソバ屋で昼食をとり、雨不足で水位が低下していた、山の上の某池に向かった。ニュースによれば、やっと水位が戻ってきてボートも漕げるようになったという。2月に来た時はボートは漕げず、水中から生えているはずの落羽松も、干上がった水辺にポツンと立っていた。峠を越えると、そこが池の駐車場。驚いたことに、平日なのに、ほぼ満車。こんなことは初めてだ。公園を歩いていくと、チンドン屋同好会?のお年寄りたちが、鉦や太鼓を打ち鳴らして楽しそうに騒いでいる。変なカツラをかぶって踊っているおばさんは85歳だという。不思議な光景だった。
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池の周囲を歩いていくと、若葉をまとった落羽松が見えてきた。ちゃんと、水の中から生えていた。

“池のある風景” への4件の返信

  1. コメントを楽しみにしていましたが・・・・
    神社の彫刻”~愛嬌がある感じです。
    聖書にはさまざまな生物が描かれています。たとえば、四つの顔に一対の羽が広がっていたりそれが変幻自在という感じでイメージの域を超えていきます。
    黙示録にはレヴィヤタンという13メートルもの長さの鰐風で恐竜ごとき生物が出現、実際に化石が発見されて考古学者は「110億年前の」と分析しているのに、聖書では4000年前?と余りにも曖昧です。
    まっ、それはいいのですが、何を象徴しているのかあるいは比喩しての描写なのか物語上と仮定しても不可解なんです。
    種々な見解が有り、真実など私には永遠の謎ですが、動物を初めて物語に登場させたのはアンデルセンとか・・・そうなると時代的検証も??だと・・・・
    今晩投稿したかったのはそういうことよりも
    >落羽松が見えてきた。ちゃんと、水の中から生えていた。
    の素晴らしい写真に感動したからです。
    以前見せて戴いた時は水が引いてた状態で、樹齢よりも樹の霊のように感じられました。
    ひたすらにひとりで立って生き続けていますね。水の中でなくてもやはり霊が宿っているかのようです。
    追伸
    茂木氏への斎藤氏のメッセージ幾度か読んでみました。難しい[E:sign03]
    でもThanks (笑)

  2. ぼくにとって、世界や、自分に対する謎は、とても単純で素朴なものです。たとえば、湖に浮かぶように生えている落羽松。理由はともかく、素直に感動しちゃいます。ぼくは自分がそのような存在であることに感謝したい気持ちでいっぱいです。聖書によれば、神はご自身に似せて人を造られた。なんてステキなことでしょう(笑)
    ぼくは幸せ者です。本当にそう思います。

  3. こんばんは。
    心理テストを受けました。
    二段階有り、初めのはあらかじめ表記されている短文に続けてストーリーを展開する60問、次のは、ロールシャハット方式(かな?)で10枚の絵について一枚一枚へのイメージを語る(一時間半かかりました)という風でした。終了後担当の先生が「一冊のファンタジーが出来ましたね」と言われました。意味が理解できず?に「楽しかったです」と答えたら、その先生も「私も楽しかったですよ」と・・・・??!
    こちらの一番下の感動の一枚を見せられたら瞬時に「山という字と木という字が感じられました」と答えたと思います。(せっかくの感動の一枚にごめんなさいne)[E:rain]本当の春が感じられないんです。

  4. ぼくの住んでいる世界にある草原には、いつも風が吹いているんですが、今朝、北極からマイナス20度の冬の風が吹いたかと思えば、ついさっき、明るい日差しとともに心地よい初夏の風が吹きだしました。季節はいつもぼくの中にあります。それがぼくの現在進行形の物語です。

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