位相のズレ

世界とはなんだろう。斎藤環と茂木健一郎の往復書簡「脳は心を記述できるのか」のなかで、今回、斎藤さんが「世界」について、分かりやすくまとめているように思います。みなさんは、世界とは、いったいなんだと思いますか?それにしても、茂木さんの返信はちょっとひどいと思うのですが。斎藤さんが提起した問題の肝心な部分にまったく答えていない。どうなっているんでしょう。位相のズレなんでしょうか。できればそう思いたいのですが、ぼくにはそうは見えません。

“位相のズレ” への3件の返信

  1. すみません、見てみたんですが
    ぼくには難しくて分りません。
    教えて下さい。

  2. マスタ  あの~、世界って、なんですか?
    スプン  ナニを寝ぼけておる。みよ、あそこを美女が歩いておろう。これが世界じゃ。
    マスタ  あの~、あれはたぶんオカマだと思うんですが。
    スプン  ナニを寝ぼけておる。みよ、このウマそうなタコ焼を。これが世界じゃ。
    マスタ  あの~、お言葉ですが、ぼくにはぜんぜんウマそうに見えません。
    スプン  ふっ、悲しいやつよのう。世界は作るもんじゃ。インドの山奥にでもこもって、修行することじゃな。

  3. 世界とはなにか。それを深く探っていくと、それを問う自分自体が、果たしてそれを問える立場にあるのか疑問になってきます。なぜなら、こうして考える主体であるわれわれは最初からあったものではなく、生まれてきたものだからです。当然、知る、ということも、「在った」ものではありません。(進化論的な考えで言えば)人とともに生まれてきたものです。みずからが生まれてきた暗闇を知らない思考には価値がない。このことはお分かりだと思います。リンク先の斉藤さんは、次のように言っていると思います。世界は言語によって、幻想として現れる、のであり、人は現実を得ることはできず、リアリティーこそが世界である、と。
    茂木さんは、わざとそうしているのかもしれませんが、この、根っこのところがズレてしまっているように見えます。

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