同じ方向を

ひまだったので、お客さんからお借りしていた河合隼雄「イメージの心理学」を読んでいたところ、次のような文に出会いました。心理療法についてのくだりです。
…現代人がその喪失に悩んでいるような関係が、治療者とクライエントの間に成立すると、過程が動きはじめる。そのときにまず詩的言語を語るようになるのはクライエントのほうであろう。とすると、それを小説の場合になぞらえると、クライエントが作家であり、治療者は読み手ということになる。この両者の関係について、大江健三郎は次のように述べている。「小説をつくり出す行為と、小説を読み取る行為とは、与える者と受ける者との関係にあるのではない。それらは人間の行為として、両者とも同じ方向を向いているものである。書き手と読み手とは、小説を中において向かい合うという構造を示しているのではない」… P196
治療者とクライエント、小説の書き手と読み手。それは、
「向かい合うのではなく、同じ方向を向いている」というのです。
これはけっこう深い示唆を含んでるな、と思いました。
サン・テグジュペリが「人間の土地」で、こう言ってるんですね。
「愛するとは、向き合うのではなく、同じ方向を向くことだ」って。
愛することの難しさ。ぼくは、そのイメージがうまくつかめなくて、いつも悩んでいるのです。まるで星の王子さまみたいでしょ?(笑)
ところで、この本、もしかして村上春樹の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」のモチーフになってるのでは?ちょっと気になりました。

“同じ方向を” への7件の返信

  1. かろうじて(?)「こんにちは」と言えるギリギリの時間ぽいです。
    ってことで、滑り込みでこんにちは。
    さっきから回線が“光”になりました。
    >愛するとは、向き合うのではなく、同じ方向を向くことだ
     ↑いいですね。
    どうしたわけか、すんなり理解(私なりに)できるぞ(謎)
    愛する人とは、見つめあうのではなく、
    こんなスタンスでいきたいですね。

  2. >愛するとは、向き合うのではなく、同じ方向を向くことだ。
    いいかげんな記憶のまま書きましたが、さっき調べたら、正しくは
    「愛するということは、お互いに顔を見あうことではなくて、いっしょに同じ方向を見ることだと。」
    でした。
    さすがフランス映画の国の人は、ええことゆうよなぁ。
    ぼくも、こういうスタンスで行きたいと思ってますがよ。

  3. わかります。感覚的に、なんとなく・・・。
    私も同じ方向に進んでいきたいヒトがいたし、彼にもそう思ってて欲しかったけど、全然、前に進んだ感じがしなかった。
    何が欲しいわけでもなく、何かを与えられたいわけでもなかった。ただ、同じ夢に向かって一緒に進みたかっただけなんだけど。
    そう思ってても、歯車って、うまくかみ合わないものになってるんだなぁと。
    なんででしょう?オトコとオンナの関係に関しては疑問だ。

  4. 丁度、今日浜田省吾の曲を聴いてる時、
    その中の歌詞の一部に
    『痛みを死が断ち切るまで2人何を償い続けるの?
    ”What is LOVE?”
    行くよ一人きりでも太陽の下へもう一度』
    っていうところでしばし頭を働かせた。
    どっちかが前を向いて2人とも進んでいかないと見つめ合っててもダメ。愛とは何?留まって傷を舐め合うことじゃない・・・。とか、柄にもなく考えてしまったσ(^◇^;)

  5. 同じ方向を向く…。
    その目線の先にあるものが、自分と一緒だったから、以前の恋のように激しいパッションは感じないけど、安心して(?)惹かれているのかもしれないなと、ふと思うことでした。

  6.       「愛」
    もう遣い古され、手垢にまみれてしまっているこの用語。 
    生き方存在全体から伝わるものかも、いききと不思議な力といのちが・・・(^-^)/~

  7. 愛するというのは、ひとつになろうとする行為のように見えるんですよね。というより全体になろうという行為かな。向かい合うのと、同じ方向を向いているのでは、なにが違ってくるかというと、向かい合っていると相手を意識するので一体感は得られない。一方、同じ方向を向いてると一体感を得やすくなりますよね。たとえばサッカーの場合、11人の選手たちが、勝利を得るために合体し、一匹の獣?と化して戦うわけです。オーケストラもそうかもしれない。一体感を味わったことのある方は、その素晴らしさを忘れることはできないでしょう。でも、試合が終わり、演奏が終わるとその感覚も消えてしまう。ひとが感じる愛は、そういうものじゃないでしょうか。自分を愛するように他人を愛しなさい、とは、聖書に出てくる言葉ですが、同じ事を言ってるように感じられます。そういえば、サッカーにしろ、オーケストラにしろ、おたがい言葉が通じなくとも一体感は得られますよね。向かい合うことを必要としないってことかな。
    ☆こめこさん
    >オトコとオンナの関係に関しては疑問だ。
    ぼくもそう思いますよ。オトコとオンナという限定した関係に、愛が係わることはないでしょう。
    ☆サカモトさん
    愛は全体の意識下にあって、あらゆるものに作用するエネルギーだと思うよ。でも、呪文を唱えても出てこんし、インスタントコーヒーみたいにはいかんかもね(笑)
    ☆あきこさん
    男女の愛は、お互い異性と認めるから生ずるものでしょうから、相手が、たとえば男でなくなれば、というか、男としての性能が低下すると弱まっていくでしょう。たぶん。向き合うことで生ずるモノは、向き合うことで消えるんですよね。というわけで、同じ方向を向く、という愛を追求するのがいいんじゃないかと思います。
    ☆chikako~♪さん
    ぼくは、愛の正体は、求心力そのものなんじゃないかとよく思います。
    この宇宙に正の秩序を与えている神秘的な力。
    散っていくものを集めようとする力。不思議ですよね。

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