世界の終りと

むかし、仕事をサボって公園の駐車場で読んだ本のことを思い出した。それは、村上春樹の「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」。この本は、ヒトの心の深層に人為的につくられた世界を冒険するという、奇妙な小説。この本を思い出したのは、最近、茂木健一郎や養老孟司など、脳とか意識を扱った本ばかり読んでいるせいだと思う。世界の終りと~ をはじめ、村上春樹の作品に共通するモチーフは、脳科学者たちが追っている目に見えないイメージによく似ている気がする。優れた科学者だけが持つ、ある種の「勘」を村上春樹は備えていると思う。

“世界の終りと” への2件の返信

  1. スプーンさん、こんにちは。
    スプーンさんにお会いするたんびに「世界の終わりと~」を読み返したくなる衝動に襲われる理由は、そういう訳だったのですね。

  2. あやさん、おはようございます。村上春樹の小説には「井戸」が良く出てきますよね。たとえば、ねじまき鳥クロニクル。ぼくも、想像すると不思議な気分になるのですが、地上に川が流れているように、地下の真っ暗な闇の中にも地下水という、人の目に触れない川が流れている。ぼくには、村上春樹が、言葉という道具を使って、深い闇の中でうごめく人の意識を掘り進む科学者のように見えるんです。井戸を掘る上で、一番大切なのは、水脈を見つける勘ではないでしょうか。優れた井戸掘り職人は、そういう、普通の人が持っていない勘を持ってるわけです。彼は、そのような勘を頼りに穴を掘り続ける、変な作家だと思うんですね(笑)

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