世界の終りと

むかし、仕事をサボって公園の駐車場で読んだ本のことを思い出した。それは、村上春樹の「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」。この本は、ヒトの心の深層に人為的につくられた世界を冒険するという、奇妙な小説。この本を思い出したのは、最近、茂木健一郎や養老孟司など、脳とか意識を扱った本ばかり読んでいるせいだと思う。世界の終りと~ をはじめ、村上春樹の作品に共通するモチーフは、脳科学者たちが追っている目に見えないイメージによく似ている気がする。優れた科学者だけが持つ、ある種の「勘」を村上春樹は備えていると思う。

夏に向けて

腕立て伏せを25回、腹筋運動を25回、毎朝欠かさず行っているが、来年の夏に備え、これをそれぞれ30回に増やすことにした。さらに、今日からはヒンズー・スクワットも加えることにした。来年の夏が楽しみである。

ふと思い立って

「大学を出ても就職はしたくないし、じゃあ何をやろうかと考えて、ジャズの店を始めることにした。そうすれば朝から晩まで音楽を聞いていられるじゃないかというのが、そもそもの動機だった。とても簡単な話だ…(中略)…そして二十九歳になった時、ぼくはふと思い立って小説を書き、そのまま小説家になってしまった」
これは村上春樹著「意味がなければスイングしない」の、作者「あとがき」からの抜粋。これらのことは村上春樹ファンなら誰でも知っていることだが、うらやましい話だ。別のエッセイには「書いてみたら…書けたんです」とある。
では、ぼくもそろそろ、ふと思い立ってみるか。
注) 特に小説家になろうというのではありません

涼しい朝

道路に面したドアを開けると、いきなり折れ曲がった階段。そう、当店のフロアは二階にあります。今朝、いつものように出勤し、鍵を開けてドアを引いたとき、ぼくはハッとしました。だれもいないはずの二階に、人の気配があったんです。しかも大勢の。と言っても、話し声や靴音がしたわけではありません。でも、そのときぼくは、ザワザワとした気配を、はっきり感じ取ったのです。おかしいな、と思いながら階段を上がると、薄暗い店内は当然のように、しんと静まり返っていました。しかし、なにか様子が違うんです。明らかにおかしいのは、なんともいえぬ甘ったるい、駄菓子屋にいるような、懐かしい匂いが、あたりかすかに漂っていたこと。でもそれはすぐに消え、コーヒーの匂いだけになりました。店では、朝、コーヒー以外の匂いがすることはありません。じつを言うと、これで二度目なんです。一度目は「気のせいだろう」と思い、今日まで忘れていたのでした。

幸運のシッポ

脳科学者、茂木健一郎の著書に頻繁に現れる「セレンディピティ」という概念を学んで以来、ぼくの行動スタイルは変化してきている(笑) というのは、一見、自分にとってマイナスに思える人や出来事が「偶然訪れる幸運のサイン」を含んでいる可能性が高いことを知ったからだ。そのサインを見落とさず、注意深く観察する。今のところ、ぼくはまだその段階にいるが、たしかに何かありそうだ。そこに正負入り混じったエネルギーの混沌を感じる。おもしろい。一見マイナスに見える人、そして出来事。 欲しい? え?余計なお世話?
ぼくの周辺にいる人は気をつけてね。ヒヒヒ。

はらゆうこが語るひととき

Yuko_1毎年、秋になると手に取ってしまうアルバムのひとつ。どの曲もすばらしいのだけど、とりわけ「しっかりJohn-G」は、秋の夜長、繰り返し聞いてしまう。
ダニエル・キイスの「24人のビリー・ミリガン」ではないけれど、ぼくのココロにあって、秋になると現れる一人の多感な女性人格が、この歌にすっかり参ってしまっている。

秋モード

朝夕が涼しくなったせいか、ここ数日、お客様が多い。ぼくも熱い珈琲がうまく感じる。体が秋モードに変化してきたようだ。というわけで、ぼくは秋を堪能するためのスペシャル秋モードに変身します。ではお先に。

Who are you?

Who_1人の顔を憶えられない。名前がわかっていても、顔を思い出せない。似た顔の人を混同することが良くある。街を歩いていて、挨拶をされて困ることがある…
古い写真の整理をしていて、
おや?このカワイイ女性はダレ? と思うことがある。自分で撮った写真なのに。でも、しばらくすると、たいてい思いつく。
なーんだ、あいつか。と、がっかりしたりする。
※写真と本文は関係ありません。

雨音

8月も今日で終わり。
なにが悲しいのか、朝から雨が降りっぱなし。
音を立てて降り続く雨。何かがおかしい。
そう感じた瞬間、デジャビュが起きた。
意識が時間を踏み外した。手に持っているのは珈琲。
どうしてぼくはここにいるのだろう。
珈琲を見つめ、温度を確かめ、自分の位置を確かめる。
いつもの部屋。音を立てて降り続く雨。