昼過ぎ、常連のSさんがやってきた。カウンターにお客様がいらしたので、Sさんは少し離れた丸テーブルの椅子に腰掛けて待っておられた。合わせた膝を少し傾け、背筋を伸ばし、遠い一点を見つめているそのたたずまいが花のように涼しげで、とても美しく感じられた。ほかのお客様が帰られた後でそのことを話すと、にっこり微笑み、「亡くなった母が喜びますわ」とおっしゃった。しつけの厳しいお母様だったらしい。愛に裏打ちされた厳しさ。なかなか難しそうだ。
アパートは無くなっていた
雨の音を聴く男たち

朝から雨が降っている。気圧が低いせいか頭がはっきりしない。時の過ぎ行くまま、ぼんやり雨の庭を眺めていると、なんとなく静かなクラシック音楽が聴きたくなってきた。ふと、自作の真空管アンプとTANNOYで室内楽を聴いているという、常連のお客さんの顔が浮かんだ。電話をしてみると運よく在宅されていた。ぼくは北に車を走らせた。小さな丘を二つ越え、川を渡り、坂を上って、場所がわからずに住宅地の路地をぐるぐる回っていると、雨の十字路に見覚えのある初老の紳士が微笑んでいた。車を停め、玄関に案内されると奥からリュートをかき鳴らす音が聞こえてくる。こんな雨の日にふさわしい、どことなく憂いを帯びた演奏。だれが弾いているのだろう、と驚いていると、それは件のTANNOYから流れていたのだった。

甘い匂いの夜
星の涙
予感
闇を湛える
水星
位相のズレ
世界とはなんだろう。斎藤環と茂木健一郎の往復書簡「脳は心を記述できるのか」のなかで、今回、斎藤さんが「世界」について、分かりやすくまとめているように思います。みなさんは、世界とは、いったいなんだと思いますか?それにしても、茂木さんの返信はちょっとひどいと思うのですが。斎藤さんが提起した問題の肝心な部分にまったく答えていない。どうなっているんでしょう。位相のズレなんでしょうか。できればそう思いたいのですが、ぼくにはそうは見えません。
池のある風景

今日は霧島に行こうと思っていたのだが、突然気が変わり、以前から行ってみたいと思っていた某神社へと車を走らせた。

その神社に興味を持ったのは、その拝殿に不思議な生物の彫刻があると聞いたからだ。

行ってみると、なるほど、極彩色に彩られた恐ろしげな生物が柱に張り付き、四方に睨みを利かせている。

こういう神社が鹿児島にあるとは知らなかった。

腹が減ってきたのでソバ屋で昼食をとり、雨不足で水位が低下していた、山の上の某池に向かった。ニュースによれば、やっと水位が戻ってきてボートも漕げるようになったという。2月に来た時はボートは漕げず、水中から生えているはずの落羽松も、干上がった水辺にポツンと立っていた。峠を越えると、そこが池の駐車場。驚いたことに、平日なのに、ほぼ満車。こんなことは初めてだ。公園を歩いていくと、チンドン屋同好会?のお年寄りたちが、鉦や太鼓を打ち鳴らして楽しそうに騒いでいる。変なカツラをかぶって踊っているおばさんは85歳だという。不思議な光景だった。

池の周囲を歩いていくと、若葉をまとった落羽松が見えてきた。ちゃんと、水の中から生えていた。









