2000年の冬が終わって春が来て夏が来て秋が来て冬が来て春が来て夏が来て秋が来て冬が来て春が来て夏が来て秋が来て冬が来て春が来て夏が来て秋が来て冬が来て春が来て夏が来て秋が来て冬が来て春が来て夏が来て秋が来て冬が来て春が来て夏が来て秋が来て冬が来て春が来て夏が来て秋が来て冬が来て春が来て夏が来て秋が来て冬が来て春が来て夏が来て秋が来て冬が来て春が来て夏が来て秋が来て冬が来て春が来て
引力とパンツの関係
桜はまだかいな
いつもの植物園に桜を見に行った。去年の今頃は満開だったのに、ほとんど咲いてなかった。
園内、どこをあるいてもアカシアの甘酸っぱい香りが漂っていた。
ちょうどお昼になったので、園内のレストランでランチ。ぼくはエビカツ定食、ヨッパライ某はサーモンの何とかというのにした。
某湖の近くの神社に行ってみた。ウメが満開だった。
フッ、長すぎるぜオレのアシ
ハブラシその2
ねえ、ご主人が使っているハブラシ、あなた使える?
ぼくは昨年結婚した常連のA子さんに聞いてみた。
「イヤ!」
即答であった。
ネコパシー
今日、お客さんと、ネコの話しをしていて思い出した。わが家のネコには特殊な能力があるということを。
何週間か前、雪が積もった日、あまりに寒かったので、ネコを箱に入れてストーブのある部屋に連れてきて、部屋の隅に置いた。箱のネコは、ずっとおとなしくしていた。たぶん、寝ていた。ぼくはネコのことなどすっかり忘れ、お茶を飲みながら家人とどうでもいいような話をしていた。その間、ネコはその存在をまったく消し去っていた。ぼくはふと思い出して話題を変え、ネコのことを話し始めた。とたん、部屋の隅に置いた箱の中のネコが
「ニャー、ニャーオ」と、大きな声で鳴いた。ぼくはびっくりした。でも、偶然だろうと思った。そのあとしばらくして、またネコの話を始めた。すると、またもや
「ニャ、ニャ、ニャー」
と、まるで返事をするように鳴いた。ぼくはイスから転げ落ちるほど驚いた。これは偶然ではない。考えられることは二つ。
1、ネコは人間の言葉を理解している。
2、ぼくがネコのことを考えると、それがテレパシーで伝わる。
理に適ったことに従うと実存の輝きが失われる
ヒマだったので、とあるブログをだらだら読んでいたところ、ザルのようなぼくの感性に次の言葉がひっかかった。
いわく、「理に適ったことに従うと実存の輝きが失われる」
これと似たような話を、さきほどお客さんと交わしたばかりだった。
ところで月曜日は晴れるらしい。
あの植物園の桜がそろそろ開くころ。
正月日和
あけましておめでとうございます
今日は雨水(空から降るものが雪から雨に変わるころ)直前の新月、ってことで、つまり、旧暦の一月一日。旧正月です。暖かな一日でしたね。ぼくは思うんですけど、正月が今日みたいに明るく、暖かく、春の兆しを含んでいるなら、よーし、今年一年、がんばろう、って気分になるような気がするんですけどね。今年の(新暦の)正月は、ほんとに寒かったなぁ~。正月は旧暦に限りますな。
よしこちゃん
よしこちゃん、といえば、あのよしこちゃん。
よしこちゃんは、いつも三つ編みにしている。
もし、よしこちゃんを知らないのなら、
「よしこちゃん」で検索すれば分かるかもしれない。
実をいうと、ぼくはよしこちゃんのマネがうまい。
いばるつもりはないけど。