夏にさよなら

楽しかった夏も、あっという間に過ぎた。明日から9月。
9月もまだまだ暑いけれど、もう夏じゃない。
明日の朝は新たな気分で目を覚まそう。
生まれ変わったように

遠い渚

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あの日に帰りたい。とは思わないけど、ぼくの中にいる少年が恋焦がれるように、いつまでも見つめていると、なんとかしてあげたくなる遠い日の渚

あの山を越えて

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先週、行こうとして行けなかったあの山に再び挑戦した。先週は道を一つ早く曲がってしまったために、まったく違うところに行ってしまった。
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神社の先を登ったところに、その山の頂上はあった。頂上は畳一枚ほどのスペースしかなく、周囲を低木が覆っているせいで、見晴らしは良いとはいえなかった。でもかろうじて開聞岳、万之瀬川河口のサンセットブリッジなどが見渡せた。遠くに見える山は野間岳。
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頂上から見えたサンセットブリッジに行ってみた。美しい吊り橋で、海に目をやると、潮の引いた砂浜がなんともロマンチック。こんな立派な吊り橋が歩行者専用というのは、いささか不思議な気がした。
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先ほど登った山を望む

ツリーオブライフをみてきた

ツリーオブライフ、という映画を見てきた。テレンスマリックの作品だというので、これはぜひ映画館で見ておかねば、と思ったわけで。人気がないのか、10室ある劇場の中でも一番狭い小さな上映室があてがわれていた。実際、レイトショーのせいもあってか観客は10名に満たなかった。始まっていきなりヨブ記の一節が映し出され、語られる。見終わったあとでわかるのだけど、この一節が頭の隅になければ、作者がこの作品によって何を表現したいのか、理解しようとすればするほど分からなくなるように思われた。表現者のジレンマといえると思うけれど、鑑賞者が理解できないことがこの作品の一番大切なポイントになっている。「人間サイズの理解」が、この作品の重要なテーマになっているからだ。ヨブ記を読んだ方なら知っていると思うが、映画の冒頭で語られるヨブ記の一節のその少し前に、次のような言葉がある。神が最初にヨブに語られた言葉だ。
「これは何者か。知識もないのに、言葉を重ねて、神の経綸を暗くするとは」
神の経綸は人間には理解できない。ヨブは神の前に正しい人であったが、正しいからといって、彼に罪がないのではない。ヨブにはそれが理解できなかった。「彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」と、十字架上でキリストは言われた。何をしているのか自分でわからない、それが人間の罪だ。いうまでもなく、それをあがなうためにキリストは十字架にかかった。その、人間には理解不可能な神の経綸を暗示することで人の罪を表そうとしたのが、この作品なのだと思う。ちなみに、いっしょに見に行ったヨッパライ某は途中で寝てしまいました。

真夜中に呼ぶ声

屋上に出て星を眺めていたら遠くでセミが鳴いていた。ツクツクボウシの声だった。静まり返った星空の下、それは寂しく響いていた。

イフードードー

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♪♪♪♪ ♪♪♪♪ ♪♪♪♪
ねーねーねー、この音楽いいね、もっと大きい音で聞かせて!
いいよ
♪♪♪♪ ♪♪♪♪ ♪♪♪♪
  うーーーん  元気が出てきた!   じゃあね
うん、またね

きみの匂い

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ぼくの机にはいつもメンソレータムが載っている。
この匂いが好きなので、時々ふたを開けて楽しんでいる。
数ヶ月前、新しいメンソレータムを買ってきてもらった。
そして、いつものようふたを開け、匂いをかいだ。
おかしい。
何かが違う。
ぼくの知っているメンソレータムの匂いではなかった。
気になりながらも、いつものように匂いを嗅いでいたが。
数日前、やはり気になって成分を確かめてみた。
何も変わっていないと信じていたのに。
君はいつのまにか変わっていた