夜の散歩者

160401_01 夕食後、近くの公園に散歩に出かけた。満開ではなかったけど桜が咲いていた。花の下を歩いていると、いろんな思いが浮かんでくる。立ち止まり、空を見上げる。桜の花の向こうで星が瞬いている。どうしてぼくはここにいるのだろう

初充電

160331_03 ビニール傘が小さいせいで、道端にかがみこんで草花の写真を撮ってたら背中がずぶぬれになった。濡れたわりには大した写真は撮れなかった。そんな自虐的な楽しみが写真にはある160331_01 仕事用のノートパソコンを買い替えて2年になる。常にコンセントにつないで使うので、電池は買った時のまま、机の引き出しに放り込んである。でも、電池は使わなくても自己放電する。二次電池は充電されてない状態で保管すると痛むので、一定時間たったら充電してやる必要がある160331_02 電池をパソコンに装着して起動すると、容量は58%になっていた。思ったほど減ってないので、ちょっと驚いた。最近の二次電池はほとんど自己放電しないようだ。充電の必要はなさそうだったけど、せっかく取り付けたので、70%充電し、電源を切って取り外した

トンネルを抜けると水車ICだった

160328_01南薩縦貫道の知覧金山水車ICまでが昨日開通したというので、とりあえずソバでも食いに行くことにした。写真の真ん中あたりのトンネルを抜けたところが知覧金山水車IC160328_02ぼくは熱いかけそばを、ヨッパライ某は寒いのに盛りそばを注文して残した160328_03人形博物館、というところに行ってみた。なかなかおもしろかったが、ぼくよりもう少し上の年代向けだと思った160328_04無料の駐車場に車を止めて、周辺をうろつきまわった160328_05いつもの公園に寄ってみた。ソメイヨシノは1~2分咲き、山桜は満開、といったところ160328_06古池や蛙飛び込む水の音160328_07いつものように峠で運転を代わり、歩いて帰った160328_08

春だったね

ウルマンの「青春」を初めて読んだのは20代半ばだったと思う。この詩をぼくに教えてくれた方は、この詩を大層お気に入りの様子だったけど、ぼくは一読してこの詩が嫌いになった。上から目線の押し付けがましさを感じたこともあるが、ぼくの知っている青春はそんな崇高なものではなかった。おととい、わが春、青春についてちょっぴりつぶやいたけど、ぼくの青春は楽しくも辛いものだった。若者特有の鈍さと不必要に鋭敏な感受性、そして根拠のない自尊心。そのバランスが病的に悪くて、日々悩みに悩んで頭が変になりそうだった。あの日々は花火のごとく楽しかったが、もう結構。おなか一杯、二度とごめんだ。今は春。地球の北半分は青い春、青春を迎えている。春。それは冬を経て生まれる。冬は死の季節だ。冷たく暗い死のあとにやってくるもの、それが春。大地は一度死んで春を迎える。彼は過去を思い出すことをしない。だから地上の春は、そのつど初心で新しい。ところで、今日久しぶりにウルマンの「青春」を読んだ。いい詩だと思う。でも、「青春」という題は、やはり違和感があった。原題の「YOUTH」のままでいいと思うのだけど

 新井満さんの自由訳による「YOUTH」が読みやすかったので、以下に記しておきます

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昼が長くなってきた

160321_01 今日は某公共施設で開催されている、某美術展を見に行った。芸術のことはよくわからないけど、とても楽しめた。欲しいと思う作品もあった。でも高そうだった160321_02 めったにラーメンは食べない。でも、ここのマグロラーメンは年に数回食べる。ワサビを入れて食べるととてもおいしい160321_03 変わった建物の横に佇んでいるおじさん160321_04 じっと空を見つめているおじさん160321_05 何か出そうな雰囲気のある家160321_06 空を見つめているおじさん。あしたも晴れかな160321_09 おじさんの周りにはピンクの花がたくさん咲いていた160321_07田園。 春だな~

夏への扉

160320_01今日は春分の日。地球には毎年春が来る160320_02ぼくの春はずいぶん前に終わって、二度とこない。十分楽しんだので、もう来なくていい160320_03