今朝は少し寒かった。君たちもそろそろ帰らないといけない
また来年
昨夜、父から「トイレに手すりをつけてくれ」と頼まれた。今日は天気も悪いし、たまには屋内で工作するの楽しいかも、と思い、まずは材料を買いに出かけることにした
しかし、材料を買う目的で車を走らせるのはつまらないので、どこかにうまいものを食べに行くついでに材料を買う、という名目にした。
漁港近くの寿司屋に行く途中にホームセンターがあるのに思い当たったので、さっそく寿司屋に予約の電話を入れ、車を走らせた。トイレの壁はタイル張りで、下地はコンクリート。タイル専用のドリルを使わないとタイルは割れてしまう。寿司屋の帰り、ホームセンターで手すりのほかに専用のドリルとアンカーを調達し、現場に向かった
工事は15分ほどで終了。コンクリートに穴を開ける音に驚いて、階下の住人が現場を見にやってきた。まったく休日に大きな音を立てるやつには困ったものだ。
生きるってことを、以前より真剣に考えるようになった。たぶん、年をとったせい。今日も同い年の友人とコーヒーを飲みながら、こいつもずいぶん年をとりやがったな、と思った。言うまでもなくそれは鏡に映った自分を見てつぶやくのに等しい。こんな名言がある。「父親になるのは簡単だが、父親たることはなかなか難しい」なるほど。そこでぼくも言ってみた。「人間として生きるのは簡単だが、一人の人として生きるのはなかなか難しい」そんなことをブツブツ考えているうちに、むかし読んだ谷川俊太郎のエッセイ集にある文句を思い出した。
勝新太郎さんがどこかでこんなことを言っていた。おれっていう人間とつきあうのは、おれだってたいへんだよ。でも、おれがつきあいやすい人間になっちゃったら、まずおれがつまんない。私はすっかり感心した。自分とつきあうのがたいへんだなんて考えたことがなかったからだ。私は勝さんよりのんきな人間で、自分とも他人とも世間ともあまり衝突せずに生きてこれたと思っていたけれど、実はそれは自分で自分をごまかしていたにすぎないのではないか。
たぶん、多くの人が自分をごまかして生きている。そうしないと勝さんが言うように、大変だから。でも、自分をごまかしたら、人生の価値がなくなりそう
今日は家族のだれかの誕生日だった。集まる人の関係で、誕生会は日曜日に済ませたのだけど、今日が本当の誕生日。ワインで乾杯するだけの予定だったのだが、お客さんから手作りのカボチャプリンをもらったので、それを誕生ケーキに仕立てて、ささやかな誕生会になった。
当人が年の数ローソクを立てて一気に吹き消したい、と言い出した。ぼくは、つばが飛ぶからやめてくれ、と言ったのだけど無視された。そして残念なことに、すべてのローソクは吹き消せず、7、8本、残してしまった。ぼくはひとこと言っておきたい。ほとんどの人が知らないことだが、30本以上のローソクを一息で吹き消すのは思うほどやさしくない。フォースを使わずにローソクに立ち向かうのは無謀と言っても過言ではないのだ。
なお、カボチャプリンが驚くほどうまかったおかげで、ローソクの失敗で落ち込んだ当人もすぐに元気を取り戻し、ステキな誕生会になった。
祝日にまつわる用事を済ませ、ドライブに出かけた。午前中は晴れていたのだけど、午後から薄雲が広がってきた。昼食後、空を見上げると、太陽のまわりに輪っかができていた
前から一度行ってみたいと思っていた施設に行ってみた。休館日と店の定休日が重なっていて、なかなか行けない
ドームに設置されている65cmカセグレン式反射望遠鏡。いいな~。これ、ぽっちい。係の人に、昨年、わが家の望遠鏡の鏡を洗った、という話をしたら、この望遠鏡の鏡も年に一度洗うんですよ、すごく重いです。と言って、取り外した鏡をのせる専用の台を見せてくれた。
ドームのスリットを開け、白昼の金星を視野に導入。あいにく空は薄雲が広がっていた。いくら高性能でも、これじゃ無理。半信半疑でアイピースを覗くと、そこにあるはずのない三日月が、うれしそうに手を振っていた。いや、それは三日月ではなく、金星だった
屋上で夜風に吹かれている。ずっと遠くで灯台が点滅している。虫の音がぼくを包んでいる。もう一人のぼくが、そんなぼくを見下ろしている。そういう夜