走れmellows33
男はいつものように閉店間際に現れ、トラジャを、と言った。彼は明日、某マラソン大会で走るために、関門海峡を渡り、高速を飛ばしてやってきたのだという。今から某会場まで走り、車中で一夜を明かすそうだ。男は熱い珈琲を口に運びながら、宙の一点を凝視している。コースを思い浮かべ、イメージトレーニングをしているのだった。
4時間55分
昼過ぎ、金曜日の男がやってきた。彼はコーヒーを飲むような洒落た男ではない。いつもなら豆腐を置いてさっさと帰るのだが、めずらしく彼はこう言った。
「ピリッちしたコーヒーを飲ませっくれんけ」
訳)目が覚めるようなコーヒーを飲ませて欲しい。
いいよ、と言って、ぼくは深煎りのグアテマラを点てた。そして、
例のマラソンはいつあるの? と聞いた。すると彼は言った。
「ここのかよ」
訳)なんだ、そんなことも知らないのか。9日に決まってるじゃないか。
へぇ~、すぐだね。と、ぼくは言った。そして、
家族も応援に来るんだろう? と続けた。すると彼はしばらく間をおき、遠い目になって、
「だいもこんよ。ひといではしっせー、ひといでかえっくっとよ。はじめんころなみんな見にきっくれたどんね」
訳)走り始めたころはみんな応援に来てくれたのだが、今は一人で会場に行き、走って、一人で帰ってくるんだ。
ふーん、なんだかさみしい話だな。で、目標は?
「4時間55分」
世界のかたち
早起きは眠すぎるのだ
草木も眠る午前3時55分、静寂を破って目覚ましが鳴りはじめた。誰のために。ぼくのために。一週間の休みが終わり、今日から仕事。玄関のドアを開けると外は真っ暗。車は信号の点滅する交差点を次々に走り抜け、店にたどりつく。店の中をふらふら歩いていって、機械のスイッチを入れる。機械は瞬時に目覚める。でもぼくのノーミソはまだ眠っている。眠い。ねむいよ~~~。だって、にんげんだもの
とにかくこうして2011年の仕事は始まった。
そんなわけで眠いのでもう寝ます。おやすみ
人生予報
長いようで、そうでもなかったLONG VACATIONもいよいよ明日で終わり。何事も始まりがあり、終わりがある。すべては終わりに向かって始まっていると言っても過言ではない。たとえばこの長たらしい無意味な前置きも、終わりに向かって始まり、そしてこのように終わる。つまり、ここから本文が始まる。予報では午後から雨とのことだったが、雨らしい雨は降らなかった。
ほんとうはドライブに行きたかったのに、予報を信じたばかりに貴重な休日をほとんど家の中ですごしてしまい、昼ごはんを近くのマックで食べることになった。そして一番安いバーガーを2個食べるつもりのところをオマケがもらえるというので欲しくもないダブルバーガーセットを頼んでしまったのだった。これは重要な示唆を含んでいる。天気予報に左右されないための人生計画の見直し、そして確立。そう、これは人生における危機管理の問題のひとつなのだ。
あの松下幸之助はこう言った。雨が降れば傘をさす。じつに明快だ。簡単な事を複雑にするのが得意なあまり、いつのまにかぼくは人生のラビリンスに迷い込んでしまったようだ。行動を決定するに当たって予報を過度に優先してしまっている。過ぎたるは及ばざるが如し。予報はたしかに安全の確率を上げる。しかし同時に、かけがえのない何かを犠牲にしている。予報はともすれば人生をつまらなくする。というわけで、この記事もなんだかわけのわからない迷路にはまりつつあるようなので終了することにする。