イチゴの誘惑

お菓子担当のN君がケーキを持ってやってきた

ぼくがいただいたのはこれ。とてもおいしかったです

お菓子担当が貼り付けていったポスター。もうこんな季節なんですね。一年って、あっという間

根本的ディレンマな日々

「伝えたいことを伝えることができない」という問題は悲劇的だ。その悲劇の主人公、つまり、ぼくの場合、その、伝えたいことの構造に問題があることが最近読んだ本によって分かったのである。かも。以下抜粋

知識の探求に明け暮れたその生涯の終局に、ファウストが「われわれは何も知りえないのだということが、私には分かった」と言うとき、それこそ結論なのである。しかし、それは、この命題を入学したばかりの学生が自分の怠惰を正当化するために使う場合とは、まったく別の事柄である。この命題は、結論としては真理であるが、前提としては自己欺瞞である。
この点に関して教育の問題は、根本的ディレンマを持っているのではないでしょうか。つまり、みずからの深い実存的「経験」にもとづいてはじめて定義できる事柄を、教育者は、未経験な次の世代に、あらかじめ「結論」として教える立場にある。
すなわち、ある認識は、その中でこの認識が獲得された実存から切り離されることはできない。のです。

愛のおのずから起るときまでは、ことさらに呼び起すことも、さますこともしないように

雅歌 3:5

机の灯台

メルカリで手に入れた灯台のオブジェ。高さ7~8cm。送料込み900円

樹脂製だと思ってたら陶器でした。樹脂なら投光器の部分にLEDを仕込み、点滅させようと目論んでいたのでしたが。

 

A LONG VACATION 5日目

「苦悩と、そして死があってこそ、人間という存在ははじめて完全なものになるのだ」
これはフランクルの「夜と霧」に出てくる一節。最近、やっとこの言葉が実感を伴って理解できるようになった、よーな気がする。その実感とは意外なことに「解放、自由」の語義の感覚に近い。つまり、苦悩しつづけ、死を人生の一部としてとらえたとき初めて人間としての解放、自由を味わい知ることができる、そんな感じだ。逆のようだが、解放と自由は苦悩と死の中にある。
今日は家でコーヒーばかり飲んでいたのだけど、何もせずにじっとしていると、小人閑居して不善をなす、のことわざ通り、ろくでもない悩みが次々と泡のように浮かんできて苦しくなってきた。思わず家を飛び出しウォーキングに出かけたのだけど、遊歩道を歩きクールダウンが進むに従い、そのろくでもない悩みを他人のそれのように距離を置いて眺めることができ、少し楽になった。やれやれ

A LONG VACATION 3日目

2018年も終わろうとしている。先ほど家族でスキヤキ鍋を囲んで乾杯をした。今年はいろんなことがあったせいか、アルコールがいつになく心にしみた。なんだか歩きたくなって、ダウンジャケットを羽織り、ほろ酔い気分で今年最後のウォーキングに出かけた。いつもの遊歩道を4キロ歩く。だれも歩いていない。オリオン、すばる、カシオペア。冷たい夜空に星が煌めいている。ウォークマンの音楽がいつもと違って聞こえた。

来年もよろしくお願いします