田中宇の国際ニュース解説というHPの18日の記事、「ドルの崩壊が近い」のまん中あたりに次のような記述がある。以下引用
▼チベット騒乱と中国のドル離れ
もう一つのドルペッグ大国である中国では、先週からチベットで騒乱(自治要求運動)が起きている。中国は今夏の北京オリンピックを成功させ、欧米中心の国際社会の中で大国として認めてもらおうとする戦略をとっているが、チベット人は北京五輪の5カ月前という今のタイミングで騒乱を起こし、欧米日にもともと多かった反中国的な世論を喚起して、欧米を五輪ボイコットまで引っ張っていこうとしている。
チベット人による独立・自治拡大要求の運動は、中国共産党が政権を取った直後の1950年代から、冷戦の一環として米英の諜報機関が亡命チベット人を支援して持続させている、米英の諜報作戦でもある。その歴史から考えて、今回の騒乱も、北京五輪を成功させて大国になっていこうとする中国政府の戦略を壊そうとする、米英諜報機関の支援・扇動を受けて行われている可能性が大きい。
(アメリカでは「多極主義者」と「米英中心主義者」が暗闘しているという私独自の図式から見ると、五輪の選定会で北京を勝たせたのは多極主義者であり、五輪を潰すために「これが最後のチャンスだ」と言ってチベット人の運動を扇動したのは米英中心主義者である)
チベットの騒乱が今後どこまで拡大するかわからないが、もし国際的な五輪ボイコットに発展した場合、中国は面子を激しく潰され、絶望する。すでに中国のテレビでは、チベット族の暴徒が、ラサの漢民族の商店を破壊する映像が繰り返し放映され「勤勉な漢民族をねたむ一部のチベット族が暴動を起こしている」という図式が、中国人の大半を占める漢民族の頭の中にインプットされている。騒乱での死者の多くも、チベット族に殺された漢族であるとされている。
やがて中国の世論は「米英がチベット族を扇動して暴動を起こし、北京五輪を潰そうとしている」という見方になる。最終的に五輪がボイコットされた場合、中国の世論は反欧米の方に傾き、ロシアと似た反米ナショナリズムが席巻する。
従来の中国は、親欧米を保ち、欧米に認められて大国になろうとしてきた。プーチンのロシアは、中露の安保組織である「上海協力機構」などを通じて、中国をロシアと結託した反欧米の方向に持っていこうとしてきたが、中国はロシアの画策には乗りたがらなかった。しかし、チベットの騒乱が五輪失敗につながり、中国政府が親欧米を保った大国化の戦略に見切りをつけたら、その後の中国はロシアと結束し、反欧米の色彩を強めるだろう。
以前なら、中国とロシアが組んでも大した影響はなかったが、今は違う。中国・ロシア・中東産油国が、世界の富のかなりの部分を握るようになり、しかもアメリカはドル崩壊と金融危機で急速に経済力を減退させている中で、中露が結束し、そこにGCCとイラン、ベネズエラなどの産油国が加勢したら、欧米中心の世界は終わり、覇権は非米諸国の間で多極化する事態になる。
日本人の多くは中国が嫌いなので、チベット騒乱で北京五輪が失敗したら「ざまあみろ」と思うだろう。しかし、実はそれは自滅的な間違いである。北京五輪の失敗は、中国をドルから自立させて、ドルの崩壊、ひいてはアメリカの覇権崩壊を早めることにつながる。中東大戦争が起きた場合のGCCの反応と同じで、中国に関しても、米中政治対立が通貨のドル離れを引き起こす。ドル崩壊でアメリカは弱体化してアジアから撤退し、日本は唯一絶対の後ろ盾を失い、中国に頭を下げて友好国にしてもらうか、自閉的に衰弱をしのびつつ鎖国するしかなくなる。
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また、極東ブログというブログは20日の記事で次のように書いている。というか、こちらの記事は、全部引用することになりそうなので、時間のある方は読んでみてください(汗)
バベルの花
駐車場の桃の木には、赤い花と、白い花と、赤白まだらの花が咲くが、それぞれ群れをなしていて、ひとつの枝にとなり同士で咲くことは、まずない。それはなぜか。ぼくはこう思った。つまり、赤と白とまだらは互いに言語が通じないのである。バベルの塔と同じ理由なのだ。しかし、一箇所だけ、ひとつの枝に赤い花と白い花がとなり同士で咲いていた。ぼくはその理由をコーヒーを飲みながら考えてみた。コーヒーを飲み終わったとき、ぼくは次の答えを得ていた。
二人は恋人同士である。
「愛に言葉は要らない」のだ。
ところで、こんな本が売れているような気がする。それには、例えばこんなことが書いてある。かもしれない。
「人を好きになることが最強のエンターテイメントだ」
三分咲き
雨の水曜日
間違いジャージ
ジャージをもらった。サイズを見ると L とある。さっそく袖を通してみると、あつらえたようにピッタリであった。次にズボンをはいてみた。すそが床に触れそうだ。いや、触れている。そんなバカな。なにを隠そう、ぼくはアシが長い。このジャージは間違っている。
箱から脱出する方法
…最も重要なコンセプトは、オリジナルタイトルにあるように「自己欺瞞(Self-deception)」である。本書では、自己欺瞞というものを、「良心や本心が告げるものに対する裏切り」として捉えている。たとえば、若い夫婦が寝ているとき赤ちゃんが泣き出す。夫か妻が起きて相手をしなければならない。そうした状況で、夫が先に目を覚ましたのに、嘘眠りしてしまう。そんな状況を本書では上げている…
以上、3日前の某ブログの記事からの抜粋。ん~これは臭う。これはナニかオレにとって金銀に勝るスゲー宝物が潜んでる予感、カモ。そして続く昨日の記事。あ、こりゃ~やっぱ、ナニかあるワィ。そして今日の記事。ちっ、これは読まないわけにはいかんようだ(めんどうだな)。というわけで、特にダレ(某F少年とか)とは申しませんが、アマゾンのボタンをポチっと…
ももももも
春なんだなあ
昼食時に届くメール
ぼくの体には縫ったあとが約10ヶ所ある。おっちょこちょいなので、子どもの頃からケガばかりしていたからだ。縫い傷を発見すると、友人間では、こういう会話が発生する。「それ、何針縫った?」ぼくの顔の傷を見て友人が問う。「5針だ」というと、にわかに友人のまなざしに尊敬の色が浮かび、ぼくは誇らしい気分になる。だが逆に、「見ろよここ、10針縫ったんだぜ」などと切りかえされると敗北感を味わうことになる。骨折も自慢の種になるが、ぼくは残念ながら2箇所しか骨折していないので、こちらからその話題を出すことはない。
昼食時、息子から母親に宛てたメールがぼくに転送されてきた。メッセージは「折れてました」とだけ。手のレントゲン写真が添付してあって、なかなか上手に折れている。そこで息子に電話してみた。
「単車で転んだのか?」
「いや、ボーリングで」
「はぁ?ボーリング?」
「うん」
ボーリングで骨折するとは器用なヤツ。
「骨折、何度目だっけ」
「はじめて」
「よかったな、おめでとう」
ケガは程度にもよるが、男にとって通過儀礼のようなものだ、と思う。といって、わざわざケガをするようなことをするのはどうかと思うけど。
←注)写真はクリックすると大きくなりますが、あまり気持ちのいい写真じゃありません。クリックしないほうがいいと思います。