ローソクの日その6

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わが家には仏壇はない。が、派手に立派なローソクはある。今日は年に一度、そのローソクを灯す日だ。今夜は焼肉だった。テーブルの中央にガスコンロ、そしてテーブルの端では、この巨大なローソクがムードたっぷりに燃えていた。ビールで乾杯した後、肉をグリルにのせながらぼくは言った。このローソク、けっこういい値段がしたんだろうな。すると妻が、10000円だったわよ、と言った。へぇー、原価は2000円もしないんだろうけどね、でも、もう元は取ったかもよ。(こうして毎年楽しませてくれるんだから)と、ぼくが言うと、妻は、えーー?私はこんなの要らない、って係りの人に言ったのよ。そしたらタダでいい、ってことになったの。私は10000円も出すんだったら、おいしい料理を食べに行くわ。と言った。すると向かいにいた娘が、あたしも要らないわ、と冷めた口調で言った。

フォースを信じるんだ

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ルークスカイウォーカーはもう少しでダークサイドへ落ち込むところであった。しかし、あの耳のとんがった妖怪みたいな師匠のおかげで危機を免れた。ダークサイドは弱った人の心を強く引き寄せる。
怒り、悲しみ、嘆き。
引き寄せられた弱った心は引力に囚われた月のように、希望のない星の周囲を永遠に周り続ける。耳のとんがった師匠は謎の呪文を唱え、囚われかけた弟子を蹴飛ばす。弟子はよろめいて軌道を外れ、スイングバイして新たな世界へと旅立っていく。(なんのこっちゃ)

廃墟ガーデンその2

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庭にススキを植えよう、と思う。でもいまだに決心がつかない。
以前書いたけど、廃墟には不思議な魅力がある。そして、そこに生え伸びたススキが茫々たるムードを一段と盛り上げる。ススキは人間的秩序と宇宙的秩序の境にある。
よーな気がする。
そこでその表現として庭にススキを植え、放っておきたい。
つまり、簡単に言うと、ぼくは何もしたくない。
レッセフェール

朝食デビュー

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今日から朝食をとることにした。
某ブログに「朝飯を抜くとブタる」と書いてあったから。
ちなみに今日の朝食はタコライスであった。

退屈からの脱出

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久しぶりに読んでみた。やはりスゴイ人だ。
一九六七年一一月六日
退屈からの脱出
部屋は、落ち着いて安心して快適に住むようにできていなければならないはずだ。そのくせ日本人の部屋は、殺風景で空間ばかりがガランとしており、私などは息がつまりそうで、そんな部屋にいると発狂しそうになる。それに日本人には変な哲学があって、狭い空間をできるだけ広く見せるために、必要なものだけしか置かない。それ以上のものを置くと狭い部屋が、もっとせまくなると考えるからである。しかしこれはたいへんな間違いだ。狭い部屋こそ、狭く見せるのが部屋づくりの理想的な姿だ。部屋の端から端まで行くのにも、道具の少ない部屋なら簡単に到達できるが、むしろ混乱していると、足の踏み場もないために、なかなか到達できず、時間がかかる。ということは逆に空間を広く使っていることになるのだ。退屈な時間を救う唯一の方法は、空間を埋めることである。こうすることによって、現代の退屈な狂気の精神から脱出することが可能になってくる。〔婦人公論〕

ぼくの中のラビリンス

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さっきTwitterを見たら横尾忠則氏がまたおもしろいことをつぶやいていた。
@tadanoriyokoo: ぼくは自分の中の他人の謎を解明するために生まれてきて、絵を描いているのだ。
@tadanoriyokoo: ぼくはぼくの中のラビリンスに鑑賞者を案内したいのだ。時にはぼく自身も迷って出られなくなるけどね。
@tadanoriyokoo: ぼくは自分の言葉は信用しないけれど絵は信用する。
彼は絵を描くことによって自分の中のラビリンスを探検し、表現する。ぼくも探検したいけど、うまく行かない。いーなーー