ぼくのドーナツ

雨が降り続いて庭のスイレン鉢があふれていた。それを眺めているとなぜか心が休まる。午前中は珈琲を4種類焙煎した。ほぼ二日おきに焙煎している。毎回、焙煎の仕方を少し変えていて、風味がどう変化するかを楽しんでいる。それは写真撮影や絵を描くのとどこか似ている。自動車メーカーの元社長がアメリカの大学でスピーチをして拍手喝采を浴びた、という記事をネットで読んだ。「皆さんも、自分だけのドーナツ、つまり、夢中になれるものを見つけてください」と。彼はアメリカのドーナツに夢中だったらしい。ぼくは写真が好きで、写真を撮らない日はほとんどない。ぼくのドーナツは写真なのかも。昨日、熱帯雨林からある写真を撮るのに超便利だという怪しげな装置が届いた。パッと見た目には何に使うのかさっぱり分からない。よくあることだが使えずゴミ箱行きになるかもしれない。でも夢中だからしょうがない

コーヒーの味

午後のコーヒー。今朝焼いたフレンチ。できたら数日たったのを飲みたかったが、なかった。意外にも深くまろやかな味で、思わず首をひねった。たぶん、台風のせいで味覚がおかしいのだろう

乾いた夜に

乾きたいと思ったことがあった。高校生の頃のことだ。
(中略)
気がつくと写真家になっていた。ぼくの意識の中から乾きたいという言葉が消え、ぼくは軽くなろうと思いはじめていた。そんな頃、ぼくははじめての海外ロケーションでグアム島に行った。いまと違ってグアム行きは夜間飛行だった。パン・アメリカン機を羽田に置いておくよりは飛んだ方が金がかからないのでグアムに飛ぶということだった。グアムには夜中の二時に着いた。タラップを降りるとき植物園の匂いがした。ぼくは高校生だった頃に、学校を抜け出して通った植物園を思い出していた。下り立った空港の暗闇は星でいっぱいだった。

浅井慎平 気分はビートルズ

天気は下り坂

水曜日の朝はここにいる。ことが多い。波打ち際を歩きながら空を見ると雨雲がすぐ近くにいた、と思う間もなく雨が降り出した

今は全く買わないけど、ずいぶん昔、ミカンの粒が入ったオレンジジュースをよく買っていた。ドクターペッパーという変な味がするのもたまに買っていた。もし自販機で売っていたら買うのだけど、県内ではなかなか見かけない

Kさんから4種類のイチジクをもらった。少しずつ味が違う。特に一番下のは食感がクリーミーでぼくが知ってるイチジクとは違うものだった。どれも、とてもおいしかったです

一か月前にKさんから頂いたイチジクの苗。スクスクと育っています

小学生気分で

ぼくの夏休みはまだ続いているけど、今日で8月も終わりなのだ

今日は前回と違うレンズをカメラに付けて近くの運動公園に遊びに出かけた。

前回オニヤンマを撮ったのはズームレンズ。便利なレンズだけど、うまく使いこなせない。今日使ったのは単焦点レンズ。楽しいレンズ

goodby 8月

やがて青春がやって来る

午前中に珈琲を4種類焙煎した。前回、焼き方をそれぞれ2か所変更したが、今回はそのうちの一つを元に戻した。ジェームズジョイスは原稿を鉛筆で書き、原形をとどめないほど手を入れたという。珈琲の焙煎も文章の推敲とよく似ている。新しい焙煎機を導入し、最初に焙煎した珈琲を原形と呼ぶなら、今の珈琲は同じ珈琲とは思えないほど風味が違う。焙煎を終え、機械をクールダウンさせているとお昼になった。お昼は目玉焼きとベーコンとサラダと牛乳と、いただき物のパン。食事の後、珈琲を淹れ、昨日ネットで拾ってクラウドに放り込んだ、斎藤環による草間彌生インタビュー要約版をリーダーに取り込んで屋上のテーブルで読む。が、風が弱く、暑いので10分もしないうちに退散。クーラーの効いている部屋で続きを読む。要約版が終わりに差し掛かったころ、草間彌生のある展示会の副題が「やがて青春がやって来る」と書いてあり、なんだか気に入ったので今日の題名に使うことにしたのだった

一番星が出るまで

朝食を済ませ、カメラを持って近くの運動公園に向かった。昨日見たのがコオニヤンマなのかオニヤンマなのかを確かめるため。せせらぎの傍らでカメラの準備をしていると、さっそく飛んできた。まるでぼくが来るのを待ってたかのように。目の前をゆっくり通り過ぎ、草の葉に留まった。コオニヤンマの複眼は左右離れているが、オニヤンマの複眼はくっついているとのこと。どうやらこれはオニヤンマらしい

おなじみのシオカラ。100匹以上飛んでいる

公園の底にある人工池。じっくり観察すると、けっこういろんな生物がいて楽しめる。10センチ近いカニもいる。

あちこちで見かけるようになったタイワンウチワヤンマ

今日も一日が終わろうとしている

カメラも年をとる

朝食の後、ヨッパライ某を誘って近くの運動公園に行った。いつものように人工のせせらぎに沿って歩いていると、川面をコオニヤンマが飛んできて近くの小枝に留まった。オニヤンマはずっと飛びっぱなしでめったに留まらないが、コオニヤンマは休憩が好きだ。カメラを取り出し、近づいて行ってシャッターボタンを押すが、シャッターが切れない。電池を入れなおすと復活する。ずいぶん長いこと使っているので、そろそろ寿命かもしれない。上の変な写真は、何なのか分からないかもしれない。ある状況、ある場所で撮っただけです

※ ネットで調べたところ、「休息時はオニヤンマは木の枝などにぶらさがって止まるが、コオニヤンマは腹を水平にして止まる」とのこと。ぼくがコオニヤンマと思って見たトンボは、小枝にぶら下がって止まってました。ということは、見たのはオニヤンマだったのかも。明日行って確かめてみます。

軽いのが好き

午前中、病院に行って心電図をとった。薬が効いているのか、心房細動もなく、良好、とのことだった。胸に巻いていたコルセットも、もう付けなくていい、とのことだった。
買い物を済ませ、家に帰り、食事を済ませた後で屋上に上がり、熱いコーヒーを飲んだ。ぼくは思いのほか疲れていることに気づいた。ぼくは思った。重いより軽い方がいい、と。


もっとも重い荷物というのはすなわち、同時にもっとも充実した人生の姿なのである。重荷が重ければ重いほど、われわれの人生は地面に近くなり、いっそう現実的なものとなり、より真実味を帯びてくる。 それに反して重荷がまったく欠けていると、人間は空気より軽くなり、空中に舞い上がり、地面や、地上の存在から遠ざかり、半ば現実感を失い、その動きは自由であると同様に無意味になる。 そこでわれわれは何を選ぶべきであろうか?重さか、あるいは、軽さか?

クンデラ 「存在の耐えられない軽さ」