ノスタルジー

犬が笑う。バカだなお前、またつまんねえことで悩んでるのか?

数日前に買いかけたラジオのことが忘れられず、ヨッパライ某の母からもらった壊れたラジカセを引張り出し、寝室のコーナーボードに設置した。コンセントにつなぐとラジオが昭和の音で鳴り出した。流れ出した曲は古いフォークソングだ。国営放送はまだこんなのを流しているのか。軽く30年以上タイムスリップしてしまった。CDは壊れて使えないが、ラジオとカセットは使える。それにしても音が悪い。耳が病気になりそうだ。試しにラジカセの下にオーディオ用のインシュレーターをセットしたところ、音の明瞭度が格段に上がり、普通に聞ける音になった。ちなみにソルボセインというソフト系のインシュレーター。ハード系も試したが、ラジカセとの相性は良くなかった。若いころカーオーディオで聴いていたカセットテープを納戸から持ち出してきて、しばらくあの頃の思い出に浸った。ノスタルジジー。
「われわれはいつも恋人を持っている。彼女の名前はノスタルジーだ」
ヘミングウェイ

音楽はココロのごはんです

昼過ぎ、ヨッパライ某とチェロコンサートを聴きに行った。三列目の席で、少し見上げるようにして聴いた。

近くで聴くと演奏者の表情がよく分かる。よく眠れなかったのか、まぶたの腫れた人もいる。聴く側は気楽なものだが、演奏者は必死だ。演奏者とたまに目が合うことがあるので、ぼくもできるだけ真剣な顔をして鑑賞した。もちろん演奏は素晴らしかった。こころにこびり付いた汚れが少し落ちた。よーな気がする

晩秋

今朝はアジアのコーヒー。インドネシアのトラジャ

昨日、金曜日の男からもらった生イモは昼前には焼きイモになっていた。皮をむくと仄かに昭和の秋の匂いがした。今日は使わなくなった電化製品を業者に回収してもらった。やれやれ、これで家の中のブツが少し減ったぞ、と安堵する間もなく、古いステレオラジオが欲しくなって、危うくsonyのMS-3400という木目調の据え置きラジオをメルカリでポチるところだった。というか「購入する」ボタンを押してしまったのだ。すると「スマホに送った認証番号を記入してください」という画面が出たのでスマホを探すが見当たらない。それを探しに行っている間に理性が戻り、ステレオラジオの購入は見送られた。学生の頃、sonyのMS-3200というステレオラジオを使っていたのだが、なぜか急にあの頃が懐かしくなって欲しくなったらしい。生前、父がテレビショッピングで使わない電化製品などをいろいろ買っていたが、ぼくもその境地にたどり着いたようだ。

終活の記録 その4

これは何かというと、鉄ですね。ぼくは一時オーディオに狂っていて、教祖はイガグリ頭の長岡鉄男という人でした。教祖はアンプに大きな鉛のインゴッドを載せており、こうすれば音がよくなる、とのことで、ぼくも驚きつつさっそくマネをしたところ、はっきりわかるほど音がよくなったのです。調子に乗って重さ30kgくらいのコンクリートの板をアンプに載せて音楽を聴いていたところ、ある日アンプが火を噴き、修理に出すハメになりました。この鉄はアンプの下に敷いていたもので、重さ70kgほどあります。

若いころは力もあり、重い物も手作りのオーディオラックに一人で設置していたのでしたが、音楽もyoutubeで聴くようになった今、これらは無用の重物なってしまいました。というわけで、これらの鉄塊を死ぬ思いで玄関まで運び、ちょうど金曜日の男が来たので彼に手伝ってもらって、ヒーヒー言いながら車に積込みました。海の近くにあるクズ鉄屋に持って行ったところ、全部で160kg、相場が1kg43円ということで6,880円いただくことができました。

ダークサイド

今日届いたコーヒー豆。麻袋に変な絵が印刷されていることはよくある。これも最初なんの絵か分からなかった。産地が分かっていれば、あ、そうか、ってことになるのだが

この袋には虫嫌いが思わず後ずさりしそうな巨大な昆虫が印刷されている。気の弱い女性は2メートルくらい離れて通るだろう

ぼくは一昨日、自分の中にあるダークサイドを見てしまった。それは深く、暗く、醜いものだった。できれば見たくないものだった。しかし今思えば、それを見、知ることでしか得られないものがあることにも気づいた。今夜はまじめな話で締めくくることにした

日曜日のお昼

趣味と遊びが混ざったようなけじめのない仕事をしていたせいか、仕事を辞めたはずなのに、たとえば映画なら終わりの字が出て厳かに幕が下り、館内が明るくなって現実が戻ってくる。といった、はっきりした前後の区別がない。今日は日曜日で、毎日が日曜日のぼくでもこの日は家でごろごろしたり、むつかしい本を読んで人生の深みについて真剣に考えてみたり、とかするのが正統な日本人なのではないかと思うのだけど、朝からいろんな人が来て店で珈琲を飲みながら雑談をしている。仕事をしていた頃とほとんど変わらない。あいかわらず混然としている。変われない。それで全然かまわないし、楽しいし、不満もないのだけど、ほんとにこれでいいのか?と、もう一人のぼくがささやく。昼はヨッパライ某が作ったソーメンチャンプルー。久しぶりに食べた。今日のは魚肉ハンバーグを使ってあったが、むかしはスパムだった。スパムは一缶100円くらいだったのに、今は高級食品になって手が出ない

土曜日の朝

今日は土曜日。毎日が日曜日だと退屈そうだが、毎日が土曜日だと何かいいことが起きそうな予感がする。朝、ヨッパライ某がウォーキングに出かけている間にコーヒーを点てる。彼女はモカが嫌いなので、自分一人で飲むときはモカを淹れる。モカを飲み終わるころ、ウォーキングから帰ってくる人のために続けてゴールデンビートルを淹れる。コーヒーを淹れる作業は理科の実験に似て楽しい。水温計、ビーカー、漏斗、濾紙、ストップウォッチ、バーナー

恋する目で見る世界

今日は病院。朝、7時21分のバスに乗った。時刻表では7時56分に到着するはずだったが、到着したのは8時27分だった。8時30分に来てください、とのことだったので、病院まで走った

帰りのバス。行きも帰りも本を読んでいたのだが、そのなかに「それは確かに恋する目で見る世界に似ていた。大空は人々と一体になり、鳥は人々を通して歌った」とあった。恋する目で見る世界。ぼくはすっかり忘れていた。退屈な風景も恋する目で見ると俄然、生き生きと輝きだす。そうだ、今日からぼくは恋する目で世界を見ることにしよう! いやー今日はいい言葉に出会えたぜ。ちなみにバージニアウルフの灯台へという本。寺田寅彦は随筆「科学者とあたま」でこんなことを言っていた。「頭のいい人には恋ができない。恋は盲目である。科学者になるには自然を恋人としなければならない。自然はやはり、その恋人にのみ真心を打ち明けるものである」。そう、恋する相手は人間でなくてもいい。愛の反意語は無関心だという。愛と恋は違うが、心を開き、関心をもって見つめれば、それは恋する目で見るのと同じ効果が表れるかもしれない

昼食はアベックラーメンで作る冷やし中華。ほんとにうまい。昼食を終えたころ金曜日の男が現れた。いわく、今日はなんの日か知っちょっか? 知らん、というと、トーフの日よ、10と2でトーフ。あ、そう。ぼくはそれで思い出した、昨日はコーヒーの日なのだった

昼食後、近くの運動公園に行って散歩。いつもの木々、せせらぎの音、空を流れる雲。関心をもって注意深く見つめる。恋する目で