ぼくらはみんな生きている

Scaphandre
昨夜はニンニクの効いたモツナベを食った後、お客さんからお借りした「潜水服は蝶の夢を見る」という映画を見た。これは同名の著書を映画化したもの。以下、アマゾンの著書紹介から。
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著者のジャン=ドミニック・ボービー氏は、1952年生まれ。ジャーナリストとして数紙を渡り歩いた後、世界的なファッション雑誌、『ELLE』の編集長に就任しました。名編集長として名を馳せますが、1995年12月8日、突然脳出血で倒れ、ロックトイン・シンドロームと呼ばれる、身体的自由を全て奪われた状態に陥ってしまったのです。まだ働き盛りの43歳でした。病床にありながらも、唯一自由に動かせる左目の瞬きだけで本書を「執筆」しました。本書は大きな話題を呼び、フランスだけでなく、世界28か国で出版される世界的なベストセラーとなりました。しかし、1997年3月9日、突然死去。本書がフランスで出版されたわずか2日後のことだったのです。
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さて、突然ですが、みなさんは生きている、という実感を味わったことがあるでしょうか。おそらく、気がついたらすでに生きていたはずなので、つまり、生きている状態がふつうだったから、特にそう感じたことは案外ないかもしれません。一度死んでみたら分かるのでしょうけど、なかなかそういうわけにもいきません。ところで、失うことで得るもの、あるいは、失わないと得られないものって、ありますよね。映画の主人公は、突然、身体的自由を全て奪われてしまったわけです。ぼくは勘繰るのですが、きっと、彼は何かを得たに違いありません。それは、もしかするとぼくたちが一生かかっても手に入れられない何かで、しかも、それは人が人生すべてをなげうってでも得るべきであろう、何か。それはたとえば、ヨブ記のヨブが苦難の末に悟った何か。ぼくはこの映画を見ていて、そんな気がしました。

“ぼくらはみんな生きている” への2件の返信

  1. こんばんは
    室温は保っていますが体温の急変の為かメガネが(お断り:近視(信じます?(笑))曇ってしまいました。
    >失うことで得るもの、あるいは、失わないと得られないものって、ありますよね
    全ては○年前に起因し、闘いは○年に。それもふいに。
    い・の・ち・
    二度しくじってしまったけど、神様は地獄へ落ちることを許さなかった。
    それが神様の私への赦し。
    >失うことで得るもの、あるいは、失わないと得られないものって、ありますよね
    うんうん・・・・!
    何だか余りにも偶然過ぎて
    透視された感じです。
    久しぶりにまとめて閲覧させてもらいましたがよみごたえたっぷり♪
    今年もヨロシクお願い致しますね。
    sotto-voce でおじゃましますからJ^o^L

  2. sotto-voceさん、今年もよろしくお願いします。
    ぼくは「人にとって、本当に必要なものはなんだろう」ってことを時々考えます。この映画の主人公は、からだの自由を奪われてしまいました。それで、自分の体を潜水服に例えたのでしょう。体がないから、愛する人を抱きしめることもできず、歌うこともできない。でも、彼は耳が聞こえ、目も自由でした。もし体のすべてが不自由になったら。そして自分がそうなってしまったら…。本物の孤独を味わうことになるのでしょうか。でも、ぼくはそうなりません。同じ理由でsotto-voceさんもそうはならないと思います。ここに、問題を解く鍵がありそうです。

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